現在はもう消滅した遠くの星々が、今なお私達に光を投げかけているのと同様〜アトラクター盆地とTCZ | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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映画らしい映画だと思うので、アランドロンが好きで、かつジャン・ピエール・メルヴィルが好きならば、是非!!

 

 

メルヴィルという監督の名前はもちろん白鯨のメルヴィルから取られているそうです(本名はジャン・ピエール・グランバック)。

 

ジョン・ウーや北野武、マーティンスコセッシなどに多大な影響を与えた作品とのことで、たしかに静謐でスリリングで、60年代のパリへ転生したかのような気分になりました。

 

 

作家性を十全に発揮しながら、スターの魅力も最高度に引き出してみせる。そして犯罪映画としての水も漏らさぬスリルを持続させる。孤高の人メルヴィルだからこそなしえた完璧な作品、それが『サムライ』なのだ。

 その完成度の高さゆえに、本作品はのちに驚くほど影響を広げていくこととなった。ウイリアム・フリードキン監督の『フレンチ・コネクション』の地下鉄シーンや、マーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』の一匹狼的な主人公像(スコセッシは当初アラン・ドロンに主役をオファーしたらしい)を思い出すだけで、いわゆるアメリカン・ニューシネマにもたらしたインパクトの大きさがわかる。ウォルター・ヒルからクエンテイン・タランティーノ、マイケル・マンへと、メルヴィル作品は途切れることなく刺激を与え続けた。ジム・ジャームッシュの「ゴースト・ドッグ』も『サムライ』を強く意識した一本だ。そこで主役を演じたのは黒人俳優フォレスト・ウィテカーだった。

 さらに活発な進展を示したのが香港映画だ。「子どものころに観た『サムライ』がわたしの人生を一変させた」。そう語るジョン・ウーは、チョウ・ユンファ主演の『狼男たちの挽歌・最終章』やトニー・レオン主演の『ハード・ボイルド 新・男たちの挽歌』でメルヴィルとドロンにオマージュを捧げつつ、血湧き肉躍る香港流ノワールの様式美を樹立した。メルヴィルへの傾倒ぶりではジョニー・トーも劣らない。ドロンを主演にと夢見た企画『冷たい雨に撃て、約束の銃弾を』に出演したのは結局、ジョニー・アリディだったが、劇中でアリデイが握っているピストルはドロンから託されたものだという。日本でも、北野武監督『ソナチネ』という、メルヴィル的感覚を受けつぐ傑作が生み出された。ジェフ・コステロは、黒人にも香港人にも日本人にも転生を遂げたことになる。

 そして今日、改めてスクリーンによみがえる『サムライ』の何という新鮮さだろうか。これだけ多くのフォロワーを生み出しながらもなお、各シーンの切れ味はまったく失われておらず、息を呑むばかりだ。決して古びることのない伝説的一本として『サムライ』は輝き続けている。(映画パンフレットより)

で、冒頭の『武士道』ですが、調べた方も多いかと思いますが(僕も調べ直しました)、これは新渡戸稲造のあの「武士道」ではありません。

 

映画『サムライ』の孤独なシーン

 

 

 

端的に言えば、これはメルヴィルの捏造です。

かなりミスリードさせる捏造です(僕は民明書房を思い出しました。魁男塾のフィクショナルな出版社のことです)。民明書房と違い、誰が見ても新渡戸稲造の「武士道」を彷彿させます。

 

新渡戸稲造の「武士道」についてはどこかで紹介したいのですが、大きなポイントはクリスチャンが書いているという点かと思います。インテリのクリスチャンが比較文化学として「武士道」というか、日本の「騎士道」なり「道徳」「倫理」の大本を(それが非言語ゆえに誤解のないように)言語化しているという書物です。言葉にできないものを言葉にするためにComparison(比較)を多用するのですが、それゆえにわかりにくくもなっています。ですが、新渡戸稲造がどう教養を捉えていたかがよく分かる書物です。

 

 

 私は、キリストが教え、かつ『新約聖書』の中に伝えられている宗教を信じているし、同様にわが心に記された律法を信じている。さらに私は、神がすべての民族や国民――異邦人であろうとユダヤ人であろうと、またキリスト教徒であろうと異教徒であろうと――と「旧約」と呼ばれる契約を結ばれた、と信じている。私の宗教観のその他の点について、読者に忍耐を強いる必要はなかろう。(新渡戸稲造『武士道』初版の序)

