通常医療と代替療法の境目は曖昧です。
サイモン・シン(「代替医療のトリック」)もそこは歯切れが悪い分類を採用しています。いわく主流派ではない治療法ということです。
また国や地域によっても通常医療と代替療法の境目は変わります(日本においてカイロプラクティックは代替療法であり、アメリカでは大学で学びカイロプラクター医として仕事をしています)。
両者をはっきりと区別する必要はそれほど無いように思います。
ロジックとしてはシンプルです。
心が物理(肉体)に影響を与えることによる治癒現象をプラセボとすれば、代替治療だけでなく、全ての医薬品の薬理作用もプラセボです。
両者ともプラセボなら明確な区別は無意味でしょう。
二重盲検法におけるプラセボ効果(これを狭義のプラセボとします)とは薬理作用を除いた効果のことを指します。心が偽薬を本物の薬と「勘違い」したために、治癒が起きるとされます。
薬において化学反応は重要ですが、ある化学物質が身体に入ってきて、症状が治まったり、免疫が活性化され、身体が治ったと「勘違い」することにより、治癒が始まるのですから、薬もまた広義のプラセボと言えます。
働きかける次元が心のレベルか物質レベルかが違うだけです。抽象度が高いか低いかの違いです。
物理に近いレベルで心が勘違いするか、情報レベルで心が勘違いするか、と言ってもいいでしょう。
また科学的根拠に基づいた医療はきわめて重要ですが、このアプローチによって科学的根拠に基づいておらず、むしろ多くの害を為していたことが分かったのは通常医療の側です。
なぜでしょうか?
通常医療がとんでもなくおかしかったからではなく、通常医療が社会的にも法的にも、暴力的な(侵襲性の高い)施術を許されているからです。それがメスによるものであれ、化学薬品であれ、放射線であれ、です。
科学に基づいて見えないのは代替療法も通常医療も一緒です。代替療法を批判する論理で通常医療も批判可能です。
通常医療は代替療法以上に科学的根拠に基づいていなかった治療法があるのですから、代替療法を批判する論理で、通常医療も批判し、論理的には禁止にすべきだと主張できます。
薬害があり、どれほど重大な副作用による死者が出ても、治検を通過した薬が市場から何度回収されても、通常医療が存続しているのは単に信仰の問題です。
通常医療信者と代替医療信者は盲信という点でどちらも同じです。
そして科学的根拠そのものが科学の性質上、次々と塗り替えられる以上、それほど堅固な土台の上にはありません。とはいえ、水銀やヒ素を大量投与していた通常医療が再び復権するとも思えませんし、タバコが健康に良いという医学論文が掲載されることも無いでしょう。進歩は確実にしています。
両者とも広義のプラセボであり、「科学的根拠に基づいた医療」によって弊害が多く指摘されているのは通常医療であるという現実を考えれば、通常医療と代替医療を区別する視点そのものがあまり意味がありません。どちらもクライアントの利益に寄与したいえるのですから、共闘すべきでしょう。