Dr.Tのあらゆる政治的経済的社会的提言が全て受け入れられ実現され、日本がJAPANではなくNIPPONとして世界の中心となった可能世界における未来都市・シン江戸において、僕たちはどう生きるだろう?
何を感じるだろう?
何を思うだろう?
そして何を願うだろう?
松本金太郎改め市川染五郎(十代目)は親子三代での襲名を前に流石に緊張していた。折しも歌舞伎座は改修工事後のこけら落としで襲名披露を行うことになっていた。またかつて江戸城であった皇居には天守閣が再建され、江戸文化のブームが再燃し、人々から歌舞伎についても多くの注目が集まり、千秋楽には天皇御一行が天覧されることも決まっていた。
高麗屋のお家芸である「勧進帳」では祖父である白鸚が武蔵坊弁慶を、父である幸四郎が冨樫を、染五郎が源義経を演じることが決まっており、日夜その稽古の毎日だった。
稽古が休憩に入ったので、半減期通貨で自販機の水を買い、染五郎はそれを一口含んだ。通貨の価値は日々目減りしていくけど、水の味は目減りしない。
(未来都市・シン江戸「十代目・市川染五郎でござりまする」)
と、まあ、小説書くならこんな感じの書き出しかなと思います。自分が影響を受けてきたものや好きなもので小説の可能世界をリミックスできれば最高です。
僕たちはルネ・ジラール以降の世界を生きているので、スケープ・ゴートによるカタルシスではない物語を紡ぎたいと思います。
だから、我々は欲望という重力を感じつつ、それに反発する(もしくはそれをエネルギー源として使う)エラスチンを用いながら、飛翔したいのです(「恋に落ちる」とは言っても、恋に立ち上がる」とは言わないというのは納得)。
恋に落ちつつ、落下の王国を楽しみつつ、世界の美しさを味わいたいのです。そして何に落ちているかを理解すれば、ハードウェアのほぼクローンがますますソフトウェアもクローンになって、欲望の衝突の悲劇(それは弱き者の匿名による惨殺に終わり、それをカタルシスと呼びます)に終わらなくて済むのです(とすると、ギリシャ悲劇におけるカタルシスの構造とはミメーシスで説明がつくことになります。オイディプス王やリア王たちはスケープ・ゴートだったのです)。
(「まといのば」本家ブログより引用)
すなわちそれはキリストの隣人愛であり、釈迦の縁起の思想を生きるということです。
T理論においては隣人愛の思想と縁起の思想はイコールとなります。
釈迦のメッセージは「縁起」です。この宇宙にアプリオリなものはない、すべては縁起によって成り立っている、ということです。 一方、キリストのメッセージは「愛」、しかも神からの一方的な愛、条件なしの無償の愛であると私は考えます。愛が神から一方的に無条件に注がれるものであるならば、一般的にキリスト教で言われているような契約の概念は不要です。人は、良い行いをしたから愛されるのではなく、無条件で神から愛されるのです。こうした無償の愛は、親が子供を愛するのとまったく同じです。親が子供を無条件に愛するように、神は人類を無条件に愛するのです。 こうしたキリストの愛の教えのすさまじいところは、神の無条件な愛によって契約の概念を否定することで、神そのものの存在も否定している点です。 なぜなら契約の否定は、アプリオリ性の否定につながり、アプリオリ性の否定は絶対的な存在=神の否定でもあるからです。 では、契約によって神から人への愛が生じるのでなければ、愛はいったいどこから生じるのでしょう。 答えはひとつ 愛はもともと存在しているのです。
そして、その愛は何かといえば関係性です。
愛があるから、この世界はあるのです。
ここに至って、キリストが説いた「愛」は釈迦の「縁起」とイコールになります。なぜなら、どちらも「事物は関係性によって生じる」と説いているからです。 釈迦の教えとキリストの教えをひとつ上の抽象度から眺めれば、縁起の思想に行きつくのです。 つまり、縁起の思想、さらには縁起を発展させた空の思想を、より臨場感を持ってわかりやすく瞑想できるような物語をつくればいいのです。 21世紀の指針となるのは、きっと「愛」と「縁起」を包括するような高い抽象度の物語になるはずです。 それでは、夢から醒めたみなさんに、そんな抽象度の高い新しい物語を作っていただくことを期待して、そろそろ筆を擱くこととします。
(超瞑想法)
といっても肩肘を張る必要はなく、日々僕たちが「まといのば」に集い、ゴールを設定し、気功で心と身体を日々変え、ギルドの仲間と協調し社会に機能を果たしながら生きている日々を、舞台を「未来都市・シン江戸」にして描きたいと思います。
ただそうなると気功師はもちろん風水師、陰陽師、錬金術師、魔術師たちが登場するとともに、白髪のシンガーやイケメン催眠術師、バレエの先生やバレリーナ、圧倒的な力持ちや世界一のアニメーションダンサーといった現実世界でよく会う人たちが小説世界にも登場するような気がしています。
どうなるのだろう?
書いていれば、小説の神様がそのうち教えてくれるはず。
話は変わりますが、縁といえば玉三郎さんが和楽のウェブサイトで4月の舞台で共演される遠藤学さんとの対談で、本家ブログでお馴染みのあの方との出会いについてお話しされていました。
それがこちら。
——縁に恵まれるために、できることはあるのでしょうか。
玉三郎: 自分でどうこうできるものでも、準備でどうなるものでもないでしょうね。モーリス・ベジャールさんとの縁も、思いがけない形でした。ベジャール・バレエ団の来日ツアーがあった時、私は名古屋公演の最中でした。一度は諦めたのですが、タイミングよく神戸での公演に足を運ぶことができたんです。客席にいたら呼び出されて、急きょお目にかかることになりました。その時、私は上下つなぎ姿。着るもののことを考えるのが面倒で、当時はどこへ行くにもイッセイミヤケのグレーのジャンプスーツだったんです。冬はコートを羽織ればいいし、暑ければ上を脱いで腰に巻けば済むでしょう? 大変気に入っていたのですが、まさかこの格好でお会いすることになるなんて、と。でも彼は、ジャンプスーツの私をみて「君とは仕事ができるだろう」と前向きに解釈してくださいました。
進藤: ハハハ!
