イメージ 1

 学生時代に読んだ懐かしい文庫を再読してみた。当時読んだインド関連で印象に残っているものといったら、藤原新也の『東京漂流』や、椎名誠の『インドでわしも考えた』などで、それらは今でも書庫に残っているけれど、横尾さんの著作は、視覚的インパクトが強烈なヒンズーの神々の絵と共に、スピリチュアル系だったことが他の著作と違っていた。あとがきには、この本のタイトルは『インド宇宙の旅』となることがほぼ決定していた(p.196)と書かれているほどである。
 この文庫本の初版は1983年だけれど、単行本の初版は1977年となっている。もう37年も前に書かれたインド本である。しかしインドという国に関しては、そう簡単に古書扱いする必要はないだろう。

 

【日本とインドの為替】
 さあ、これから料金の交渉だ。相手は、いきなり50ルピーとふっかけてきた。日本円で1700円、彼らの1週間くらいの生活費だろう。(p.12)
 再読して驚いたのは、この貨幣価値に関する数値である。
 ここにある37年前の数値を計算すると、1ルピー=34円になる。
 2014年6月11日現在の為替 は、1ルピー=1.72円である。
 過去37年間で日本は大いに経済発展したのだから円高になっているのは分かるけれど、ここ20年ほぼ横ばいの日本経済に対して、近年はBRICs諸国の大発展と言われており、インド経済だって相当発展してきたはずなのに、為替で見ると、37年前と比較して実に20倍近い円高である(!?)。インド経済の実体は未だに発展途上国ということになるけれど、20倍は、ちょっとピンとこない。

 

 

【日本とインドで、大いに異なるところ】
 インドのあちこちには、こうしたクリシュナ神を初め多くの神々が、薄っぺらな紙に印刷され、スターのブロマイドよろしく街頭の地面に並べられ売られている。・・・中略・・・。わが仏教に関してはお釈迦様のブロマイドを定期入れに入れたり ・・・中略・・・ するような習慣はまったくなく、それゆえに釈迦は遠い存在として、日本人の中には生きていない。インドと大いに異なるところである。(p.33)
 神々をブロマイドとして販売するって、日本人の感覚からすると確かに異様だけれど、著者は、以下のように書いている。
 クリシュナのなんともいえない甘美な情感に打たれ、愛の本質に触れているような法悦の世界にひきずり込まれていく (p.33)
 これを読んで、「そういえば、ボリウッド映画も、この延長だなぁ」と思っていたら、
    《参照》   『インドの正体』 藤本欣也 (産経新聞社)
              【ボリウッド】 【マサラ・ムービー】
 まさにそんな記述があった。
 一般的にインドの女性は色が黒いとされているが、女優は揃って抜けるように色が白い。そして大きな神秘な瞳と唇が、画面から誘いかけるように観客を法悦境に酔わせてくれるのである。それは官能が聖なる高みまで昇華させられた瞬間でもある。その美しさは蓮華がぱっと宇宙に開いたような感動でもある。(p.48)
 性愛(カーマ)の名に実にふさわしい愉悦の表現が、インド映画の女優の表情から、ぼくの中に流れ込んでくるのである。(p.48)
 マサラ・ムービーは、決して悲劇的な結末で終わらないから、役者さんたちに代替された「神々による人生賛歌」なのだろう。
 「秘すれば花」の日本には、性愛的な愉悦の表情を露わにする表現文化はないけれど、インドの聖典「カーマ・スートラ」の主旨を伝える経典が日本にないわけではない。その発祥は、そもそも、超古代・日本のはずである。
   《参照》   『神界革命』 三原資忍  サン企画
             【理趣経】

 

 

【北斗八星】
 倉橋君が帰った後に不思議なことが起こった。いつの間にか、北斗七星が北斗八星になっている。柄杓の先にもう一つ強く光った星が現れた。・・・中略・・・。どうも変だ。ぼくはふと心の中で、もしかするとUFOかも知れないぞ、と考え出したのである。よし、それじゃあの星が消えるように念を送ってみようと思い、僕は目を閉じて一生懸命、消えるように思念した。そしてしばらくして目を開けた。
 すでにそこには八つ目の星はなかった。・・・中略・・・。あれが間違いなくUFOだったことを、僕は今でも確信している。(p.69)
 高度に進化した文明の存在を疑っていない人々のために、分かりやすいように赤色系の星のように夜空で輝いてくれるUFOは結構沢山ある。直線上に動いたらジェット戦闘機や流れ星と思ってしまうから、やや曲線状に短い弧を描きつつ消えることで存在を示してくれるUFOもある。

