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 著者自らの身体を用いて、不食実験継続中だという。正確には「不食」ではなく「微食」のようであるけれど、いずれにせよ、この本は興味深い。個々の人間の肉体に秘められた潜在的なパワーを開示する一過程を示しているように思える。
 背表紙と表紙をめくった最初のページに、著者のヌード写真が掲載されている。といってもオチンチンは隠されているが(当り前?)、とても若い。1951年生まれとあるので現在56歳。とてもそうは見えない。この本を手にしたメタボリックな読者の皆さんは、きっとコッパズカシイとか思う比較レベルではないので、「ウッソ~」 って言うに決まってる。

 

 

【クローン羊のドリー】
 乳腺細胞から、羊のドリーは誕生した。つまり個別化された乳腺細胞が逆進化して全能性を持つ細胞に復帰した。個別化した細胞が受精卵にまで回帰した。
 その手法が何であったかというと、じつに簡単なだれにでもわかる方法なのだが、栄養を断ったのである。つまり断食状態にしたのである。 (p.18)
 マイナス数十度の冷気を肌に当てることで、肉体を健康にさせる療法もあるけれど、これと同様であろう。肉体は、危機に対応しようとした場合、驚くべき力を発揮するようにできているようだ。

 

 

【成長=老化促進】
 豊かな栄養のおかげで、日本人の高校生の体格は大きくなった。つまり成長が早まっている。性的な成長も早く身体に訪れている。・・(中略)・・。成長が早いということは老化も早いということだ。つい都合よく考えてしまうのか、あるいは老化の進展を故意に見ないようにしてしまうのかはともかく、当り前の結論ではある。 (p.73)
 まさに。

 

 

【過剰が病気を生む】
 健康体にとって、病気は余剰である。病気は過剰による産物で、不要なものである。それは生きるうえでの贅沢によって創造された。・・(中略)・・。不食は過剰な時代にあえて飢餓を与える。それによって身体は本来の能力を回復する。・・(中略)・・。これが不食による病気治癒理論だ。  (p.147)
 食生活が豊かになると癌患者が増える。癌は先進国病である。不食が嫌なら、せめて粗食にすればいい。
 医者に見離された人が、断食道場に行って回復したという話しも何度か聞いたことがある。
 ケースバイケースであろうけれど、過剰が病気を生むという基本的概念は正しい。

 

 

【食べない人間は澄んでいる】
 僕が食べるのは暇をもてあますからだ。精神が爽快でないとき誤魔化しに食べる。それは悪循環に陥ることがわかっているが、なかなか人間は理屈どおりには動かない。
 わかることは身体と精神が透明であれば、食欲は湧いてこない。身体と心が、濁っているとその濁りが食欲になって現れる。食べない人間は澄んでいる。食べる必要のない人間の身体は美しい。心も精神も澄み渡っている。だれも言わないけれど僕は言う。 (p.100)
 『究極のしあわせ』の著者であり、オーケストラ指揮者としても活躍している高木善之さんも、著書の中で、「殆ど食べる必要が無い」と書いていたのを覚えている。
 そして、気を扱う人々は、押しなべて小食である。気というエネルギーを体内に取り込むことのできる人々は、多食など全く必要なくなる。
 気という言葉以外に、マナという言葉で表現する場合もある。仁徳天皇陵などの前方後円墳は、方形と円形を繋ぐ位置の両側に双方を繋ぐ矩形の橋のような部分がある。円形を下にして見れば、あたかも取っ手付の壺の形をしている。日本にある古代の天皇陵は、宇宙エネルギーを貯蔵するマナの壺のような形象をしているのである。
 あなたの心は繊細で、美しいか。ならばあなたの食は繊細で、美しい食事であるだろう。食は心の現れである。心を見せる必要は無い。あなたの食欲を見せて欲しい。あなたの食事を見せて欲しい。それであなたの美しさがわかる。心を見る以上にあなたの真実が、その食に投影されている。 (p.169)
 美食・過食にうつつを抜かしている宗教家がいたとするならば、その宗教家は、欲心に満ちているが故に邪神界に憑依されている人物である。邪神界も露骨な霊力を顕現させることができるから、霊力の源が分からない人々を信者に取り込んで大きな宗教団体を運営している輩も沢山いる。

 

 

【秘教的世界】
 僕が言えるのは、食べる以上の喜びが、食べないという世界にはある。それだけだ。 (p.126)
 かつてどれだけの人数か知らないが、僕と同様に不食の真実を知った。彼らは幻影を見抜いた。見抜いた時点で、彼らは地球から卒業証書を受けると同時に退去を命ぜられたか、あるいはその秘密を漏洩することのないように秘匿を命ぜられた。
 神に似せて作られた人間が神と違って食べなければ存在できないという制限を生きるためには幻想が必要だった。食べなければ生きられないという幻想で学びを続けるという道をそのときに選んだ。食べなければ生きられないと思い込めば人間は神とは違う一段低い存在なのだと、納得することができた。 (p.195)
 “仏陀、麻麦の苦行” という過程が仏典に記述されていたと記憶している。皮下の肋骨が露見しお腹の皮ですら背骨にペッタリと張り付いているほどになった仏陀の彫像を見たことのある人は大勢いるはずである。6年間だったであろうか、毎日、麻と麦1粒で瞑想を続けていた期間のことであるけれど、後世の大乗仏教教団は、「仏陀は、この “麻麦の苦行” を無駄なことだと悟って出家修行を止め、世俗に戻って大衆に教えを説きだした」 と都合のいい解釈しているが、そんなことはない。この6年間の不食(微食)期間に、仏陀は、精妙な波動体となって様々なことを学んでいたのである。
 人間が肉体を持って生きている期間は、ある程度の食を必要とする。しかし、2次元平面を這いずり回る芋虫が、やがて変態を遂げ、ついには蝶となって3次元空間へ飛翔するように、人間も肉体が属する3次元空間を超えて霊となって異次元空間へ飛翔するとき、食は不要となる。
 食を渇望する意識を保持したまま死んで霊体となったものは、愚かにも餓鬼霊となり、肉体を持つ者に憑依してまで食物の精気に執り付くのである。
 
<了>