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 1983年から13年間リコーの社長をされていた方の著作。プラザ合意(85年)とバブル崩壊(90年)という二つの危機の時代をかじ取りしていた。2002年11月初版。

 

 

【社内企業家】
 プロジェクトのメンバーは商品づくりから販売、サービスまで全部を一貫して行う。リコーではこうした業務を担当する社内企業家を何十人もつくった。
 スペシャリスとジェネラリストと社内企業家と、この三種類が会社の中で育つようにする。その中から管理者も出てくるし、経営者も出てくる。これが今までと違うところだ。 (p.30)
 呼び方は違っているかもしれないけれど、今日では、これと同様な制度を採用している大企業が少なくない。
 工場内でもライン生産方式からセル生産方式へと戻されてきた。人は全ての過程に関与した方がはるかに遣り甲斐を感じることができるから、生産性も高くなるのである。
   《参照》   『ウェブ時代 5つの定理』 梅田望夫 (文藝春秋) 《後半》
             【小さい組織の時のやり方を維持する】

 

 

【ファクシミリは日本が最初】
 日本より海外のほうが、ユーザーレベルのデジタライゼーションは遅れていた。これは本当におもしろいのだが、かつて複写機そのものの普及も日本がいちばん早かった。
その理由は文字と関係がある。日本の文字というのは絵文字なのである。イメージ・プロセッシングでないと処理できないのである。(p.34)
 ユーザーレベルのコンピューター、すなわちパソコンも日本のほうがアメリカより早かったのである。
   《参照》   『反骨のすすめ』  渡邊和也  マイクロマガジン社
             【パソコンは日本(NEC)が先!】

 アルファベットを使っているアメリカは、すべてデータ・プロセッシングで処理していたけれど、漢字が中心の日本では、日本語を一種の絵として処理できるようにイメージ・プロセッシングの技術を磨いていたという経緯があったから、ファクシミリの実用化は日本先だった。
 今日のアメリカでは、データ・プロセッシングで処理される高機能なスマートフォンに、絵文字が利用されるようになっている。日本のアニメ文化で育ってきた世界中の若者たちは、日本人のメール文化に必要不可欠な絵文字を、すんなりと受け入れるようになってきている。
 世界に対して日本文化を語りたい人は、パソコン、ファクシミリ、そして絵文字も日本が最初であることを覚えておこう。

 

 

【お役立ち思想】
 組織や人を整えて、彼らが活躍しやすい場づくりをした。部下たちが働きやすいように “お役立ち” をしただけである。(p.45)
 役職者は威張るものではなく、部下たちが働きやすいように “お役立ち” をするのが仕事。部下たちは顧客に喜んでもらえるよう ”お役立ち” に徹する。リコーイズムの主柱であるらしい。
   《参照》   『アメリカのサービス革命』  国友隆一 ぱる出版
             【経営とは】
 日本の会社の組織図は、例外がないといっていいほど、会長や社長を頂点にしたピラミッド型である。浜田は、これはおかしい、逆ピラミッド型であるべきだと言っている。(p.60)

 

 

【随所に主となる】
 臨済宗の開祖、臨済の言葉を、経営に当て嵌めると、
 「お役立ち」と「納得」がリコーのキーワードだとすると、「随所に主となる」が経営者や管理職のための行動のキーセンテンスである。
 随所に主となるという状況をどれだけつくることができるかというのが、トップマネジメントや管理職にとって重要なのだ。随所に主となる自分の部下たちに居場所をつくりこんでいくということである。(p.64)

 

 

【わが行ひにせずば甲斐なし】
 郷里の鹿児島には、いろは四七文字をそれぞれ頭文字にした「いろは御歌」というものがある。島津忠良(号は日新斎(じつしんさい)。1492~1568.島津家支流伊作家で生まれ、神、仏、儒の三教をきわめ、文武の道に達し、政治経済文化の各方面に善政をしいた。島津家中興の祖といわれる)の作で、人間として社会に生きる道を説いたものだ。
〈い〉 いにしへの 道を聞いても 唱えても わが行ひにせずば 甲斐なし  (p.87)
   《参照》   『声に出して活かしたい論語70』 三戸岡道夫 (栄光出版)
             【恥躬之不逮也】

 

 

