茨城県の常磐線に乗ると、水戸のそばに「大みか」という駅があります。この地で、山の上に大甕倭文(おおみかしず)神社というのがあります。祀られているのは倭文神建葉槌命(しとりたけはづちのみこと)という神です。
4月11日の日曜日、桜も満開の好天のもと、我々の五行研究会でここに行ってきました。
まずは鹿島神宮に行き、そのあとこの神社に向かったのです。
普通は鹿島とくれば次は香取神宮をセットでお参りするのですが、今回はちょっとパターンを変えて、車で二時間の距離を走り、こちらに向かったのです。
そもそも大甕倭文神社というのは、あまり知られていません。そこにきて倭文神建葉槌命(以下、建葉槌命と表記)という神もはっきりいって無名だと思います。しかし重要なのはここに名前が出ていないある神が建葉槌命によって封じられているというのです。その名は甕星天香々背男(みかぼし.あまのかかせお→以後、天香々背男と表記)といいます。
国譲り神話の中では、天津神の代表の武甕槌(たけみかづち)神たちによって国津神の大国主たちは負かされるのですが、このときに大国主の息子のタケミナカタ(現在の長野県の諏訪大社の祀神)は抵抗します。けっきょく、武甕槌神によって敗北するのですが、実はもうひとり、最後まで抵抗した神が居るというのです。それがこの天香々背男です。
強い天香々背男になかなか勝つことができずにいた武甕槌神たちは建葉槌命の協力を得て、やっと天香々背男に勝つことができたのです。そして天香々背男を宿魂石という石に封じて、その上に祠を立てました。これが
大甕倭文神社なのです。
つまり鹿島神宮と、大甕倭文神社は天下を平定した武甕槌神に関わる神社なのです…というのが一般的な話になります。
しかしです、ちょっと待ってください。勝った武甕槌神にも負けた天香々背男(甕星天香々背男)にも、「甕」という文字が入っています。しかも、ここの地名は「大甕」です。なぜ勝者と敗者に同じ文字が使われているのでしょう?勝者の武甕槌神は天津神で天から来た神で、負けた天香々背男は国津神で土着神です。この二者に同じ文字がはいっていることをただの偶然とは思えません。
そしてこの「甕」という文字を使う神として、櫛甕玉(くしみかたま)神という神が居ます。こちらは、大国主の子孫です。大国主の子孫ということは土着の国津神に入ります。こうして考えていくと、勝った武甕槌神は、実は天津神ではなく、天香々背男と同様、国津神であったのではないか…という事に気づきます。
神話から離れて日本の歴史を見ていくと朝廷は東へと征服していくのですが、その際に関東以北の原住民を蝦夷(えみし)としてバカにしています。そして征服する際に蝦夷どうしをケンカさせて勝ったほうに位を与えていくのです。このあたりは、だるまん「火」の章の124話にも詳しいのですが、これと同じようなことが言えるとは思いませんか?つまり、武甕槌神も、もとは国津神だったのですが、同じ国津神どうしでケンカさせて勝ったから天津神へと取り込んでいったということになります。
武甕槌神はもともとは、刀から生まれたれっきとした天津神の扱いを受けていますが、あとから付け加えた可能性もありますし、この疑惑は残ります。
そして甕という文字は大きなカメを指すこともヒントになります。カメとは入れ物です。中身次第で毒にも薬にも意義が変わるものです。まあ、言い換えれば正会員が副会員をバカにして呼ぶような言い方なのです。
このあたりにも、意味があるのですが、またそれは次の機会に…。