T理論の裏側というか、密教的側面を公開したスクールが裏Tスクールです。
裏Tを経ると世界の謎が明瞭に解け、長い間の不思議が当たり前のことに変わります。
たとえば密教とは「秘密の教え」と言われますし、「まといのば」でもそう言ってきました。
しかし、裏Tの文脈ではそれは「密の教え」なのではないかと思います(蜜の教えではなくw)(蜜の教えでも良いのかも)。
密とは「三密を避けよ」の密です。健忘症の我々はすぐに忘れてしますNew Normalの話です。
密とは膝付き合って教えを請うということです。
人によっては住み込み、起居を共にして学ぶこともあるでしょう。修行というのはそういうものです。
そうやって長い時間を密に共有して、教え教わるから「密教」なのではないかと思います。
なぜならその教えは「秘密」でも何でも無いからです。明確に公開され、そして繰り返し説かれています。
その教えは風の声に、隣の子供の童歌に、ニュース速報の中に、喫茶店の隣の席の会話の中にも散りばめられています。
我々は遮那ということを想定すると、遮那の意図が明確なのがこの宇宙です。
明白な言葉で誤解のないように繰り返し伝えられているのですが、我々はそれを聞くことができません。なぜなら今を生きることに必死なあまり、静かにスターチの海に深く沈んで瞑想することが無いからです(推奨しませんが)(瞑想は推奨しますが、その海に深く沈むことは、ちょっと)。
静かに「いまここ」に耽溺すると、隣室の子どもの声を借りて、神様が語りかけてくるのが聞こえるのです。もしあなたがきちんと優しさに包まれたなら、きっと、全てのことはメッセージなのです。
小さい頃は神さまがいて
不思議に夢をかなえてくれた
やさしい気持で目覚めた朝は
おとなになっても奇蹟はおこるよ
たとえば、「偏在」ということで言えば、こんな一説を私達は思い出します。
汝(なんじ)が、過ぎ去った時は短いが未来は違うと見るなら、汝は等しいものを等しくないと考えている(アーリアデーヴァ『四〇〇論』
これは肝に銘じておきたい言葉です。
普通に読解するならば、
過去=短い
しかし、
未来=長い(未来は違う=未来は「時が長い」)
と考えるならば、それは間違いだ、ということです。
すなわち、、、、
我々が過去に感じているように(光陰矢の如し)、実は未来も一瞬だ、ということになります。
とすると、アインシュタインのあの名言の意図も分かります。
I never think of the future. It comes soon enough.
(私は未来について考えない。それはすぐにやってくるから。)
アインシュタインは「死者の書」だったのです(違うから!)。
まさに「すぐにやってくる」のです。過去を振り返って、感じる感慨と同じくらいに一瞬で未来はやってきます。
だからこそ、今決めて、今行動して、今準備して、今考えて、今しっかり備えるべく寝るべきです。
裏Tのテーマの一つにパターン認識があり、それはパタンパタンと判を押すようにコピーされていくと言いましたが、まさにそうなんです。過去と未来はきれいな鏡像対称なのです。それはどちらも短いのです。だからこそ過去に盲目になると未来にも盲目になります。過去を見つめると未来に役立ち、未来を見つめると過去が立ち上がってきます。そしてどちらも「短い」のです。あっという間なのです。





