しばらく前に「心の闇」について書いた。なにかにつけて、事件の原因を“心の闇”で片付けるマスコミは情けない。
まさに尾崎紅葉は『心の闇』という小説を書いている。盲目の按摩である佐の市は、近所に住むお久米に密かな恋心を抱いてる。身体に不具のある佐の市が、お久米に相手にされるはずもなく、彼女は他家に嫁ぐ。諦めきれない佐の市が彼女の新居の周りをうろつき、警官に尋問され…という話。言はずして思ひ、疑ひて懼(おそ)る。是も恋か、心の闇。で締めくくられる。心の闇の正体は佐の市の情念、執念深さにある。
前置きが長くなってしまったが、
19-065『高野聖』泉鏡花、尾崎紅葉の弟子である。
解説なしのものをカシオの電子辞書インストール版で読んで、追って解説注釈付きの書籍で読むという幸田露伴のときと同じ形になった。
参謀本部編纂の地図を…から始まる。参謀本部とは、要は近代社会のシンボルだが、冒頭と裏腹に、今昔物語集ばりの奇談である。大蛇に出会ったり蛭に襲われたりして、苦難の道中、泥と汗にまみれたことだろう、と読者は受け止める。そこで今度は魔性の女が出て来る。こう書くと如何にも月並みなのだが、
胴体の太さ、たとい這出 (はいだ)したところでぬらぬらとやられてはおよそ五分間ぐらい尾を出すまでに 間があろうと思う長虫と見えた
濁(にご)った黒い滑らかな 肌に茶褐色の 縞をもった疣胡瓜(いぼきゅうり)のような血を取る動物、こいつは 蛭じゃよ
婦人(おんな)はいつかもう米精(しら)げ果てて、 衣紋(えもん) の乱れた、乳の 端もほの見ゆる膨(ふく)らかな胸反(そら)して立った、鼻高く口を結んで目を 恍惚(うっとり) と上を向いて頂を仰いだが、月はなお半腹のその累々たる巌を照すばかり
斯く、エログロの描写が見事。それから、今日では差別用語と言われる類いの言葉に溢れ(もちろん差別を助長したいのではない)、そこに、現代にはない豊さがある。
文章による表現の自由が今日なくなりつつあることは間違いない。