《前編》 より
 

 

【装飾と集団心魂】
「装飾」 とは、一体何を意味するのでしょうか。身を飾ることによって、人間の精神を外的に表現しているのです。 ・・・(中略)・・・。昔の民族は、「グループで一体」 と、思っていました。そして、ある神霊存在を自分たちの集団心魂と見なしていました。「この集団心魂が自分たちを結び付けている。自分たちは身体の一部のように、この集団心魂に属している」 と、彼らは考えていました。(p.92-93)
 学生時代にシュタイナーを読んでいて、印象的だったことの一つは、「人類が個人としての意識を持つようになったのは、比較的最近のことである」 という記述があったことである。つまり 「古代人は群魂意識を持っていた」 と書かれていたのである。さながら妖精のような群魂意識で生きていたというのである。
   《参照》   『妖精世界』 G・ホドソン  コスモ・テン・バブリケーションズ
             【さまざまな精霊】

 装飾は、群魂意識からの派生であろう。
 このことを念頭に置いておけば、歴史ばかりではなく、いろんなことの理解に役立つはずである。

 

 

【衣服】
 衣服は大体、霊的必要性から発生したのです。 (p.93)
 防寒というのはウソである。
   《参照》   『装いの文化』 樋口清之  装道出版局
             【衣服の起源は気温と無関係】

 霊的必要性に関する、日本人の和服の例とすれば、 “振袖” とか、 “結び” など。
   《参照》   『美人のお作法』 友常貴仁 (インデックス・コミュニケーションズ)
             【振り袖と留袖】
 古代ローマ人とギリシャ人は、裸で歩くとき、「裸体が人間の全体なのではなく、そのほかに超感覚的な身体がある」 ということを、まだ知っていました。その超感覚的な身体を、彼らはトーガで模倣しました。 ・・・(中略)・・・。トーガはアストラル体(感受体)にほかなりません。トーガの芸術的な衣紋のなかに、アストラル体の力が表現されています。(p.96)
 東洋における仏像芸術の光背がオーラ(アストラル体)の表象であることは、よく知られている。
 ボディコンって、完全に霊性を失い物質(欲望?)次元の認識に墜落し切った人間の衣装だろう。

 

 

【菜食 : 身体の主人になる】
 菜食にすると、体内に摂取された植物は人体に多くのことを要求します。 ・・・(中略)・・・。人体は自分で脂肪を製造する能力を有しており、「脂肪でないものから脂肪を作る」 ように要求されるのです。つまり、菜食にすると、人間は内的活動を展開しなければならず、 ・・・(中略)・・・ 動物性脂肪を摂取すると、そのような活動が省かれます。
 唯物論者は、「努力なしに、たくさんの脂肪を得られるなら、それは人間にとってよいことだ」 と、言います。精神的な立場からは、「内的活動こそ、内的生命本来の展開だ」 と、見なくてはなりません。自分で脂肪をつくり出す力を呼び起こす必要がある時、その内的活動のなかで、自我とアストラル体(感受体)が肉体とエーテル体(生命体)に対して主導権を持ちます。 ・・・(中略)・・・ 菜食にして、みずから活動する機会を得るなら、人間は自由になり、自分の身体の主人になります。(p.118-119)
 近代栄養学は、近代人の肉体を一見健康そうにしてきたけれど、その代償として、アストラル体(アストラス=星:宇宙存在)との連繋を弱めたことで、霊性を衰退させてきたのである。
 動物性脂質を多く摂取しない日本食は、単に健康食という観点のみならず、地球全体が霊主体従のエリアに入ってゆく過程で、必然的に再評価されているのである。
 肉体を維持する上で、必要なものを十分に供給しないからこそ励起されるものがある。その中で最も重要なものが人間本来の主人である “霊性” である。上記書き出しの記述は、不食効果の根拠にもなっている。
   《参照》   『不食』  山田鷹夫  三五館

 

 