【「疲れた」は禁句】
 「疲れた」という言葉は、自分だけでなく周りまで疲れさせる。私は長い間、これを禁句にして大きな発見をした。
 人は疲れたと感じるから「疲れた」と言うのだと思っている。しかし、この因果関係は本当は反対なのではないか。「疲れた」と言うから疲れるのではないか。私は「疲れた」と口に出さなくなってから三〇年以上、疲れた記憶がないのだ。(p.98)
 「疲れる」というネガティブ系列の単語は、ドーパミンを分泌させない。だから本当に「疲れる」のである。
 帰り際に言いあう「お疲れさまでした」も、定型句であるにせよ “余計なお世話!” なのである。
   《参照》   『新世紀を拓くバイオメディア』 志賀一雅  ジュピター出版
             【疲れないコツ】

 

 

【肩書きと言うものは】
 リコー二代目社長の舘林三喜男さんが社長に就任するときの言葉。
「会社というのは、組織で力を合わせて結果を出していかなければならない。組織活動するために役職と言うのがあって、私は社長としてみなさんと一緒に仕事をさせてもらう。ある人は本部長、ある人は部長、ある人は課長という役職で仕事をしているけれども、これは組織活動をうまく運営するための約束事であって、人間としては仮の姿だ。肩書きと言うものは、そんなものだ。私は社長である前に、一(いち)タテバヤシ・ミキオ個人である。仕事が終わったあとは、君達一人ひとりと個人対個人でつきあいたい。よろしく頼む」
 役職は会社における約束事であって、人間としては仮の姿だというのは、普通の人では言えないすごい言葉である。思わず涙が出そうになった。
 すっかり感動して、今度の社長には何を言ってもだいじょうぶだと、みんなに言って歩いた。実際にそのとおりだった。(p.167)
 「権力」の「権」にも「まにあわせ」とか「かりそめ」とか「いっとき」の意味がある。「役職は、公私を通じて部下に対して権力(パワー)を有する」、と思い込みそのとおり行動している役職者は、ドン引きの極地というほどに教養がない。
 公権力を行使する検察・警察の中には、欧米発想の「力(パワー)による制圧」という概念しかなさそうな人々が結構いる。舘林三喜男さんは旧内務省出身者だったと書かれているけれど、今日の警察や検察って、甚だしく劣化している。今日では、「闇の権力」に忠実な用心棒(ゴロツキ)という傾向が強いのだろう。そうであるなら、単なるウンコ警察である。
   《参照》   『小沢革命政権で日本を救え』 副島隆彦・佐藤優 (日本文芸社)
             【小沢・検察戦争】

 

 

【けじめ】
 私は一歳でも年上の人には、敬語をすっと使っている。このけじめさえきちんとできれば、問題はないと思う。社長になったとたんに、「君」づけで呼んだりするのは、いかがなものかと思う。 (p.175-176)
 今どきは、肩書きと年齢がバラバラな職場が多いけれど、肩書きを持った若者にこのようなケジメがなければ、年上の部下たちの士気は強烈に盛り下がる。けじめがないというより、教養がなさすぎるだろう。
   《参照》   『声に出して活かしたい論語70』 三戸岡道夫 (栄光出版)
             【君、臣を使うに礼を以てし、臣、君に事うるに忠を以てす】

 

 

【やりたいことをするのが充実した人生か?】
 自主性というものに対する勘違いが教育現場にあるのではないか。私はそう思う。今の教育では、自分がやりたいものをしっかりやっていくのが、もっとも充実した人生だと教えている。
 しかし、社会を知らないのに、社会へ出る前に自分がやりたいことをイメージできるだろうか。しかも、就職した会社でやらされる仕事の種類は、100人いたら100種類ぐらい違うのである。イメージどおりできるはずがない。(p.207)
 大人たちは、やりたいことではなく、役に立つことを喜びとして働いてきたといえるだろう。
   《参照》   『働く理由』 戸田智弘 (ディスカバー)
             【自分のやりたいことをやる?】
          『人を敵にまわすか味方にするか』  小山政彦  大和出版
             【3年間の集中があなたを天才にする】
          『悟りは3秒あればいい』 小林正観  大和書房
             【第3の生き方】

 

 

   《参照》   キヤノン関連の読書記録
 
<了>