 

 

【ラーマーヤナとUFO】
 インドに古くから伝えられている大叙事詩『ラーマーヤナ』には、神々の乗り物としてUFOが描かれているのは周知のことだ。またぼくの以前からの愛読書である『浄土三部経』は、地球外惑星の実相と思われる記述で満ち満ちている。(『UFOと仏典』(大陸書房)の著者山本佳人氏がやはりこのことに言及しておられる)。(p.71)
 山本さんの懐かしい本が言及されていたから、こっちも再読してみようか・・・と思いつつ、上掲の写真に取り込んでおいた。この2著作は、今はもう販売されていないらしい。
 また、『ラーマーヤナ』とUFOのことが言及されているけれど、昨日の読書記録でもリンクしておいた アシュター・・・2014年5月28日 ETが地球に来てから既に長い時間が経過している の中に、
 ラーマーヤナというヒンヅーの伝説では、ラーマの妻のシッタが”地球に飲み込まれた”者として描かれています。シッタは地面の下に行き、”母(地球)の元に戻る”姿が芸術として描かれています。これはシッタが仏教徒のニルバーナである内部地球へと戻る様子を描いています。シッタはその時代の終わりに、ここに住んでいたのです。
 という記述がある。
 UFOは地球外からだけではなく、地底世界からも飛び立っている。
 シャンバラとは、地球内部の空洞に存在するというアガルタ王国の首都の名前である。・・・中略・・・。シャンバラは実在しているが、われわれの肉体で行くことは許されず、もし行けるとしてもアストラル体(四次元体)でしか行けないという。(p.112)
 地底世界のことが分かっていない方は、ダイアン・ロビンスの著作 『空洞地球』  『ついに実現した地下存在との対話』  『超シャンバラ』
を読んでください。

 

 

【法華経の未来学】
 『法華経』に示されている「未来において、十方にある、測ることも数えることもできないほどに数多くの世界に、完全に〈悟り〉に達した如来たちが世間を憐れんで、多くの人々の幸福と安楽のために、この世に出現するであろう。(方便品)」という一節をぼくはふと思った。この星々の全てに、悟られた如来たちが住んでおられる――。 なんともいい難い表現ではあるが、ぼくはそう実感した。そしてわれわれの地球だけがまだ未発達のまま、悟りを得ずに、日夜争いを続けている。人類はまさに今、如来たちの出現を必要としている。僕は思わず天界の燦めきに向かって合掌した。(p.132)
 下記リンクのコメントには、法華経の「従地湧出品」に関することが書き出してある。
    《参照》   『失われたフリーメーソン「釈迦」の謎』 飛鳥昭雄・三神たける (学研) 《前編》
              【シャンバラ出現?】

 

 

【絵になるインド】
 同行の篠山君はそのことを察してか、この群衆の中ではシャッターに指をかけようとさえしなかった。後で聞くとモーター・ドライブで目を閉じて片っ端から撮るか、それとも一枚も撮らないかどちらかだといったが、本当にその通りである。インドは別にこのオールドデリーに限らず、どの部分を取っても絵になる。たとえ地面の一角であっても、それは不思議に一枚の絵になるのである。そこには自然が描いた独特のマチエールがあるからではないだろうか。・・・中略・・・。三島さんは以前「生」のもっとも可視的な定義は、そこにフレームを与えてただちに絵になるものであるといっていた。インドの流動しながら変化する自然こそ「生」である。だから絵になるというのだろう。(p.118)
 マチエールとは、美術的効果、素材効果という意味だけれど、「自然が描いた独特のマチエールがあるから」という表現が、あんまりピンとこない。自然という用語の意味範囲が重なっていないからだろうと思いつつ、読み進めていたら下記の記述があって納得した。インドは人がいないと成り立たないのである。
 ぼくと倉橋君はこの3つの庭園の中でニシャットが一番気に入った。そこで二人で再びこのニシャットに数日後訪れた。ところが、この日は平日で全く人がいない。・・・中略・・・。なんだか別の場所に来たような雰囲気である。原色の美しいサリーの女性もいない、噴水もないとなっては、あの溢れるばかりの色彩の洪水がやっぱり恋しくなる。日本では人間が風景を壊すが、インドは人間が風景を創造し、もり立てている。えらい違いである。人間一人一人が絵になるのだ。そうかといってここに日本人が何千人も集まったら、あの自然と人間の美しい調和はぶち壊しになってしまうだろう。日本人に限らず西洋人でも同じことが言えそうだ。(p.158)

