シュンくんがCGスクール受講後に「Volareは中国語の部屋なんですね」と言っていたのが、非常に素晴らしく、我が意を得たりでした。
とは言え、この言葉だけだと圧縮されすぎていて、(ここで紹介するには)意味不明。
「中国語の部屋」とはチューリングテストに対するジョン・サールの批判のこと。
しかし、我々はAIを強い人工知能と考え、人間の脳もコンピューターと考える立場のため、これは批判というよりはイミテーション・ゲームそのものと考えます(批判の前提の理解が間違っているということ)。
*「イミテーション・ゲーム」と言えば、山口百恵さんの(いや、それはイミテーション・ゴールド)、、、イミテーション・ゲームと言えばアラン・チューリングの生涯を映画化したタイトル。観ておくべき作品!!
「中国語の部屋」の解説はWikipediaに以下のようにあります。
ある小部屋の中に、漢字を理解できない英国人(以下Aとする)を閉じこめておく。この小部屋には外部と紙きれのやりとりをするための小さい穴がひとつ空いており、この穴を通してAに1枚の紙きれが差し入れられる。そこにはAが見たこともない文字が並んでいる。これは漢字の並びなのだが、Aにしてみれば、それは「★△◎∇☆□」といった記号の羅列にしか見えない。Aの仕事はこの記号の列に対して、新たな記号を書き加えてから、紙きれを外に返すことである。どういう記号の列に、どういう記号を付け加えればいいのか、それは部屋の中にある1冊のマニュアルの中に全て書かれている。例えば
- "「★△◎∇☆□」と書かれた紙片には「■@◎∇」と書き加えてから外に出せ"
などと書かれている。
Aはこの作業をただひたすら繰り返す。外から記号の羅列された紙きれを受け取り(実は部屋の外ではこの紙きれを"質問"と呼んでいる)、それに新たな記号を付け加えて外に返す(こちらの方は"回答"と呼ばれている)。すると、部屋の外にいる人間は「この小部屋の中には中国語を理解している人がいる」と考える。しかしながら、小部屋の中にはAがいるだけである。Aは全く漢字が読めず、作業の意味を全く理解しないまま、ただマニュアルどおりの作業を繰り返しているだけである。それでも部屋の外部から見ると、中国語による対話が成立している。
繰り返しますが、「中国語の部屋」とはジョン・サールが提唱したチューリング・テストに対する反論です。
しかし「まといのば」ではこの中国語の部屋をむしろ積極的にPositiveに解釈し、チューリングテストは「中国語の部屋」で一向に構わないと考えます。
というか、仔細に考えるならば、我々は意味にこだわらずに言葉を使っています。
たとえば「おはようございます」という挨拶は"Aren't you a little early?”というような言葉の意味ですですが、それはGood morningという意味で交わされます。
あなたさまという意味の「貴様」は今は蔑称です。
意味が分かって交わしているとは思えない言葉はたくさんあります(よくセミナーで紹介するのは、「ごめんなさい」とか「さようなら」など)。
もう一つのVolareについては解説が必要ですが、時間もスペースもない(講座に来て下さい)。
Pienso que un sueño parecido no volverá más
Y me pintaba las manos lon cara d' azul
Y de improviso el viento rápido me llevó
Y me hizo volar en el cielo infinito
Volaré oh oh
Cantaré oh oh oh oh
Nel blu dipinto di blu
Felice di stare lassu
Gipsy Kingsで有名ですが、オリジナルもまた味わいがあります。
*そしてこちらはイタリア語と読み方と和訳がついています!ありがたい!(歌詞が少し違うようです)
いつも思うですがカタカナとは発音記号だな〜と、あまりに便利に使える(日常遣いできる)発音記号だな、と。
♫Penso che un sogno cosi non ritorni mat piu (あのような夢は二度と戻ってくることはないだろう)♫
そろそろCGスクールが始まるので、一つだけ!!
カミュの『ペスト』の一節「戦争が勃発すると〜」をフランス語原文で読むのが難しいというCGスクールで話したところ、受講生のお一人が英訳版を即座に見つけてくださいました。ありがたい!!
(それも「英語版は以下のStuart Gilbert訳がスタンダードのようです。」という注釈つきで)
When a war breaks out, people say: "It's too stupid; it can't last long." But though a war may well be "too stupid," that doesn't prevent its lasting.
Stupidity has a knack of getting its way; as we should see if we were not always so much wrapped up in ourselves. ーーAlbert Camus, The Plague
というわけで、やさしさに包まれていきましょう!
漢字では書いていませんが、きっとこの包まれるやさしさは、易しさではない、、、はず。
「優しさに包まれたなら」でしょう。
で、「優しい」という言葉(漢字)の語源については、こちらを参照してください!!
本日のCGスクール2024の楽日で用います!(多分!)
まず、「優」の字を分けてみると部首が「人偏」で旁が「憂」です。憂は「憂鬱・憂愁」というときに使う憂ですから、右側は意外に暗いイメージなのです。
確かにこの「憂」という字の成り立ちを調べてみると『大切な人を亡くして悲しんでたたずむ人の姿』を表していると白川先生は書かれています。
その悲しんでたたずんでいる人の横に、さらに人がよりそっている形が「人偏に憂」の「優しい」、「優」という字です。
悲しむ人の側で、その人の悲しみに心を痛め、わが事のように悲しんであげる心のうちに、人の「やさしさ、気遣い、思いやりの深さ」を感じたということではないでしょうか。そんな心の持ち主は、「やさしく」て「すばらしい、優れている」のです。
優しいという字は「悲しんでたたずむ人の側に寄り添う人の姿」から生まれた字だったのです。
ここから「俳優」へ展開します。泣き女から俳優へ。見事な展開です!
というわけで、本日も「やさしさに包まれて」いきましょう!!!
(We are always so much wrapped up in 優しさ!)
