羽黒神社宮司のブログ








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スマホが変わったら

ようわからんのですわ、これが!


前のスマホが、容量がいっぱいすぎて、勝手にシャットダウンして、起動にえらい暇がかかる(20~40分)ので、しかたなくショップへ行ったのですが、


新しい機種にデータを移している途中に、突然再起動を始めて、その都度、数10分、というのを繰り返し、

どうも、移動しきれなかった画像データや電話番号があるみたいで、そのうち、旧スマホから取り出そうとは思っておりますが、

相当、ヒマがかかりそうです(ーー;)


とりあえず、本日の雅楽会。


見学者がおられて、賑やかでした。


なんとか更新できた・・・(-”-;)

(またまた)子供たちへ!

6月21日は、兼務社の熊谷稲荷神社の大祓式ですが、社殿は解体されてありませんので、地区の集会場で齋行いたしました。


地震後、はじめて12台の神饌を揃えていただきました。
氏子は、地震前の半分に減っていますので、祭典費を賄う戸と自体、一苦労です。

祭員は権禰宜。

翌日、帰省中の姉と、江戸で開業している従姉妹の御祈祷を依頼されましたので、再び、権禰宜と奉仕。
神楽の笛、練習中です。

その後、
珍しく時間がありましたので、家族みんなで出掛けましたのは、
全くなにも無いここは、地震後の土砂崩れで埋まってしまい、今は解体が終わって更地となりました、我が母の実家跡でございます。

すぐ手前の日吉神社跡。

本殿跡地に、鳥居にあった扁額が置かれています。

激しく崩れた、土砂崩れの跡。

令和6年元日の地震で、集落一体が土砂にのまれ、その後の9月の豪雨で、完全に壊滅し、今は居住することが禁じられています。
それでも、元住民は遠方から訪れ、草刈り等を行っておられ、田んぼは田植えがされていました。

連休やお盆には、従兄弟らの家族が集まり、ワイワイ賑やかだった家は、面影すらありません。

残ったのは、庭の紫陽花だけ。

意気消沈で帰路についた我々ですが、

道中、家内から電話があり、
「神社がエライコトになっとる!」

は???

帰って来たら、
どっひゃ~~~ヽ( ゚д゚ )ノ
大量の駄菓子の山と、お神酒、私のタバコ(゜▽゜*)

過去に何度か羽黒神社に来られている方で、その都度、笛や舞を頑張って習っている子供たちに、差し入れをしてくださっている方です。

しかし、なんてまたくさん。

お神酒と玉串料は、神前にお供えいたしました。
あとは、夏休み中の練習で、子供たちに渡したいと存じます。
ありがとうございますm(_ _)m








いい雨でした

ようやく能登も梅雨入りだそうで、

雨が降りだすまでは、やたらにジメジメした、湿気が多い日が続きましたが、
まずは、19日の早朝、月次祭を納めまして、
この日は、正院町以外の仮設住宅を数件、連絡が取れたお宅だけ、水無月の祓に回りました。
そして、20日は正院町の飯塚乙谷出地区の水無月祓。
地震前は10数軒あった氏子は、地震後は半分の5軒。
しかも、多くはまだ中には入れず、軒先で神事を行います。
最後に、氏神様の火宮神社で大祓詞を奉唱。

このお社も、しばらくは土砂崩れ被害で、殿内に入れるようになったのは、昨年の11月からで、それまでは、青空でお祭りを奉仕しておりました。

で、
夕方から、今年久しぶりに開催されました、能登神職会に、権禰宜と一緒に参加してまいりました。
能登中の神職が集まり、毎年会場持ち回りで、懇親を深める会で、本年は当珠洲支部担当です。

実は、数年前、私が支部長を勤めていた折、時期当番支部を引き受けたのですが、
以降の地震被害で開催が出来なくなり、昨年交代しましたK原支部長になって、ようやく開催の運びとなりました。

めでたく、時期当番支部へ当渡し。

以降、
久しぶりですね、この感じ♪

お疲れ様でしたm(_ _)m



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