タイトルは、もう直ぐ四半世紀となる英国滞在を振り返っての感想です。
物心ついた時からの「虐待慣れ」で、誰からでも、どんな理不尽なことでも「言われっ放し」がアタリマエ。
「思うこと」があっても口に出せば馬鹿にされるのがアタリマエ。
周りがやりたくないことを押し付けられ、その責任をいつの間にか取らされるのもアタリマエ。
いきなりの「無理難題」からの「恫喝」も「横取り」もアタリマエ。
「手柄」は自分のモノ、「手間」と「責任」はオマエの恥。
いつの間にか「無口」とか「びくびくしている」と言われることが「普通」だと思っていた私。
それがどうだ?
「何でも聞いて~、って雰囲気だよ~!」
「堂々としているな~って思ってた!」
…と言われるようになったのは、何時頃からだったろう?
それはやはり、今で言う『シンママ』時代を含め
「本当の一人暮らし」
…を始めてから……だと確信する。
「自分の行動」がそのまま、「自分の成果」になる快感。
朝出掛けてから家に戻った時に
「全てがそのまんま」
…になっている快感。
「やりっ放し」があろうと、それは全て「自分の責任」でしかないという快感。
無責任な誰か、横暴な誰かが『やらかした』ケツの始末をする必要もない。
「自分の節約」がそのまま、「自分の貯金」として貯まってくれる快感。
コツコツ貯めたお金を「育ててやった恩」や「家族協力」の一言で有無も無く「横取り」されることもない。
そう、今の私の「永住権」は確かに
「モト」のお陰
…だろう。
口さがない人に……いや、「モト」にさえ
「ソレが目的だったんだろう?」
…と言われたことも一度ではない。
(「逆の立場」になったら?ということをサッと考えられない人間っては結構居るもんだ、とコノ年になってつくづく思う)
しかし、先に書いたように『もしも』永住権が今のような手間と、何より今のような「費用」だったら?
本当に幾ら掛けてもいい、「モト」は絶対に『私の為に』取得手続きなどしてくれなかっただろう。
こちらに移住する時に取得した『配偶者ビザ』に関する手間や費用(特に東京までの旅費!)などは全て私の「やりくり」の中で終わったこと。
「モト」はナニに幾ら掛かるのか、掛かったか?……なんていう「俗なこと」に微塵も興味を持たなかった。
だって「ボクのお小遣い」さえ減らなければ
「ボクは
雲の上に住むような生活を
しなければならないんだっ!」
……と自称する「高尚なボクちゃん」が知る必要などない「下種なこと」だったのだから!
