
御4方との対談が掲載されている。このMISUZU TALKシリーズは3まで出ているらしい。古書店で見つけて久しぶりに金子みすゞ関連を読んでみた。2003年9月初版。
【理系頭を魅了する金子みすゞ】
「蜂と神さま」などはその典型である。
《参照》 『私と小鳥とすずと』 金子みすゞ JULA
【蜂と神さま】
佐治 やさしい言葉を使って、単なる比喩ではなく、その裏にきちんと論理が通っていますね。(p.22)
佐治さんは科学者だけれど、理系の人々でもみすゞの詩に惹かれるのは、まさにこの理由だろう。「蜂と神さま」などはその典型である。
《参照》 『私と小鳥とすずと』 金子みすゞ JULA
【蜂と神さま】
【理科の授業に金子みすゞを】
チャンちゃんは社会人になるまで金子みすゞの詩なんて何も知らなかった。学校の授業で使われていたら、もっと早くから興味を持っていたことだろう。
佐治 単に「美しいですね」「とてもやさしいですね」「あたたかいですね」というだけでなく、科学を勉強した人であっても、みすゞさんの詩を使って理科の授業ができないといけないとぼくは思うのです。(p.31)
確かに、理科の授業にみすゞの詩が出てきたら、男の子も女の子も興味が持てるだろう。大賛成。チャンちゃんは社会人になるまで金子みすゞの詩なんて何も知らなかった。学校の授業で使われていたら、もっと早くから興味を持っていたことだろう。
【日本文化論として】
佐治 「おかげさま」と「お互いさま」という言葉は、日本語の中でいちばん美しい言葉だし、大事な言葉だろうと思います。それをいろいろ表現を変えて美しい言葉にしてくれたのは、たぶん、金子みすゞという人のものの見方だし、いいたかったことだろうとぼくは思います。 (p.23)
【油に化けた靴】
「みすゞ小学校」などの建設に携わっていたオギノ芳信さんが、ネパールを訪れ、子どもたちにあげた靴は1年後、誰も履いていなかったという。
それに健康のためには素足のほうがいい。日本人はもっと素足生活をすべきである。台湾の公園にはいろんな健康器具のようなものが設置されていて、たまに小石を敷き詰めた素足歩行専用ルートなんかが作られていたりする。大人と子供がいっしょに楽しみつつ健康維持ができるよう工夫されているのである。日本にはこんな公園、あんまりないだろう。痴呆行政は利権業者に金をバラ撒くことしか考えていないらしい。もっと工夫する気はないものだろうか。
「みすゞ小学校」などの建設に携わっていたオギノ芳信さんが、ネパールを訪れ、子どもたちにあげた靴は1年後、誰も履いていなかったという。
調べてみると、日本でははき古した中古の靴ですが、ネパールではとてもいい靴なので、 ・・・(中略)・・・ 親が、子どもがもらった靴をとりあげてしまった。 ・・・(中略)・・・ その靴を町に持っていって売ってしまう。
ネパールの人たちは自給自足の生活をしているのですが、どうしてもお金を出して買わないといけない食べ物があります。それは油です。彼らも、自分達の衛生状態がそれなりに分かっているらしくて、生ものを食べることはまずありません。焼いたり、ゆでたり、とにかく火を通す。その靴は全部、油に化けてしまったのです。(p.47)
素足か靴かより、命にかかわる食のほうが確かに重要。ネパールの人たちは自給自足の生活をしているのですが、どうしてもお金を出して買わないといけない食べ物があります。それは油です。彼らも、自分達の衛生状態がそれなりに分かっているらしくて、生ものを食べることはまずありません。焼いたり、ゆでたり、とにかく火を通す。その靴は全部、油に化けてしまったのです。(p.47)
それに健康のためには素足のほうがいい。日本人はもっと素足生活をすべきである。台湾の公園にはいろんな健康器具のようなものが設置されていて、たまに小石を敷き詰めた素足歩行専用ルートなんかが作られていたりする。大人と子供がいっしょに楽しみつつ健康維持ができるよう工夫されているのである。日本にはこんな公園、あんまりないだろう。痴呆行政は利権業者に金をバラ撒くことしか考えていないらしい。もっと工夫する気はないものだろうか。
【ネパールの衛生状態】
「学校をつくってあげる」というと、子どもたちはうれしくて、ワーッとやってきて私に抱きつく。そのとき、すかさずシラミが私の体に全部移動してしまう。そうすると、その晩、私は寝られないのです。 ・・・(中略)・・・ 全部脱いで熱湯で煮ないとダメ。そのくらい大変なのです。
もう一点は。 ・・・(中略)・・・ ネパール人が私に食べ物をくださると、それはうれしくないのです。食べたら絶対にお腹をこわします。こわすなんてもんじゃないですね。高熱もでます。(p.53)
いまやネパールも首都カトマンズはかなり近代化されているのだろうけれど、急峻な山に満ちた地形のネパールには、近代化とは縁のない地域が殆ど。このような地域の衛生状態や食生活は依然として悲惨な状態らしい。もう一点は。 ・・・(中略)・・・ ネパール人が私に食べ物をくださると、それはうれしくないのです。食べたら絶対にお腹をこわします。こわすなんてもんじゃないですね。高熱もでます。(p.53)
【「ふうてんの寅さん」のモデル】
脚本家の早坂暁さんと著者の対話
ところで、金子みすゞの出身地は山口県の仙崎。日本海側。現在は長門市になっているらしい。
【下関は東京に次ぐ一大経済都市だった】
脚本家の早坂暁さんと著者の対話
