「なまりっち」という「鉛」と「たまごっち」をかけ合わせた命名の気功技術はあまりに危険なので、グラマラスヒーラーのいくこさんのみに限定した気功技術だったのですが、生まれた気功技術は生まれた生命と同じで、本質的に自由なので、自走し始めています。
こちらの親心もこちらの意図もこちらの設定もぬるっとすり抜けて自走しています。
そもそも生まれながらにモンスターな気功技術がいろいろな人の手に渡ることで、Little MonsterからBig Monsterになるのではないかと危惧しつつ、今はとりあえず警告だけを出して(一人にしか効かない設定にしているのですが、機会の通り道はいつもあるようで)、生暖かい目で見たいと思います。
批判しているように聞こえるかも知れませんが、心から応援しています。
当然ですが、全ては自己責任でお願いします(警告はしてあります)。
松竹が130周年ということで、三大名作一挙上演という珍しい試みが(菅原伝授も30年ぶりとか)行われています。初日夜の部を観てきました。
仁左衛門さんがかっこよすぎる!
個々の作品は親しんでいても、全幕で観ると全く味わいが違います。
ありがたいことに初日を観劇させていただき、非常に感慨深いものがありました。
今月は菅原伝授手習鑑です。菅原道真公の悲劇を主軸にした周りの人びとの悲劇の物語です。
バラバラにガラ公演形式のように次々とグラン・パ・ド・ドゥを観るのも楽しいのですが、全幕ものも楽しいように、貴重な通し狂言も相当に面白いです。
物語がより立体的になり、悲劇がくっきりします。
ラストに「なまりっち」について、ドゥルーズに絡めて少しだけ言及します。
これは超特定少数に対する謎解きの結果として、一人の人物のために創られたものです。他の人には使えない設定にしてあります。しかし、概念というのは自走を始め、変化し、進化していきます。
ですから、僕らは、ドゥルーズの精神に立ち戻ります。
ドゥルーズ自身は、ことあるごとに「理解すること」は重要ではなく、むしろ「使用すること」のほうが大切だと述べていた。
ドゥルーズ自身は、ことあるごとに「理解すること」は重要ではなく、むしろ「使用すること」のほうが大切だと述べていた。理解することは、どうしても一度考えられ、書かれたことを正確にたどり、みずからの思考の中に転写し、再現することをともなうだろう。
ところが、再現することも、転写することも、あるいは正確さということさえも、重要であるどころか、むしろ避けるべきことだとドゥルーズは考えている。むしろ、どんな断片でもいいから、それを手にとって、使ってみること、たたいたり、裏返したり、匂いを嗅いでみたりして、いっしょに時間をすごし、別の脈絡に移動させ、それぞれに使いみちを見つけること、もちろん全体を相手にする必要はなく、必要に応じて断片を扱うだけでいい。そんなイメージを、ドゥルーズは思想を「理解する」のではなく「使用する」こととして提唱するのだ。(ドゥルーズ 流動の哲学)
*この先もまた面白いのですが、また別の機会に!
ポイントは「理解すること」ではなく「使用する」ことです。
呪いの技法出会っても、理解より先に使うことです(使いたければ)。
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遠隔気功を広め、定着させた立役者でもあるHiroさんが満を持して、「オンラインサロン」をスタートします!このビッグウエーブに乗り遅れるな!!





