無理をして書くことの悲劇 | ricky321のブログ

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林真理子『マイストーリー』、重松清『ひこばえ』と、朝日新聞連載小説のイシューに自費出版、自分史を取り上げている。朝日新聞自体が自費出版を手掛けているので、朝日の編集者も後ろ向きではないのであろう。
しかし、書いてみればわかるだろうけど、書くことは、ある意味苦痛を伴う。箇条書きでなく、日頃物事を文章にして整理してみる。あるいは全うなブログを書いているか、新聞や書籍を熱心に読んでいるとか、そういう習慣のない人には難しい。お話にならない。
伊集院静が今度生まれ変わったら作家にはなりたくないと書いているが、直木賞選考委員にして、こういったことを言わしめるくらい、本を書くというのは割りに合わない作業なのである。
まず、ボキャブラリーの壁にぶち当たる。「某某の時は楽しかった。」「某某の時は失敗したが、今となってはいい思い出である。」「誰それとは喧嘩したが、今ではかけがえのない親友だ。」そのうち、ネタが尽きる。いつの間にか、同じ様なパターンに陥る。いや、例え書く方は楽しかったにしても、読む側はたまったものではない。著者の奥さんにしてみれば、嫌な思い出でしかないかもしれないし、友人と思っている人からすれば、単にご本人は、ただ迷惑な存在でしかないのかもしれない。そもそも人間というのは、人に悪く思われたくないという心理が常に働く。出来上がった書籍は単なる偽善本になってしまうだろう。
仮に愚生が誰かに、自分史を書きたいなどいう相談を受けたら、「先ず随筆を書いてみましょうよ。昨日、こんな事件があって、新聞は○○じゃないかと書いていたが、自分はこう思った…こういう繰り返しをしていくなかで、すんなり書けるようになったと思ったら、もう一度考えてみましょうよ。」というだろうか。まあ、そのココロは「絶対無理だ。やめとけよ。」なのである。