 

 

【篠山紀信はサイババ】
 サイババは・・・中略・・・、ヘアーはアフロ・スタイルである。篠山紀信のヘアースタイルを想像すればいい。篠山君とインドを歩いていると大変だ。あんなヘアーをしているのはインドでは篠山君とサイババだけである。(p.186)
 今でこそIT機器による情報化が発達しているけれど、37年前なら簡単になりすましができたことだろう。「どおせなら簡単なマジックを習っておいて、ビブーティを出してあげたらよかったのに」とかって、悪乗り大好きなチャンちゃんは思ってしまう。
 サイババが出てきたついでに、サイババの霊格については、下記のリンクをどうぞ。
    《参照》   『サティの異次元旅行』  吉田洋幸  国書刊行会
              【低級霊と高級霊】

 

 

【インド音楽】
 インド音楽は本当に宇宙の中を流れる波動と合一し、波動そのものとなって宙を翔けめぐっているようなところがある。だから、例えば「愛」の観念がどういうものか言葉で表現できなくても、インド音楽が愛の観念の実体を、こういうものだ、というように音楽で表現してくれるところがなかなか宇宙的で、ぼくはすごいと思うのである。(p.136)
 インドの音楽を宇宙的と感じるのは、インド楽器特有の共鳴弦による反響特性故なのだろう。
    《参照》   『笛吹きインドひとり旅』 うえの善巳 (中央アート出版)
              【インド楽器の特性】
 インドの暑さに参ってしまったら、観光するより空調の効いた室内でインドの音楽や映画に浸るという手もある。その方がインド文化を感覚的に速やかに理解できるかもしれない。それに、容易に手に入るアシッド(LSD)でトリップするより、宇宙的なインド音楽でトリップできるなら、その方が健全である。

 

 

【インドの大ヒット映画『ボビー(BOBBY)』】
 ゴアに滞在中の三日間は町の中心の公園のスピーカーから一日中『ボビー』の主題曲が鳴りっぱなしで、完全に頭の中にメロディーが残ってしまった。・・・中略・・・。今でもインドを思い出して『ボビー』を聞いている。この歌を聴くと不思議とインドに行きたくなるのである。歌とともに映画『ボビー』もぼくの中で永遠の思い出の一つになることだろう。(p.136)
 大ヒットといっても今から40年も前のこと。この映画の内容と主題曲を知っていたら、今でもインドのおじちゃんやおばちゃんたちに歓迎されるかも。
 アメリカ映画の『ボビー』 は、ケネディ大統領の弟ロバートを描いた作品だけれど、インド映画の『ボビー』は、ヒロインの女の子の名前で(ヒーローはラジャという)、内容はインド版の 『ある愛の詩』 なのだという。
 インド版の『ボビー』 は、YouTubeで部分的に見られるけれど、全編を見てみたい気もする。

 

 

【インドに行くと・・・】
 インドに行くと確かに今までの自分の生き方、考え方、環境、とにかく全てが間違っていたと感じ始める。そしてこのような発見が混乱を呼び、しばらくなにも手につかない状態が続く。つまり自分自身の根源に無理やり立ち向かわせられるのである。スタートに向かってUターンを強いられるのである。(p.159-160)
 だそうです。
 スタートに向かってUターンしてみたい方は、インドへどうぞ。

 

 

<了>