
文学博士(仏教学者)の著作である。人生を “苦” と見る仏教的な視点で語られたこの著作は、新しい時代を志向するに相応しい内容とは思えない。良き人、心優しい人、善意の人を目指す立場は、王道でこそあれ何ら不当なものではないけど、それが保たれていた古き良き時代を生きた人々の志を語り継ぐだけでは、新しい時代を先導するだけの力とはなりえない。これこそが仏教自体の隘路なのではないだろうか。
【みんなちがって、みんないい】
我儘を絵に描いたようなネコの親分(妹)が、「みんなちがって、みんないい」と言ったから、詩の意味とは関係なく、「お前さんみたいなのが二人いたら、家族はえれえこっちゃ」って思ったものだ。 (「冗談だよ親分」)
【みんなちがって、みんないい】
「私と小鳥と鈴と」
私が両手をひろげても
お空はちっとも飛べないが。
飛べる小鳥は私のように、
地べたを早く走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄はしらないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。 (p.21-22)
本書の副題になっている金子みすずの詩の中で、一番よく知られている詩なのだろう。この詩のタイトルが、「みんなちがって、みんないい」 ではないことに、いまさらながら気がついた。素晴らしい詩であるけれど、私がこの金子みすずのこの詩を知ったのは、妹が童謡をテーマに論文を書いていたからだ。私が両手をひろげても
お空はちっとも飛べないが。
飛べる小鳥は私のように、
地べたを早く走れない。
私がからだをゆすっても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のように
たくさんな唄はしらないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。 (p.21-22)
我儘を絵に描いたようなネコの親分(妹)が、「みんなちがって、みんないい」と言ったから、詩の意味とは関係なく、「お前さんみたいなのが二人いたら、家族はえれえこっちゃ」って思ったものだ。 (「冗談だよ親分」)
【江戸時代に歌われた歌】
そもそも金子みすずの詩の中には、上掲の詩も含めて、仏教的な視点だけでは納まらない純真な内容を持つものがいくつもある。
いずれも、仏教的な視点での解釈は、はなはだ原意を狭めてしまっているのではないだろうか。だからこの講話集はしっくりこないのである。宮沢賢治においてすらも、仏教的な視点を離れて、“神国・日本の民だからこそありえた表現” と解釈する論考があって当然、とチャンちゃんは思っている。
お前百までわし九十九
いつも三月花盛り
死なぬ子三人みな孝行
使っても減らない金十両
死んでも命があるように
ご立派でしょう。・・・(中略)・・・。人間の命に対する執着、欲は凄いものです。 (p.67)
チャンちゃんはこの唄に、人生の辛さを明るく笑い飛ばそうとする吉本新喜劇のギャグのような精神を感じる。仏教学者のお決まり用語である「執着」に充てつけられて収まるものではないと思うけれど、どうなのだろう・・・。いつも三月花盛り
死なぬ子三人みな孝行
使っても減らない金十両
死んでも命があるように
ご立派でしょう。・・・(中略)・・・。人間の命に対する執着、欲は凄いものです。 (p.67)
そもそも金子みすずの詩の中には、上掲の詩も含めて、仏教的な視点だけでは納まらない純真な内容を持つものがいくつもある。
いずれも、仏教的な視点での解釈は、はなはだ原意を狭めてしまっているのではないだろうか。だからこの講話集はしっくりこないのである。宮沢賢治においてすらも、仏教的な視点を離れて、“神国・日本の民だからこそありえた表現” と解釈する論考があって当然、とチャンちゃんは思っている。
金子みすず関連・参照
<了>