「天使に出会ったら、尻尾を探すといい」と秘伝巧の教師に教わりました。
情報空間においても、通りを歩いていても、天使と遭遇することはあります。そしたら歓喜に包まれる前に、後ろに回って尻尾を探してみなさい、という指摘でした。
狐があなたを化かしているだけということです。
「仏を見たら、仏を殺し」という禅と通じるものがあります。イエスも「私は親と子を夫と妻を兄弟を引き裂くために来た」と言い、久しぶりの再会であった母親に向かって「女よ」と呼びかけ「私の父とは誰か、私の母とは誰か」と言います。
我々は「魔境」という概念と関連して、「仏に会えば、仏を殺し」ます。神を見たら、神を殺さなくてはいけないのです。禅で言えば、煩悩でしかないからです。
むしろ魔境への入口でしかないのです。地獄への道は善意で敷き詰められている、と言いますが、まさに「天使」や「仏」を見たら、殺して先へ行きましょう。
体験は重要ですし、理論も重要です。ただ神秘体験に溺れれば、抜け出せなくなります。理論で頭でっかちになれば、現実はスコトーマだらけになります。
体験も理論も主観的で不完全なものでしかないという諦観は必要です。
淡々とフィードバックを取りながら、自分が他人や社会や宇宙に対してどのような機能を果たせるかにフォーカスすることだと思います。
理論や体感がたとえ間違っていても(正しいも、間違いも本質的にはありませんが)、自分が果たした役割で誰か他人が救われれば、良いと思います。