最も人間を悩ませ、迷走させているのがこの二つの言葉。
定義がないのだから個々の感性で使い方は自由だ。
この、人間の暮らしそのもので最も重要なことに何故定義がないのか。
定義とは・・
物事の意味・内容を他と区別出来るように、言葉で明確に限定すること。
そのように定められているが、定義がない理由は「定まらない」からであり、「未解明」「謎」と言う言葉が氾濫、色んな説や考えが入り乱れている。
わからないまま手探りで研究しながら現実と向かい合っているのが現状だ。
当然のように結果は出たり出なかったりで、出ない方が圧倒的に多いから対策、穴埋めに追われ、その範囲は、環境、健康、農業、林業、酪農畜産業、漁業など生命に関する分野すべてに及んでいる。
生命の仕組みがわからなければ自然界の仕組みもわからない。
仕組みとは物理的な仕組みのことであり、物理には考えの相違も感性もない。
自然界、生命、それらの理論は共に統一出来るはず。
新説が出るたびに学会で賛否の議論など学芸会のようなもの。
確固たる理論も立証もなければそうなる。
「自然学」も「生命学」も「現実の存在」なのだから「物理学」としての認定が先決だな。
それが出来なければ世界の現状が変わることはない、これが道理だ。
生命物理と言う言葉と学問の分野があっても、ウィルスや微生物ばかり観察していたら「生命全体の基本理論」の完成まで何万年かかるかわからない。
昨日の記事にあるように、1兎を頭と足で追うのではなく感性で追い続けるようなもので、これでは1兎さえ得ることは出来ないだろう。
生命は兎だけでなくその種と数は天文学的。
微生物、植物から動物まで協生して生命活動しているが、一つの生命の仕組みもわからなければ生態学も環境学も理論として成り立たない。
「生命」に関してはまだよくわかっていないと謙虚に進めているが、「自然」という言葉は問題ないとして日常的に使われている。
生命がわからなければ、生命の集合体自然界の仕組みはもっとわからないはずなのだが・・
例を挙げれば・・
有機農・オーガニックと言っても広い意味では自然界はすべてオーガニック。
違いは、有機肥料は人間の道理であり、自然界は自然界の道理で循環、内容は全く自然界とは異なるが、自然農も有機農も混同している。
どのような理由でそれに自然が付くのか、道理をはっきりさせて判断すべきなのだが、基盤になる原理を持たなければそれも出来ない。
出来ないから自然と言う冠言葉が氾濫してしまう。
自然食品、自然の産物、大地の恵み、自然塩、自然治癒力、自然療法、ナチュラル・・万人に明確な結果が出るのかな。
言葉が先行して結果は出ないはずだが、期待が込められているのだからなくなることはない。
自然と言う言葉は心地よく、使いたくなる気持ちは無理もないのだが・・
これらは、すべて人知の道理、感性、生産者の道理から生まれた歪であり、明確な「自然法則」の欠如が招いたもの。
産業を健全にするには学問の再構築が必要だな。
未解明、謎とされている生命の課題を片っ端から解いて証明。
頑張らずに やってみるか 来年から・・
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