玉三郎: 結局、作品をご一緒することはできませんでしたが、年越しを共にするほどのご縁になりました。若いときは「ご縁」という言葉が、どこか表面的で建前的に聞こえていたんです。年を重ねた今、人生は縁でしかないなと思えています。
縁とは不思議なもので、必然か偶然か、人と人をつなぎ、奇跡を見せてくれます。玉三郎さんとベジャールさんの邂逅はその一つだったのでしょう。観たかった。
また玉三郎さんは縁は「引き寄せ」られないとおっしゃいます。ただ縁に触れた時の「思い」はあり、そこから生まれるものがあると続けます。
進藤: 僕も昔は、ご縁は建前だと思っていたように思います。よく言われる「引き寄せの法則」は、どう思われますか? 思っていれば、いずれ自分のもとに引き寄せられるという。
玉三郎: 縁に関しては、「引き寄せ」られるようなものでもないでしょうね。ただ「思い」はあると思います。縁に触れた時に「思い」があれば、そこから生まれるものがある。
進藤: 言われてみればアルゼンチンタンゴも、自分の中のどこかに「思い」はありました。アルゼンチンタンゴってかっこいいな、とか。
玉三郎: 繋がりたいと思って繋がれるものでもないし、断ったつもりでも繋がっちゃうご縁もある。それでも、いただいたご縁に対しては、精一杯やらなきゃと思っています。歌舞伎の世界も、入るつもりはなかったけれど縁があった。役者としての名前をもらい修業をするうちに、中途半端ではいけないと思いました。だから精一杯やっているだけなんです。
縁は「引き寄せ」られないけど、縁に触れた時に「思い」つまりゴールがあれば、そこから生まれる世界線や可能世界があります。それを、目敏いくらいでちょうどいいので、必死になって見つけましょう。
また玉三郎さんは縁は「引き寄せ」られないとおっしゃいますが、本家主宰では「引き寄せの法則」の背後にあるスピリチュアリズムは嘘つきだとお書きになります。
本家ブログより引用します。
スピリチュアリズムはとても嘘つきです。The Secretというタイトルも「引き寄せの法則」が秘密であるというテーマも嘘です。そして結論にはもっと壮大な嘘が含まれています。
嘘つきを信じてはいけません。
「いやいや、騙されてもいいです!」
「それでも私は「引き寄せの法則」がマスターできればいいです!」
という人もいるでしょう。もちろんそう思うのも、本を読むのも自由ですが、残念なことにその「嘘」によって「引き寄せの法則」は実践できなくしてあります。もちろんつかの間の夢は見せてくれます。実践もそこそこにできます。でも最初の興奮はやがて消え、何もできない自分に気付きます。あわててまたスピリチュアリズムを勉強し直します。するとまたつかの間の夢と興奮が戻ってきます。麻薬と同じです。
スピリチュアリズムは夢を見せ、よく知られた現象をさも神秘的なように騙(かた)っておいて、その能力を奪うという仕掛けをしばしば使います。
なぜ使えなくなるかと言えば、読者を新しいパラダイムではなく、古いパラダイムに縛りつけるからです。神がいる世界、魂がある世界に縛りつけます。そして神があり魂がある世界では、引き寄せの法則は使えません。
夢を見せて、そして裏切るのがスピリチュアリズムの常套手段です。
スピリチュアリズム本をもし読むならその仕掛けと嘘を見抜く側になりましょう。そしてその手法のエッセンスを洗練して使いこなせるようになりましょう。
(「まといのば」本家ブログより引用)
縁が「引き寄せ」られないのは、縁起の思想が古いパラダイムのアプリオリな神を否定したものだからかもしれません。ゴールがあれば、必ず縁は見出されます。あとはそれを見つけたら握りしめるだけです。
そうすれば、理想の未来の可能世界へと移動できます。
僕たちはT理論の嫡子であることを自覚し、「引き寄せ」るのではなく、「移動」していきましょう。
本家ブログより引用します。
これは全くの余談なのですが、いまふと「理想の未来へ移動するためには」という言葉を「理想の未来を引き寄せるには」と書こうと思って、脳内検閲が入りました。
理想の未来へ移動
と
理想の未来を引き寄せる。
これは、マーケティング的な発想であれば「理想の未来を引き寄せる」とか、「引き寄せの法則」とか「タフティ」とか言うほうが良いのです(あくまでもマーケティング的には)。
そして、相対的に運動を考えるなら、自分が向かっていくのも、向こうが近づいてくるのも相対的には同じとも言えます。
しかし、理論的には(特にT理論的には)ダメなのです(たとえば、引き寄せの法則はあくまでもスコトーマの原理と解説されます。引き寄せているのではなく、スコトーマが外れただけ、と)。
で、ポイントは何かと言えば、ニュアンスです。
引き寄せるということは、自分が動かず、「移動」とは自分が動くことです(←ここ大事)。
自分が変わらずに、良きものを引き寄せようというのは、自分は変わらないというアファメーションになってしまいかねないのです。ですから、「幸せなら手を叩こう、、、幸せなら態度で示そうよ」なのです。行動が先。♫幸せなら♫怠惰で示してはいけないのです。動きましょう!(という余談でした)。
(「まといのば」本家ブログより引用)
というわけで移動しましょう!そう強く意図しましょう!!!
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