▶︎安心な時にやってもあんま意味ないんよ
静かな部屋で、
心地よく呼吸している時だけ、
「わたしは光です」
「現象は中立です」
「すべては最善です」
と思えることが、真理が腑に落ちた、ではない。
本当に真理が必要になるのは、
怖い場面なのだと思う。
不安になる時。
揺さぶられる時。
思い通りにならない時。
大切な人のことで心が乱れる時。
現実が、自分に牙をむいているように見える時。
そんな時に、
「ああ、本当にそうだった」
と思い出せるか。
その時に、自分を見失わずにいられるか。
わたしはそこが、とても大事だと思っている。
⸻
スピリチュアルの世界では、よく聞く言葉がある。
「地球は体験の星です」
わたしはそれを聞くたびに思う。
ならば、身体が必要やん。
見る。
聞く。
触れる。
味わう。
呼吸する。
胸が震える。
涙が出そうになる。
ほっとする。
この世界が「情報」ではなく「体験」になるのは、
身体があるからだ。
だからわたしは、
身体に居ることを大切にしている。
身体に同一化するためではない。
身体の不調や見た目に振り回されるためでもない。
今ここにある身体の中に、
意識を戻すためだ。
外側へ飛び散った意識を、
自分の内側へ戻すためだ。
身体は、わたしそのものではない。
でも、
わたしがこの世界を体験するための入口。
だからわたしは思う。
地球は体験の星。
ならば、身体に居よう。
⸻
でも正直に言えば。
怖い場面で真理を使うことが、
いちばん難しい。
頭ではわかっていても、
現実が迫ってくると身体は固まる。
呼吸は浅くなる。
視野は狭くなる。
意識は外側へ飛ぶ。
相手の反応。
状況の変化。
これからどうなるのか。
そこに全部持っていかれる。
その状態で、
「現象は中立です」
「すべては最善です」
「わたしは光です」
と唱えても、
どこか上滑りしてしまうことがある。
そう心から思える状況じゃないから。
怖さが先に立ってしまっているから。
⸻
わたし自身は、
最初の実戦で怖い場面が来た時、
「真理を実験できるチャンス、キタ✨」
と少し喜んでしまった人間です(笑)
でもそれは、
わりとレアケースだと思っている。
怖さの中でいきなり実験できる変態さんは、
そのまま実験したらいい。
でも、もっとラクな方法がある。
⸻
だからわたしは、
身体に居ましょうと言う。
それは、
怖くなった時だけ足裏や呼吸を感じて落ち着きましょう、
という意味ではない。
もちろん、
それもひとつの入り口ではある。
けれどわたしが見ているのは、
方法としての身体感覚ではなく、
意識の居場所そのもの。
普段から、
わたしの意識がどこに居るのか。
頭の中なのか。
外側の反応なのか。
相手の機嫌なのか。
未来への不安なのか。
それとも、
この身体の内側に居るのか。
⸻
怖い場面で真理が使えないのは、
真理を理解していないからではなく、
その瞬間、
意識の居場所を外側に奪われてしまうから。
だから、
怖い時だけ身体へ戻ろうとするのではなく、
日々の中で、
わたしの居場所を身体へ戻していく。
身体を感じることが目的なのではない。
わたしが、どこに居るのか。
そこが変わること。
⸻
意識の居場所が変わると、
怖い場面での立ち方が変わる。
外側の現象を見張る私から、
この身体の中に居るわたしへ。
頭で真理を唱える私から、
身体の中で真理を使うわたしへ。
そこに、
わたしが伝えたいことの本質がある。
⸻
身体は、わたしそのものではない。
でも、
わたしがこの地球で生きるために選んできた、
大切な居場所。
意識は、身体ではない。
でも、
身体に居ることで、
意識は不安を掴みに行かない。
光は、身体ではない。
でも、
身体に入ることで、
光はこの世界に響く。
だから。
真理を生きたいのなら、
まず身体へ。
自分に還りたいのなら、
まず身体へ。
怖い場面で真理を使いたいなら、
やっぱり身体に居よう。
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IBC(Inner Bone Code )は
「整えようとする人」よりも
「もう整え続けたくない人」のためにあります。
そして同時に、
身体にはまだ何かある。
もっと自分の可能性を見てみたい。
そんな探究心を持つ人のためにあります。