矢崎 渥美清さんというと「寅さん」のイメージがありますが、寅さんのモデルは、山田洋次さんが戦後、宇部から電車に乗って仙崎に買い出しに来たとき、汽車で出会った人なのだそうです。すごくおもしろいおじさんで、その人がいたおかげで、ぎゅうぎゅう列車が和やかになった。その思い出から寅さんができたそうです。だから山田洋次さんも仙崎が第2のふるさとだとおっしゃっています。
早坂 彼は旧制の山口高校です。ぼくは松山高校で、野球の試合で、お互いよく行ったり来たりしていました。瀬戸内海には、寅さんの原形みたいな人がいるんですね。
ぼくの『ダウンタウン・ヒーローズ』という映画も彼に撮ってもらったのですが、どうもあの人は女の人がわからないですね(笑)。全然女のことはわからない。「早坂さん、松山高校でこんな遊びをしていたんですか。信じられない」「信じられないって、じゃあ、あなた、山口でなにしてたんですか」「勉強ばっかりしてた」。そのほうが信じられないですよ。(p.74-75)
女の人を知らない監督さんだったから、女性に対して憧憬のみで生きていける寅さんシリーズができたんだろう。これも「寅さん」がロングセラーとなった根拠に違いない。早坂 彼は旧制の山口高校です。ぼくは松山高校で、野球の試合で、お互いよく行ったり来たりしていました。瀬戸内海には、寅さんの原形みたいな人がいるんですね。
ぼくの『ダウンタウン・ヒーローズ』という映画も彼に撮ってもらったのですが、どうもあの人は女の人がわからないですね(笑)。全然女のことはわからない。「早坂さん、松山高校でこんな遊びをしていたんですか。信じられない」「信じられないって、じゃあ、あなた、山口でなにしてたんですか」「勉強ばっかりしてた」。そのほうが信じられないですよ。(p.74-75)
ところで、金子みすゞの出身地は山口県の仙崎。日本海側。現在は長門市になっているらしい。
みすゞさんは夕日が美しいところに生まれています。海に太陽が沈んでいくとき、「今日一日が終わった。私はいったいなにをしたのかしら」と、そういうことを思わずにはいられないのが夕日です。だから内省的なのです。(p.84)
《参照》 『金子みすゞ ここのろ宇宙』 矢崎節夫 ニュートンプレス【下関は東京に次ぐ一大経済都市だった】
【金子みすゞの詩の “すごい“ ところ】
この対談集の中では一人、あまんきみこさんという女性の童話作家の方が対談しているけれど、それを読んでもチャンちゃんにはピンとくるところがなくて、なんだかよくわからない。
矢崎 その「すごいね」と思われた詩はなんでしたか?
早坂 「大漁」と「私と小鳥と鈴と」でしたね。「みんなちがって、みんないい」、こんな簡単な言葉ですごいことをいっているわけです、やさしい言葉ですごいことをいえるというのは、いちばん素敵なことですからね。 ・・・(中略)・・・ 子どもにももちろんわかるのだけれど、感動するのは、子どもではなくおとなだと思います。そういう意味では理屈っぽい詩です。座標が劇的に変わるうえに、すごく論理的に展開するのです。「蜂と神様」なんて、コマ落としにズーム・バックしていき、またポンともとに戻るすごさ。ああいうものは今までの童謡、もしくは日本の詩にはなかったですね。
俳句のなかにはありますね。俳句は自然のものを詠んでいるわけですが、みすゞさんの詩は、俳句の持っている自然感を色濃く持っていることと、まったく浮世絵のように、人間の目と鳥や虫や動物の目でものを描いている。このすごさですね。びっくりしました。(p.82-83)
この本でここまで対談しているオジサンたちは年配の方ばかりだから、論理的であることに感嘆しているけれど、近年の精神世界ブームを経てきた人々にとっては、たとえそれが男性であったとしても、同じ「蜂と神さま」の詩を素直に感覚的に“そのとおりだよねぇ~”って思えるはずである。 早坂 「大漁」と「私と小鳥と鈴と」でしたね。「みんなちがって、みんないい」、こんな簡単な言葉ですごいことをいっているわけです、やさしい言葉ですごいことをいえるというのは、いちばん素敵なことですからね。 ・・・(中略)・・・ 子どもにももちろんわかるのだけれど、感動するのは、子どもではなくおとなだと思います。そういう意味では理屈っぽい詩です。座標が劇的に変わるうえに、すごく論理的に展開するのです。「蜂と神様」なんて、コマ落としにズーム・バックしていき、またポンともとに戻るすごさ。ああいうものは今までの童謡、もしくは日本の詩にはなかったですね。
俳句のなかにはありますね。俳句は自然のものを詠んでいるわけですが、みすゞさんの詩は、俳句の持っている自然感を色濃く持っていることと、まったく浮世絵のように、人間の目と鳥や虫や動物の目でものを描いている。このすごさですね。びっくりしました。(p.82-83)
この対談集の中では一人、あまんきみこさんという女性の童話作家の方が対談しているけれど、それを読んでもチャンちゃんにはピンとくるところがなくて、なんだかよくわからない。
【詩と童謡】
童謡はひとつの形です。詩は、自分のなかの自分で書き、童謡は自分のなかのみんなで書く、と、童謡詩人のまど・みちおさんからうかがったことがあります。詩は、自分の発見や感動を自分の言葉で書き、童謡は自分の発見や感動を誰もが分かる言葉で書く、ということでしょう。だから、金子みすゞの童謡を読むと、ぼくもこんなふうに感じたことがある、私もこんなふうに考えたことがある、あのことはこんなふうに書けばよかったんだ、と思うのでしょう。作品のなかにみなさん一人ひとりの思いを見つけることができるのです。(p.96-97)
<了>
金子みすず関連・参照