とにかく。
「これはどういう意味だっ!!」
「だから『答』はナンなんだっ!!!」
日本語の「クラス前日」になるとそう言って
「自分が出来ない・やりたくない部分」
…を私に答えさせたものを書き写し、それで「100点」を取っては家で自慢する、という事をやり始めた「モト」。
そんなことをして取った「100点」が嬉しいものか?
(そも、その「実力」が直ぐバレるだろうに?)
私はそう考える人間であるから何度も
「判らなかったら先生に聞けばいい」
…と返していたのだが、「その場限りの薄っぺらい見栄」が大好きな「モト」は例に寄って
「家族は協力するものだろうっ!」
…という「正当な理由」で喝破するだけだった。
(「逆」は絶対に許さないのに、ねえ?)
しかし。
どの国の、どんなレベルの「テスト」であっても、例え「ネイティブ」であっても、
「これは(答が)複数あるよねえ?」
とか
「これは(自分でも)ちょっと判らない」
…ということがあると思う。
私はそれは極アタリマエのことだと思うし、例えば
「え~? コレだって正解でしょ?」
…と言いたくなるような時でも、添削する方が「不正解」としたらそれまで、例え多少不満があろうとも
「そういうこともあるよね~」
…で済ませられる事だと思うのだが、「完璧ボウヤ」にはそれが許しがたいことだった。
何より「全部100点」が取れなかった時には
「オマエのせいで恥を掻いたっ!!」
…と不機嫌満載の態度で帰って来たのだから。
(その「理不尽さ」に気付く人ではない)
そんな「100点」が続くプリントを大袈裟なファイルにして
「どうだ、凄いだろう?」
…とエラそうに見せられても……だろう。
テスト問題に対して私が「こんなの知らない」と言うことも、「先生に聞けばイイじゃない」ということもタブー。
もちろん「日本語力」は全く伸びない。
私はとうとう
「アナタ、それだけの
『実力』があるなら、
もう自分一人で出来るでしょう?
『勉強』にならないのだから、
私に聞かないでっ!」
…と「協力」を完全に拒否した。
そしてどうなったか?
「モト」はアッサリ辞めてしまった。
元々「教室」の中で勉強することは一切なく、毎週ただ
「宿題」を出して先生に褒められたら
次の「宿題」を貰って帰って来る
…ダケ、そんなのだから「クラスメート」が出来る訳でもなかった(と言うか、そうなれば「実力」がバレるのがイヤだったのだろう)から、意味が無くなったのだろう。
その後、「モト」が自分から日本語を学ぼうとすることは「完璧」に無くなったことは、言うまでもない……!