その理論には価値がない。間違ってさえいない!(パウリ)〜七人の侍と親鸞〜 | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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その理論には価値がない。間違ってさえいない! ーヴォルフガング・パウリ



ミンスキーが「心の社会」の中で引いたパウリの言葉です。

排中律は本当に存在しないのだなと最近思います。

排中律はかつて論理学の基本でした。排中律とは言葉通り、真ん中を排するものです。YesとNoのTrueとFalseの中間がないということです。YesでなければNoであり、TrueでなければFalseであり、真でなければ偽、と僕らは考えます。これはもちろん排中律です。

しかし、古典論理学が終わったときに、排中律も終わりました。排中律がないといろいろとかなり面倒です。たとえば、背理法などはその根底から否定されます。ある仮定で矛盾が示せても、それが偽であることが示せただけで、それがダイレクトに真であることにはならないのです。

何が言いたいのかと言えば、どんな話しであれ、何かを教育したり、アドバイスしたりすると、即座に「自分が間違っていたことが分かりました!」という風なことを脊髄反射で言う人がいます。
「いや、そうじゃなくて、何が分かったの?」ってこちらは思います。

「自分が間違っていたことが分かった」ということは、いまアドバイスなり教育したことが伝わったことを意味しません。排中律は存在しないのです。間違いの反対は正解ではないのです。

というか、何かを注意したり、怒ったりするとき、僕は軍隊のように、「Do you Copy?」と聞きたくなることが多くあります。というか、Copyして欲しいのであって、意味の全くない謝罪とか感謝とかの社交を欲してはいません。そこで投下している資源(投資)は、相手がきちんとCopyすることで回収されるのです。
情報のコピーを互いにしているだけで、それ以外の何も必要ないのです。
挨拶や謝罪や感謝というのは、社交であり冗長性であり、葛藤油です。無いと困りますが、それだけではアウトです。お菓子箱の箱しかないようなものです(まあ、お菓子は不要ですが)。

きちんとコピーしてくれれば、そのコピーされたアルゴリズムを使用すれば、うまくいく可能性が拡がります。コピーして、解凍して、走らせて、その上でフィードバックを取り、その上でそれを今後も使うかどうかは本人が考えればいいのです。

しかし、圧縮したアルゴリズムの解凍なり、ロードさせる以前に、きちんとコピーすらしないことが多いのです。

意図的にコピーしないなら、まだしも、自分はきちんとコピーできていると思っているからますます厄介です。

その上で「分かりました!」と勢い良く飛び出していって、即座に「でも...できませんでした」と即座に戻ってきます。

バカじゃないのと思います(#・∀・)

我々は合法的な殺戮と破壊集団である軍隊に謙虚に学びましょう。

軍隊というのは、人を殺し、モノを破壊し、文明を失わせ、人格と尊厳を奪うのがお仕事です。自国の国民から合法的に収奪したお金と人材で、他国を壊滅させる仕事です。

ただ、命のやりとりがリアルなだけに、仕事の効率化は極限まで進められ、抽象度も上がります。
ほとんどのテクノロジーが軍隊からのスピンオフです。軍拡競争の中で時代遅れになったものが民生転用されたものを我々はありがたく享受しています。

気功も結局は軍隊の洗脳技術のスピンオフでしかありません(R◯◯◯◯のような伝統的を称するなんちゃってスピリチュアル気功は別として)。

で、我々は謙虚に軍に学ぶべきです。

これからは、僕が何かを伝えたら、まず復唱させようかと思います。

思考している気配もなく安易に「分かりました」と言われると、イラッとします。

おまえの頭で即座に分かるほど、簡単な話をしていないから、もっと頭をしぼって必死で考えろよ、とニコニコしながら、心の中で怒鳴ります。


復唱は冗談としても(バカの一つ覚えのオウム君しか育てないので)、自分はこうこうこう理解しました!ということを示してくれれば、その臨場感を観て、「いや、そう。その理解は、ほとんど合っているけど、この部分にもしかしたら誤解があるかもしれない」とコミュニケーションができます。

