またショッキングな事件ではあるのだけど……
「イジメ」という言葉が出た途端、それまで公開されていた被害者情報がいきなり「被害少年」になりましたね。
今、公開を続けているのは鉄板のここくらいかな。
(これも「指導」が入っていつ消されるか判りませんけどね…)
これから書く話は今回の二人がこうだ!などという話ではなく、いつも通り全くの「一個人の意見」でございます。
「殺された子」はリーダー気質で人気者、「殺した子」は大人しくて…。
ああ、「パターン」だな、としか思えなかった。
小・中と基本「イジメられっ子」で、特に小六・中三(!)にはクラス内の「スケープゴート」(=アイツ『ダケ』をイジメていれば他は「一応」仲良し風)の位置に居た私としては、そういう
(特に学校で)
「リーダー気質で人気者」
…という人間が、まさに
「イジメのリーダー」
…である事も多い、と身体で判っているからだった。
二人の間に「殺したい程」の何があったか何てもちろん判らない。
でも、その後のインタビューで「殺された子」のことを
「結構いつも命令調」
…と言う話を取り上げていたように、別にイジメっ子だなんだ以前に「リーダー気質の人気者」ってのは
「自分の意見を否定されることを考えていない」
…と言うか、
「自分の意見が通ってアタリマエ」
「自分が言ったことに周囲が従うのがアタリマエ」
…という「無意識の意識」がある人が多い、と私は考えている。
これは俗に言う「社会性の無い人」に共通する事ではあるけどね。
例えば、もし私がアノ時の「リーダー気質で人気者」だった子に今回と同じ事をしたとしたら、社会では全く同じことを言われていたと思う。
確か少し前に
「そんなやつ、今頃パフェでも食べているよ」
…という感じのタイトルの本があって、確かに
「実はイジメている(パワハラ・セクハラも同じ)人」
…ってのは結局「その程度」なのは判るけれども、個人的にはハッキリ言いたい。
「イジメられた方は、『一生忘れない』からね」
…特に「その他大勢」のつもりで一緒に面白がっている人達は気を付けましょうね~!
正直、私自身
「この人を殺したら、スッキリするだろうな~」
…と思う時は何度もあった。(その最たる相手が「実親」だった訳だけど)
「殺したい程の気持ち」なんて、結構簡単に浮かぶものだと判り過ぎるくらい判る。
では何で思い留まったんだ?……と言われれば、そういう考えが浮かぶと同時に
『殺す』に値する程の価値がある相手じゃない
…そんな「クズ」の為に
その後の自分の人生を棒に振って良いのか?
…と直ぐ考えることが出来たから、だ。
その頃は本気で
「ど~せ殺すなら総理大臣とかヤクザの親分とか、
日本中の沢山の人が喜んでくれる人物の方が良いよなぁ~」
…なんて考えていたんだから。
でも今回の「彼」は、周到に用意して決行「してしまった」。
それだけのパワーは何処から来たんだろう……と思う。
本人の「妄想」レベルだった(つまり「イジメ」は本当に無かった)という話も出て来てはいるが、基本的に男の子はイジメられている、と周囲に言い難いし、思われたくない。
「イジメられる男の子=軟弱なヤツ」
「イジメるくらいの方が元気があってイイ」
…という意識がまだまだ強いのが「現実」だろう。
それこそ「相手」は
「そんなつもりじゃない」
…だったのだろうが、問題は「どう受け止められるか」である、と言われるのと同じことだ。
こういう問題が起こると必ず
「イジメられる方にも問題がある」
…と言う人も一定数居るけれども、私は
「イジメっ子は特定出来るが
イジメられっ子は『誰でも』なる可能性がある」
…と思っている。
圧倒的権力を誇った人達が老いさらばえ醜態を晒し周囲の嘲笑の末に地位を追われることと同じ構造だ。
殺された命は戻らない。
殺した事実も消えない。
「こういう事件」は後味の悪さしか残さない……。

