可能世界とマルチユニバース
――存在と可能性の定義
こんにちは、未来です!最近ちょっと硬めの文章が続いていたので、今日はちょっと柔らかくしてみます☺️

 

 

最近、上記のような投稿をしました。

今日は、なんでこんなことを書いたのか?なぜ、「生成」という言葉にこだわるのか?
という点についてお話ししてみたいと思います。
先に結論を言って仕舞えば、「コスト」の話です。

既存の物理が「物理側」の視点にこだわるのに対して、情報空間の理論を学んでいる人は「情報の写像が物理」であることを叩き込まれていますよね☺️

で、この視点に立てば、「情報を写像させるために必要な計算コスト」がどうしても気になるわけですよ。

「観測=既にあるものを読む、という素朴な理解のままだと、生成コストが視野に入りにくい」

しかし、生成する側にとって「生成コスト」は重要な問題です。

計算コスト、電力コスト、などなど。

以前、物理法則は、省エネのためのシステム、と書きました。

 

 

 

 

 

今回のも、ある意味その続きであります。

 

可能世界は「存在」しているのか?

これまで私は、いわゆるマルチバース、多世界的な解釈――パラレルワールドや可能世界と呼ばれる枠組み――を前提に思考してきました。
例えば、LeapやJUMP、移動、というような言葉を使って離散宇宙での生き方を説明してきました。
しかし現在の私の立場は、少し異なります。
可能世界が「存在している」のではない。
存在しているのは、あくまで「可能性」だけである。
この違いは一見些細に見えるかもしれませんが、実は決定的です。
多くの場合、「可能世界」という言葉は、あらゆる分岐が実在している、選ばれなかった世界も同時に存在している、というニュアンスで誤解されがちです。
『可能世界』は意味論的な道具として便利ですが、実在論(世界が文字通り存在する)に誤読されやすいのです。 
LeapやJUMP、移動という表現を使うと、少なからず「実在」的なニュアンスを想起させてしまいがちです。
しかし、ここにあるのはあくまでも「可能性」であり、意味論や論理学の観点ではそもそも「実在するかどうか」は論点ではありません。
可能性を厳密に形式定義することが主眼です。
私自身も、正直この認識が曖昧でした。
こうした経緯で、私はその誤読を避けるために、存在ではなく生成(+コスト)という表現を用いることを好ましく思うようになりました。
また、私が参照してきた議論――たとえば「可能性は非常に多いが、現実化するのはその一部に過ぎない」という立場――は、そもそも存在論を主張しているわけではありません
語られているのは「存在」ではなく「可能性の幅(および、確率分布としての重みづけ)」なのです。
この点で、私が語っている生成論は既存の議論と矛盾しているわけではありません。
違いがあるとすれば、それはどこに強調点を置くかです。
 

「選ばれる」のではなく「生成される」

宇宙生成論で私が強調したいのは、次の一点です。
無数の可能性の中から、ひとつを『選ぶ』のではなく、ひとつを『生成する』。
ここには明確な非対称性があります。
選択という言葉には、あらかじめ候補が「存在している」前提が含まれます。
一方、生成とは、計算と処理を経て、初めて現実として立ち上がるという意味を持ちます。
この違いを曖昧にしたまま議論を進めると、時間や因果に関して重大な混乱が生じます。
 

時間ではなく「生成順序」

私がこだわっているもう一つの点は、時間ではなく、生成順序です。
過去に戻れないのは、時間が一方向だからではありません。
生成順序が一方向だからです。
たとえば「過去を振り返る」という行為を考えてみてください。
私たちは過去を“そのまま見る”ことはできません。常に、現在の関数を経て再生成された過去を見ています。
つまり、
  • 過去は保存されているものではない
  • 参照されるたびに、新しく生成されている
この前提を置かないと、完全な時間逆行、死者の復活、因果の破綻といった、説明不可能な事態が容易に入り込んできます。
生成順序は不可逆です。
ここを厳密にしない限り、理論はファンタジーに傾いてしまいます。
 

これからの時代の本質的争点──生成コスト

そして、私が生成宇宙論という言葉を使う最大の理由が、ここにあります。
生成にはコストがかかる。
このコストとは、精神論ではありません。極めて物理的・工学的な意味でのコストです。
  • 計算コスト
  • 情報処理コスト
  • 演算量
  • そして最終的には、電力消費
AIが急速に発展している現在、「計算すること」そのものが価値であり、同時に制約になっているということを、かつてよりリアリティを以て考えることができるようになりました。
どれほど効率的なアルゴリズムを開発しても、要求される計算量と複雑性が増え続ける限り、総コストは増大する方向にしか進みません。
このとき、「すべての可能世界が同時に存在している」という発想は、計算量の観点から見て致命的です。
それは、コスト関数を考慮していない前時代的モデルになってしまう。
 

電力と計算量が「正義」を定義する社会

現実の社会に目を向けると、答えは明確です。
  • 電力を持つ者
  • 計算資源を持つ者
  • もしくは、計算コストを極限まで削減できる者
これらが、今後の社会的優位を握ります。
『どれだけ多くを想定できるか』ではなく、『どれだけ少ない計算で現実を生成できるか』が、正しさの基準になっていく。
この視点に立つと、宇宙を「生成のプロセス」として捉える生成論は、少なくとも現在の計算機文明、AI文明の延長線上では、極めて現実的な枠組みだと言えます。
ブログで色々と書き散らしていますが、これらは、正しさを撒き散らすものでも、誰かの理論を否定するためのものではありません。
 
未来 — Mirai Ito
『The Mind & Body Deprogramming Techniques』
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