自炊報告.その後 | だるまんブログ

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生きる知恵である陰陽五行についてだるまんと語るブログ。『だるまんの陰陽五行』(三冬社)より発行。

先日のブログで自分で書籍の電子データを作ることを自炊と呼ぶとお話しましたが、今日はその後の報告と五行との関連についてお話します。
そもそも、自炊するには本を壊さねばなりません。ハードカバーの本ならば、まるで亀の甲羅をはがすようにそれをはがし、さらに厚めの本ならば背表紙に切目を入れてカッターナイフで二分冊に分けて、今度はそれらの閉じ側の所を断裁機でギロチンのようにスパッと切るのです。こうして本はただの紙の集合体に姿を変えます。ここからは両面読み取りスキャナーを用いてどんどん読み取ってもらいPDFデータに変えてもらいます。あとはiPadで自由に読めて、パソコンでは全文検索できるというわけです。
つまりは、大切な本はその実体を失い、あとは姿をもたずにイメージだけが残る霊となって存在することになるのです。
実体はなくなるので、本の占有していた場所は空くので、部屋が片づくこと片づくこと。それは目をみはるほどです。

しかし、その反面、悲しいのです。大切な本をバラすということにはものすごい抵抗を伴います。しかし、これはどこかで聞いたことのある感情体験だな…と思いました。そうです。五行の「金」なのです。

五行の「金」の意味とは、まさに切って分けることであり、おまけに「金」の感情の象徴は「悲しみ」です。ほんとうにこれを時でやっているのだなと気づきました。
何かを切って捨てるというのは実はとても苦しいことなのです。切られたものは存在しなくなるので、そのあとにはぼっかりと空虚な空間が残るのです。ここに私たちは悲しみを感じるのです。
でも、こうしないと私たちは進めないように出来ているのです。
消えた本の後に一種に爽快感があるように、悲しみと引き換えに私たちは進む道をそこに見出すのです。あたかも草を切り取った後に道がみえてくるようなものなのでしょう。

これは五行の動きを人生にあてはめてみるとよくわかります。
「土」から「金」を経て「水」に至る道のことです。「土」というのは一般的常識にひたって社会の中でぼんやりと生きているようなものです。このまま、なんとなく生きていくことも可能です。しかし、ここには刺激がありません。ここ本当の自分を生かす道を見出す必要があるのです。そのためには何かを捨てねばならないのです。捨てるということが「金」で、本当の自分というのが「水」です。ちょうど、大学を経て社会に出るときのようなものです。あれもこれもじゃ進路を見出せません。時には学生時代からの夢を捨てることもあるでしょう。逆に夢を実現するために普通の人たちと同じような生活体系を捨てることも有りえます。
また、社会人になってからでも、なんどもこんな体験はあります。しかしキーワードはいつも共通です。「何かを捨てないと進めない」ということです。
しかし、これはわりと悲しいものなのです。悲しいといっても「ほの悲しい」といったほうがあってるかもしれません。

心理学者のユングは、私たちが歩み出す時、私たちの集合意識がそれをかならず引き止めにかかるといいました。そして置き土産を要求するというのです。つまり、何かを捨てていかないと集合意識は私たちを手放してはくれないというわけです。ここにも似た現象が読めますね。