ラジオをつけると、アナウンサーが子供たちに、将来どんな仕事をしたいか、訊いていた。「何かkreativeな仕事がしたい」と答える子がいたので驚いた。もしその子が「画家になりたい」と言ったのなら驚かない。ドイツではここ数年「kreative(英語ならcreative)」という言葉の使われ方が変わってきた。詩を書いたり、美術作品を作っている人たちは、「自分はクリエイティブな仕事をしている」とは言わない。真剣に芸術と取り組んでいる人間ならむしろ「独創」とか「創造」などという概念に疑問符をつけてみるだろう。(多和田葉子『言葉と歩く日記』より)
もし私が北斎ふうにでも空を描けば、外国人は安心し、日本人はその時代錯誤を笑うだろう。もっとも極端に言えば、私にだって北斎ふうに空を描く自由は持っているのである。現に日本のある画家たちは、故意にこのアナクロニズムを利用さえしている。モーターサイクルに乗ったゴーゴーの女の子が北斎ふうの遠景から飛び出してくる、といった奇妙な光景をエキセントリックに描いている画家さえいる。
この種の絵画が芸術であるかどうかは、だれも判断を下すことはできない。芸術であるかもしれないし、芸術でないかもしれない。しかし、現在のところそれはどちらでもいいのである。(池田満寿夫『模倣と創造』より)
池田満寿夫がこれを書いたのが1969年。「ゴーゴーの女の子」は令和の今日で言えば「イケイケ女子」くらいになるか。イケイケというのも既に古風かもしれない。不公平にならないように付しておくが多和田さんが書いたのが2013年で、これもひと昔前になる。「強いて言えば、コンピュータ関係か服飾の会社でデザインを引き受けている人たちが、ようやくクリエイティブな仕事をしていると言えるのではないか」と締めくくっている。
小生のへぼな絵を載せておきます。立体感が出せずに苦労しています。芸術なんぞとはつゆ思っておりません。あくまでも技巧(技工)です。

そういえばかなり前ですが、地元熊本の求人雑誌に若い女の人が「クリエイティブっぽい仕事がしたいです」と面接で言って、採用担当が困っているというような漫画が掲載されていました。クリエイティブとは大変困難なことでもあり、実は身近にあることなのかも知れません。料理を覚えたおじさんがテレビに出演して「料理は楽しい」と言ってるのは微笑ましいですが、「料理ってクリエイティブな作業ですね」と言ったら、多分見ている人はドン引きでしょうか。