家族という形に対する試行錯誤 | コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

コノ国の体裁(カタチ) ~幻像『大英帝国』の住人達~

 閃いて、まさに!という想いでつけたのですが……司馬遼太郎さま、ごめんなさい……!
 

 

 

 

  「でもナンだカンだ言っても、

 

  『お母さん』のことは好きなのが

 

  アタリマエでしょう?」

 

 

 

 

  子供の頃からこのような言葉を何度言われただろう。

 

 

  そう、「アタリマエ」。

 

  子供は親、特に母親を愛してアタリマエ。

 

  親は子供を愛してアタリマエ。

 

  独身者はパートナーを欲しがってアタリマエ。

 

 

 

  今はポリコレだなんだと『多様性』を問われる時代になったが、こういう部分の多様性は中々認められていない……と私自身は感じている。

 

 

 

  特に日本の場合は子供が居ると先ず「親業」を求められることや、「エエ年こいて…」という感覚が未だ社会に根強いから未だマシ?と言えるが、エエ年だろうが既婚者だろうが、己の下半身に正直な方が正しい!!……という人達がメジャーな環境では、私のように別居以降浮いた噂一つないまま20年越え……なんて人間は「異常」にしか映らないらしい。

 

 

 

  いや、「浮いた噂一つない」から逆に反応が凄いと言うか、男性の知り合いと二人で歩いていたのを見掛けた、というダケで

 

 

  「アノ人、ボーイフレンドでしょ?」

 

 

  …と、露骨にニヤニヤした顔で迫られたり、有難くも

 

 

  「もっと真剣にオトコを探しなさいよ!」

 

 

  …と真剣にアドバイス?されたりすると私などは逆に

 

  「ヒマだねえ……?」

 

  …と思ってしまうのだが??

 

 

 

  とにかく、そこら辺の人間関係に関しては特に……いや、常に

 

  『温度差』

 

  …を感じてしまう私。

 

 

 

  例えば私が子供の頃から社会問題になっていた

 

  『鍵っ子』

 

  …は、私にとっては「憧れ」だった。

 

 

 

 

  自分で家の鍵を開けて、

 

  入ったら誰も居ない

 

 

  …ああ羨ましい、と心から思っていた。

 

 

 

 「ただいま」

 

  …と言いながら家に入ると返事がある、ということが嬉しい、という感覚を私は何処に置いて来たんだろう?……と思う。

 

 

 

 

  私にとっての「我が家」とは

 

   「母がいつも居る場所」

 

  …であり、それに続く「尋問の始まり」でしかなかったから。

 

 


  それは結婚して、家に戻った時も似たようなものだった。 

 

 

  もちろん『我が家』に戻るとホッとはしていたが、同時に「モト」の顔を見ると心の中で溜息が出る………という感じか?

 

 

  それこそ以前「タオ」を出産してから『家』に戻った時には玄関を開けた瞬間に『悪臭』がしていた、と書いた。

  (自称;「ボクが居るからコノ家は綺麗なんだ!」)

 

 

  が、そうした事ばかりでなく日常生活の中でも私が家に戻った時に「モト」が

 

 

  自分から

 

  玄関まで迎えに出て来た時

 

 

  …には(注;普段は「返事だけ」で動かない🤣)特に「ヘラヘラ笑顔」で出て来た時には

 

 

 

  「あ、ナニか

 

  (私にとって)

   嫌な事をやらかしたな…」

 

  …と直ぐ判った。

 

 

  私にとっては本当に長い間、そういう場所が『我が家』。

 

 

 

 

 

 

 私自身が「親」に対して感じて来て実行して来たことを端的に話してくれている動画

 

 

 (御本人はゲイを公表しております)