【肉食と菜食】
 菜食にすると、人間は内面的になり、自立して、自分の存在全体を導けるようになります。菜食中心にすると、自分の内的な力が優勢になり、視野が広くなります。肉食中心の人は、狭い範囲の領域に縛りつけられて、一面的に硬直するようになります。(p.122)
 徹底した菜食主義者は、最初から動物性脂肪のミルクまで拒みがちだけれど、シュタイナーは以下のように言っている。
 肉食を完全にやめた場合に、すべてをアストラル体から遂行するだけの力を持たない人に、ミルクは適しています。純粋に外的な事実から、人体に必要なもの全てをミルクが含んでいることが洞察できます。唯一絶対のものではないとはいえ、人間の個人的特性から最も独立しているものがミルクなのです。(p.126)

 

 こうあるけれど、今日のミルクには、様々な抗生物質が混入してしまっている。それがもたらすデメリットは、シュタイーナーの語っているメリットとは別の側面から、人体を劣化させてしまうので、個人的な体質を考慮した上での自己判断になるだろう。

 

【コーヒーと紅茶】
 コーヒーを飲みながら世間話をすると、何かを完全にこき下すまで、一つの対象に思考がとどまります。それは機智ではなく、コーヒーの作用です。
 紅茶は正反対の作用を生じさせます。特に濃い紅茶を飲むと、思考は飛び散り、明るくなります。後者の作用は、機智ある思考、まばゆい思考を輝かせますが、その思考の個々の部分は軽々しいものになります。(p.125)
 この違いは、誰でも体験的によく分かるだろう。
 具体的なデータを知っているわけではないけれど、男女の脳の違いからして、男性はコーヒー党、女性は紅茶党が多いんじゃないだろうか。コーヒー男と紅茶女は、いっそのこと別居生活の方がうまくいのかもしれない。
 論理的関連や一つの思考への集中を、コーヒーに委ねることになり、人間本来の内的な力は弱まります。(p.125)
 冴えてない時にコーヒーのメリットを生かそうとするのは良いにしても、コーヒーに依存し過ぎるのは内的活動励起に依るアストラル体の感覚を鈍らせることになってしまうということ。

 

 

【語りかける植物】
 パラケルススも植物の治癒力を直接認識しました。 ・・・(中略)・・・。心魂の中に生きる植物のイメージに、「私はその病気に効く」 と、植物自身が話しかけるのです。植物は、自分を見ている人の心魂の中に自分のイメージを認識して、自分のイメージを変化させます。こうして人間は、その植物がどの病気に効くのかを直接的に知覚します。(p.135)
 パラケルススのような心魂を有する人々は洋の東西を問わず大勢いたことだろう。もちろん現在でもいる。
 東洋の様々な漢方薬も、植物の語りかけを知覚できる人々によって、品ぞろえが豊富になったのだろう。
 ところで、上の記述を書き出しながら、「もしも植物が嘘つきだったら、どうなるの・・・?」 と思ってしまうけれど、そんな問い自体が人間心なのである。たぶん植物は人間のように邪な部分は持ち合わせなくて、存在自体がピュアなのである。

 

 

【汝自身を知れ】
 古代ギリシャの密儀神殿の言葉 「汝自身を知れ」 は、もっとも深い人間洞察への要求として、全人類に響いています。 ・・・(中略)・・・ この言葉が意味しているのは、「高次の自己を認識するように」 という促しなのです。(p.165)
 私たちはどのようにして高次の自己を知ることができるのでしょうか。(p.211)

 「土星」 の秘密、「太陽」 「月」 「地球」 の進化。輪廻と業(カルマ)、神界(天国)と欲界(煉獄)について精神科学が語ることをとおして、私たちは高次の自己が存在する世界について知るのです。そのようにしてのみ、私たちは物質界を越えた高次の自己を知るのです。(p.212)
 広範な領域を語るシュタイナーの本はどれもロングセラーになっているはずである。日本でも今後はむしろ読者が増えるのではないだろうか。特定の宗教団体に属さなくても、シュタイナーの著作を通じて、世界史上の広範な霊学が学べるだろう。但し、日本神霊界に特化した霊学は無理である。
 
 

  ルドルフ・シュタイナー著の読書記録

     『人間の四つの気質』

     『世界史の秘密』

     『仏陀からキリストへ』

     『第五福音書』

     『はじめてのシュタイナー』 志賀くにみつ

 
<了>