ある朝、電車に乗ったら、吊り広告が目に入りました。
日能研の「シカクいアタマをマルくする。」シリーズ、知っていますか? 中学入試の問題を電車内に掲示して、大人も一緒に考えましょう、というあの広告です。
今月(2026年6月)は、法政大学第二中学校の国語の問題が掲載されていました。
問題文は、養老孟司さんの著書『人生の壁』から。 そして、そこに書かれていた一文が、私の頭に刺さって離れませんでした。
「まず存在しているのは『穴』のほうです」
問題文の中で、養老孟司さんはこう言っています。
アフガニスタンの復興に生涯を捧げた中村哲さんも、最初から「偉業を成し遂げよう」と思っていたわけではない。蝶が好きで現地に足を踏み入れたことが始まりだった。
仕事というのは、あらかじめ存在しているものではない。 「自分のやりたいことが先にあるのではなく、求められることが先にある」
つまり——穴が先。自分が後。
「穴」とは、需要のこと。誰かが困っていること。誰かが渇望していること。
私の「穴」は何だろう、と考えた
読んだ時、自分のことが頭に浮かびました。
今の私には、いくつかの社会活動があります。
アクティブシニアがAIを活用してより豊かな人生を送れるよう支援する ASAIL(Active Senior AI Lab)。 ADHDのあるお子さんとご家族への支援。 早稲田大学LRCの生成AI同好会の会長として、学ぶ仲間と一緒に考える時間。 インドのエンジニアを日本に紹介・派遣する外国人材支援(DELTA GLOBAL株式会社)。 シニア、ミドルシニアの方の人生再設計を伴走する MySTORYプログラム。 筑波大学の「寄り添い支援」プログラムでの学び。 そして、児童相談所保護所での子どもへの関わり。
どれも、「お金を稼ごう」と思って始めたものではありません。 目の前に「穴」があったから。 困っている人がいたから。 渇望している人がいたから。
養老さんの言葉を借りれば、私はずっと「穴を埋めようとしてきた」のだと、改めて気づきました。そしてそのことで私は自分の穴(それが何かわからない、不安?渇望?)を埋めようとしているとも。
私が目指す「埋め方」——水辺に連れて行くこと
ただ、私には一つ、こだわりがあります。
道を示さない。答えを言わない。
今、筑波大学の「女性リーダーのためのカウンセリング実践プログラム 寄り添い支援」で学んでいますが、まさにそこで体現したいと思っているのがこのスタンスです。
馬に無理やり水を飲ませることはできない。 でも、喉が渇いている馬を水辺に連れて行けば、馬は自分で飲む。
私にできるのは、水辺に連れて行くことだけ。 傍らに座って、ただ聴くこと。 その人が自分で答えを見つける瞬間を、静かに待つこと。
それが、私の「穴の埋め方」なのだと思っています。
小6に、この問いは難しすぎないか——そして、私にも難しかった
今月の日能研の問いは、こうです。
「本文で挙げられている例以外の『穴』の具体例を一つ挙げ、あなたはその『穴』に対して何をするのか・何ができるのかを80〜100字で述べなさい。」
……正直に言います。
難しかったです(笑)。私にも。
「穴」を見つけること自体は、できる気がします。 でも「自分はその穴に対して何をするのか、何ができるのか」——これを問われると、途端に言葉が重くなる。
まして小学6年生。 自分の外の世界に「穴」を見つけ、そこに自分を重ねて、主体的な行動をイメージする。 どれだけ豊かな経験と想像力が必要なことか。
これは「知識を問う問題」ではなく、「その子がどんな人間か」を問う問題です。
法政大学第二中学校が、受験生にこの問いを投げかけたことに、私は深く感銘を受けました。 「こんな生徒を育てたい」という学校のメッセージが、問いそのものに滲み出ている。
日能研さんのWeb(日能研さんの問題ページはこちら)を見ると、日能研による解答と解説が見られます。
そして、解答例として
『(「記述問題の答えは一つではない」という、多様性を大切にする出題校の考えを尊重し、解答例の掲載を控えます。)』
と。
心憎い。
あなたの「穴」は何ですか?
アラカン世代の私たちは、これまでの人生でたくさんの「穴」を見てきたはずです。
家族の中で。職場の中で。地域の中で。 「誰かが困っている」「何かが足りない」と感じた瞬間、あなたはどうしてきましたか?
それが、あなたの「穴」かもしれません。 そしてその穴に向かって動き続けてきたことが、あなたの人生そのものかもしれません。
電車の吊り広告一枚に、こんなに長い時間考えさせられるとは思いませんでした(笑)。
日能研、さすがです。
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