「そうよね、『みんなで』頑張りましょう!」
思いがけず返事はその夜、「火曜日」のうちに来た。
殆ど『一行メール』に近い返信だったのだけど、私にはそれが『クリ』が書いた文章であるのは直ぐ判った。
『ナッツ』との共有メールなのだから二人のやり取りを当然『クリ』も読んでいた訳で、彼女は私の意思に気付いたというか
「取り合えず、ここはもう止めよう!」
…という気持ちになって、興奮している『ナッツ』をなだめて自分が返信する事にしたのだと思う。
私もホッとした気持ちで『クリ』に向けた気分で短い御礼のメールを書き、その夜は平和な気持ちで布団に入ることが出来た。
しかし。
「水曜日」
朝になるとまた『ナッツ』からのメールが入っていた。
前半、未練たらしく?前日の愚痴がダラダラと続いた後に書かれた「主題」を端折って言うと、こういうことだった。
「今週末には『仕入れ業者』が来て
話し合うことになったから、
これまでアンタが持って来た料理の
『レシピ』を全部書いてこっちに寄越せ!」
…( ̄_____ ̄)
私が真っ先に思い浮かんだのは
「コノ人は本当に、マトモに『飲食関係』で働いていたのだろうか?」
…という事だった。
国(文化)の違いに加え年代的な違いもあるかも知れないが、『レシピ』、それも『オリジナルレシピ』となったらそれは料理人の『財産』だ。
「ケン〇〇キー・スパイス」の例を出すまでもなく、それらは基本『門外不出』のモノであって、そう簡単に教えるモノでも、また安易に教えを乞うモノでもない、と私は考えている。
ハッキリ言えば
『先ず、自分の頭で考えろ』
…だ。
日々自分の身体と頭で考え工夫・試作している「料理人」ならその大切さが直ぐ判ると思うのだが、どうも最近はPCやスマホの悪影響か
「情報=知識を何でもタダで手に入れる」
…ことがアタリマエ、何でもインスタントで手に入る、という感覚になってしまっているのだろう。
(タダで簡単に手に入る情報なんて、所詮たかが知れているのにね…)
教える事が出来るのはそれなりの代償……「先生」(と「生徒」)として教える立場に居るとか、公開する事で本や実演会で利益が発生するとか、気持ちとして自分の「跡取り」にしたい相手だとか、雇われてそれなりの給料を貰っている、というような場合だけ……と私は考えているのだけど、皆さんはどうだろうか?