 

*本稿とは全く関係ないのですが、訳者前書きによれば「新渡戸は、東京帝国大学に入学した時、教授に「太平洋の橋になり度(たい)と思います」と抱負を述べたという(『帰雁の蘆』)。

というわけで橋。

 

統一理論:認知ホメオスタシスと認知戦

 

各メッセージは橋である。橋はつながっていなければならない。アンサンブルは変化を強いるのではなく、変化が自然に起きる経路を構築する。

これが定理3を情報生成のレベルで実装したものである。(p.43)

 

そして、やはり苫米地博士ご自身が話されているのが一番分かりやすいので、できる限りワシントンスピーチの動画を繰り返し視聴したいところです!!

 

何の話かと言えば、苫米地博士の新理論の発表(統一理論の発表)の話です。

ワシントンD.C.での日本時間未明のスピーチが強烈でした。

リアルタイムでしか視聴できないかと思いきや、ありがたいことに主催者側からYoutube投稿があり、苫米地博士からはスライドの原本と日本語版が提供されました!

 

 

 

 

*こちらは毛細管現象との関連で出てきた「境界」問題に関するシャープでリアルな説明。

 

で、この「統一理論」についてはいろいろと書きたいことがあるのですが(だからこそ、スクールを開催します!)、ここではひとつだけ!

 

アトラクター(盆地)という耳慣れない概念が出てきますが、これは「盆地」のこと。イメージとしては、すり鉢状の構造物のことです。もしくはブラックホールや重力場のようなものです(いや、重力場はアトラクターではないとされますが。グレートアトラクターはまた別です)。

すり鉢状の中にピンポン玉が入ったら、蟻地獄のようなもので、中心に引き付けられて落ち込んでいってしまいます。そんなイメージです。

 

力学系におけるアトラクター(英語: attractor)とは、時間発展する軌道を引き付ける性質を持った相空間上の領域

 

 

力学系におけるアトラクター(英語: attractor)とは、時間発展する軌道を引き付ける性質を持った相空間上の領域である。力学系において重要なトピックの一つ。引き込まれた後の軌道は、アトラクター内に留まり続ける。アトラクターへ引き込まれる初期値の集合はベイスンや吸引領域と呼ばれる。(略)

物理的なアトラクターの典型的な例は、減衰や摩擦を受けて振動しながら最終的に静止する振り子で、これは点アトラクターの一種である。Wikipedia

最初に紹介したこの図の中央がまさにAttractorです。

TCZフレームワークと3つのモデル柱

 

Attractorが引き寄せるものと考えると、Attract(魅了する)、Attractive(魅力的)やAttraction(アトラクション)が同じ語源なのも理解できます。どれも引き寄せるものです。

(そしてこれはかつてのトマベチアルゴリズムの説明のときの「ビヨーン」を思い出させるものでもあります。n次関数の擬似的な最小値に対して、関数自体をゆさぶって本当の極値へ移動させる技です)

 

シンプルに盆地です。

蟻地獄のように引き込まれる盆地です。

物理系と認知系の対比図

 

TCZ とは単に、その人が現在の状況から到達できるすべての心的状態のうち、快適で安定した範囲内にとどまるものの集合である。「安全に住める」と感じられるすべての心理的領域の地図と考えればよい。TCZ の外側の状態は、過剰な緊張、不整合、苦痛を表す。この式はそれを精確に捉える:TCZ は、到達可能でありかつ内的不安定度 V が閾値 θ を下回るすべての状態である。ある人の TCZ の構造が、その人の「comfort zone」が実際に何であるかを数学的に定義する。(p.26)

 

最後に余談ながら、新渡戸稲造自体が「武士道」は少なくともその土台となる制度は消えたと考えており、その意味で「武士道」も消滅したか、消滅しつつあると考えていました(だからこそ、キリスト教神学がそれに立ち代わるとも考えていたと思います)。

 

新しいT理論もそうですが、非常に幅広い教養が無ければ立ち上がらない概念というのはあります(例えば、思い出すのはポアンカレ予想の解決に数学ばかりか物理学の素養が必要だったこととか)。

 

 

