夏から秋にかけていちじくの最盛期。
周囲はいちじくだらけ・・・
手を伸ばせばいちじくに当たるほど道端には畑や庭のいちじくが溢れている。
しかしスーパーのいちじくは高くて手が出ない。
幾らでも出来るのだが腐敗が早く取り扱いが困難だから仕方ないだろう。
好物ではあるのだがさほど食べない。
野人にとってはときめきのいちじくであり、ゆらめきのいちじく。
幼児期の庭には梅といちじくとザクロの大木が2本ずつあり、毎年のように好きなだけ食べていた。
むー農園には多種の果樹があるが、ブルーベリーもジュンベリーもユスラウメも柑橘もアケビもサクランボもキンカンも、毎年少々つまんで食べる程度。
大量に出来る好物のフェイジョアも数個しか食べない。
小食になったこともあるが、周年色んな木の実を道端でつまんで食べているから心身が要求していないのだろう。
ときめきとゆらめきのいちじく・・・
慣れ親しんだいちじくと見捨てられたいちじく。
いちじくと同じクワ科イチジク属に自生のイヌビワがある。
これが在来種であり、今のいちじくは外来種、明治から大正にかけて栽培が広まった。
このイヌビワが古代より野山の貴重な資源として食されていたが、その名がいちじくだった。
同じ形、同じような味だからその名が使われたが、名を奪われるだけでなく他の名を付けられて見捨てられたイヌビワが憐れだな。
大きくて食べ応えがあり、味はねっとりと甘いいちじくと、小さくてほんのりあまいイヌビワでは勝負にならないのだが、野人はイヌビワを好む。
確かに味の軍配はいちじくに上がるが、イヌビワを好み、見つけるたびに味見している。
これまで食べた総量ではイヌビワのほうがはるかに多いだろう。
その理由はわからないが、たぶん本能だろうな。
脈々と流れ続ける人間の本能・・
理論は理論、判断は判断、しかし野人は本能を大切に生きている。
小さい頃からそうして来たし、これからもそうだろう。
野山や道端でイヌビワを食べている人を見たことはこれまで一度もない。
見捨てられた存在なのだが、見た時の「ときめき」はイヌビワのほうがはるかに大きい。
野人にとってイヌビワは今も「いちじく」なのだから。