話せば分かる、とか、読めば分かる、というのは前世紀の遺物であり、うるわしき誤解です(いや、遺物ですらなく、ただの都市伝説です)。

文字なり発話に意味はないのです。そうではなく、お互いに言語ゲームを続ける中で、お互いの臨場感空間を共有して、アップデートしていくのです。


ですので、「まといのば」では、コンテンツはブログにすべて書いていますが、1ビットも書いていないとも言えるのです。
というのは、いわゆる2つの生命体という情報処理システムがコピーにコピーを繰り返して、そのことで、自分という関数をアップデートして、調整していく中でしかコンテンツは伝わらないからです。
もちろんきちんとブログを契機として自己内対話ができれば、その過程の中でコンテンツは生じます(そうでなければ、古典は読めないことになります。筆者とコミュニケーションを取ることは、交霊くらいしかないからです。交霊は冗談です)。そして、もちろんそのような自己内対話が起きるように文章をデザインしたいと日々思っています。

しかし、ここにアップロードされている圧縮された情報は、きちんと自我という自分のシステムの中にCopyし、きちんと解凍し、きちんとロードしないといけないのです。それは大変な作業です。

それはセミナーでも、個人指導でも当然同じです。というより、むしろ一層必要です(当然ですが、このブログは一般向けに易しく書かれています。セミナーのほうがブログより易しかったら、受講生はお金と時間を使ってわざわざ受講する意味はありません)。

どんな集団であれ、もっとも優秀ではない人にその集団のIQは調整されます(分かりやすく言えば、引き下げられるということです)。
鎖の強度は、もっと弱い鎖に依存します(当たり前です。そこが切れるからです)。

であれば、席替えは必要であり、退学も必要です。それはコミュニティを守るためです。
みんなでお手てをつないだら、全員で地獄への道へ行くのです。

というか、怠惰なバカに足を引っ張られるのはたまらないということです(勤勉なバカはもっと困りますが)。ここらへんは厳密な議論が必要なので厄介ですが(ただ繰り返し書いています)。
善良な努力を積み重ねて結果を出してきた人々が、甘えた怠惰なバカによってコミュニティを壊されて、人生を狂わされるのはまずいよね、という極当たり前の話です。

指導者とコミュニティということについて、黒澤明監督の「七人の侍」から例を引いた見事な文章があったので、引用させていただきます。http://www.foocom.net/です。多幸之助先生こと長村洋一先生の文章からです。

(引用開始)
かつての黒澤明の名画「七人の侍」の中の一場面に次のようなシーンがある。部落から離れた3軒の百姓たち数人が「他人の家を守るためにこんなことすることはバカらしい、俺たちは俺たちだけで自分の家を守ろう」と言って、竹槍を投げだしたときに、志村喬演ずる島田勘兵衛が「槍を取れ、取らぬやつは斬る」といきなり刀を抜きその百姓たちに迫った。すると百姓は恐ろしくなって槍をとる。

 勘兵衛は彼らが槍を取るのを確認したところで、「離れ屋は3つ、部落の家は20だ、3つのために20を危うくはできない、また、この部落を踏みにじられて離れ屋の生きる道はない、戦とはそういうものだ、他人を守ってこそ自分も守れる、己のことばかり考える奴は己をも滅ぼす奴だ」という。小生はこの最後の「戦とはそういうものだ、他人を守ってこそ自分も守れる、己のことばかり考える奴は己をも滅ぼす」というセリフを自分が、指導者的立場に立たされて物事を処すときに良く思い出す。

(引用終了)
*僕もこのように声静かに語ればいいのですが、まだまだ研鑽が足りないと自覚しています。


*Wikipediaに出てた撮影風景です。

まず「いきなり刀を抜きその百姓たちに迫った」のです。
システム2で説得すると、グダグダと言い訳しか続かないのです。
槍を取らなければ、斬ったでしょう。

その意味で、親鸞が愛息子である善鸞を義絶するのは合理的な行動です。義絶は晩年も晩年、80代のころです。この決断がこの高齢で、そして息子に対してできたところに親鸞の偉大さを我々は観ます。老いと身内という煩悩に負けない激しさが親鸞の生涯を貫きます。そこが魅力です。




「まといのば」もささやかなコミュニティです。

ご本人が意識しているかどうかはともかくとしても、足を引っ張る存在には退場してもらうのはやぶさかではありません。コミュニティというのはそういうものです。別に「退場!」とか親切に言われるわけではありません(昔は言っていましたが)。それほど密でウエットなコミュニティではありません。単純に気付いたら、バスを降りているというだけです。

彼らの言っていることは、パウリではないですが、「価値がない。間違ってさえいない!」のです。間違っているほうがはるかに良いのです。批判ができるので。批判というコミュニケーションが始まるので。しかし、価値がないものは、醜悪でしかありません。時間とエネルギーだけを無駄に吸収する醜悪さは除去したいのです。コミュニティという生命体の代謝として。

そして、ますます軽やかに素早く楽しく学びましょう!


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