高野街道三日市宿中橋付近の紹介 | みどりの木のブログ

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3日おきに更新しています。

今回は高野街道三日市宿の中橋付近を紹介します。
以前の「もろこし長者」の紹介ででてきた。
月輪寺の付近です。そこのリンクはここです。


もろこし長者伝説のある月輪寺(下の写真①から撮影)


今回紹介の三日市宿中橋付近のグーグル写真です。
黄色い点線は高野街道です。


明治13年の地図(南北逆)で、数字は屋敷番地です。

三日市村は江戸時代に高野街道の宿場として繁栄
します。享保年間の1732年頃から領主は幕府と
膳所藩本多家の相給(あいきゅう)となっています。
一村が天領(幕府)255石と膳所藩85石に分割
統治されました。
 膳所藩本多家の代官はここのリンクにあります。
今回の天領の代官が林家で、商人(油商)であり
経営に優れ、家柄も良いということで、幕府から
この三日市村の代官を任されました。税金を徴収
することが主な目的なので、明治維新後すぐに
どこかに転居したそうです。

グーグル写真の番号③から紹介します。


③の位置からの高野街道
次に④から③を見たところが下の写真です。


④から③を見たところ


④から⑥を見たところ


⑥にある民家
次に代官をしていた林家の跡を、グーグル写真に赤い点線で
囲んでいます。


代官林五兵衛家の跡地の現在です。奥の方に⑥の民家が見えます。
手前が代官所で奥の白い建物付近が代官林家の自宅だそうです。
⑦から撮影の写真です。下にこの場所の古写真があります。


電柱は同じ位置にあります。昭和56年に郷土史家の、
竹鼻氏撮影の写真をお借りしました。代官林家は明治
維新の後に転居したそうです。この時はすでに吉年家
の所有になっています。吉年(よどし)家の紹介リンク
はここです。


右側に三日市交番の復元建屋があります。木造(大正時代)の交番は
とても珍しいそうです。
現在は三日市の歴史資料館になっています。⑦から撮影の写真です。
奥に見えるのは真教寺の門です。


右側は在りし日の三日市の交番です。左は代官所です。


⑧から撮影の浄土真宗の真教寺です。


⑧から高野街道方向を撮影しました。この古写真が下にあります。


これは昭和56年に竹鼻氏が撮影した⑧からの写真です。
代官林家の土蔵などがあります。


代官林家の自宅部分ですが、現在は地区集会所です。
ここは三日市村役場跡でもあります。


三日市村役場あとの石碑


続いてグーグル地図にある屋号南長家ですが、楠正成の一族という
言い伝えのある家です。


⑨から撮影した屋号が南長の長い塀


南長家に伝わる「楠家技系図」の一部


⑦付近から撮影した風景です。交番の向こうに代官屋敷跡があります。


⑦付近から撮影した元三日市交番と高野街道南方向です。


三日市交番の説明掲示板です。


⑩から撮影した中橋の写真です。中橋の向こう側左に南長家があります。
同じ位置から撮影した古写真が下にあります。


竹鼻氏の撮影した⑩付近からの中橋の古写真です。今から約40年前の中橋です。
橋の向こう側にかやぶき屋根の民家もあります。

庭の雑草取りをしていたら、花が咲いていたので写真にとりました。
自宅の庭に咲いた花の写真を追加でUPしておきます。


ドクダミの花


ユキノシタの花
どちらも薬草なので庭に植えていました。

ツツジの花
小さい庭ですが、自作の庭なんです。
やっぱり春はいいですね。


長くなるので続きは次回にします。