ところが驚くことに、ペレルマンはそんな病変(葉巻型特異点)が生じないことを示しました。
これには放物型リスケーリングなる道具を使いました。

(引用開始)
それは放物型リスケーリングと呼ばれ、多様体の変化する様子を、もっぱら特異点の生成に注意を払いつつ、顕微鏡を用いて撮影していくようなものである。多様体が縮んでいくにつれて、多様体の映像はスローモーション化され、同時に拡大されていく。スローモーション化も映像の拡大も間断なく続くが、そこには偏りがある。つまり、映像がスローモーション化されつつ、拡大されるとき、それぞれの時間スケールでの拡大率は線形ーーすなわち二倍、三倍、四倍・・・・という増加の仕方ーーとなる。しかし、距離は、1/√2、1/√3、1/√4、というようなスケールダウンの仕方をする。
(引用終了)

ここでエントロピーが出てきます。

そもそもハミルトンは曲率を熱のように扱いました。曲率の伝播を熱の伝播になぞらえてリッチフローを編み出しました。

ペレルマンは多様体が放物型リスケーリングを受けるときに、そこに不変となる計量を見出したのです。それは統計物理学のエントロピーと似ているので、放物型リスケーリングにおけるこのエントロピーと似た振る舞いをする計量をエントロピーと名づけました。
すなわち、たとえば、物体が加熱されると、分子の不規則性が増加し、それはエントロピーが増加することです。同じく多様体がリッチフローによって温められて、変形していくと、このペレルマンのエントロピーも増加していくのです。

もう一つのペレルマンのトリックは「マックスウエルの魔」です。熱力学第二法則(エントロピーは拡大する)を破壊する知性がマックスウエルの魔でしたが、ペレルマンはそれを時間を逆転することによって成し遂げました。
時間を逆転させたリッチフローによって、多様体を観察して、「温度」がどう変化するかを調べたということです。

ちなみに放物型リスケーリング効果のある不思議なペレルマンの顕微鏡で観察すると球面特異点は不動の球面のように見え、円筒形特異点は静止した円筒に見えます。

しかし問題の葉巻型特異点は大騒ぎして、活発に変化します。そしてそれはどこまでも強く湾曲し、最後には崩壊します。

この厄介な存在に対して、ペレルマンは鮮やかに処置します。

すなわち、エントロピーの概念を用いて、多様体が実はあまり強く湾曲できず、そして球のようにパッと消え失せる多様体を除けば、放物型リスケーリングという条件下では、多様体はリッチフローという熱源によって崩壊することができないことを示したのです。

これは局所非崩壊定理です。

リッチフローによれば、葉巻は最後には崩壊します。しかし放物型リスケーリングのいては、リッチフローの中で崩壊できません。

これは明らかな矛盾です。

すなわち、葉巻型特異点はそもそも出現しないということです。

 

 

 

たとえば、新渡戸稲造は武士道についてこう書いています。

 

 それを育んだ社会的条件は、すでに消え失せて久しい。しかし、現在はもう消滅した遠くの星々が、いまなお私たちに光を投げかけているのと同様、封建制の子である武士道の光は、その母なる制度より長く生き続け、いまも私たちの道徳の道を照らしている。

 

 

このときのメタファーは星であり、その星が10万光年離れていたら10万年前の姿であり、光であることを示しています(すなわち、10万年後である今はその星は失われているかもしれない可能性も)。

このような比喩がすっと出てくるあたりが、新渡戸稲造の宇宙物理学に対する深い理解が表れているように思います。

 

同様に新しい苫米地理論を理解するためには、幅広い教養が必要だと感じます。

それはSyntaxに対するSemanticsです。

我々は単に式を暗記するのではなく、形式化された式を覚えつつその意味が立ち上がるようにしなくてはいけないのです。そのためにはその後ろに隠れている「意味」(もしくはメタファー)を正しく理解しなくてはいけません。そのための知識の総体を仮に「教養」と呼んでいます。

 

というわけで、T理論スクール2026〜TCZと統一理論〜を是非お楽しみに!

 

T理論スクール2026〜TCZと統一理論〜

 

日時:2026年5月2日(土)、3日(日)12時〜17時
受講料:23万円

会場:四ツ谷のセミナールーム

お申し込みはこちら!

なお、当然ながら博士の講義を視聴し、スライドは熟読してきてください!!