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 前半は、「人間とは」、「日本人とは」という章で構成され、人類学の講義のような内容である。
 後半の半分が、タイトルに即した内容になっている。 

 

 

【正面化粧 VS 三面化粧】
 西洋の化粧、西洋の装身具はすべて正面化粧、正面装身具です。日本にだけ背面装身具があります。お化粧もそうですね。日本人の化粧は正面化粧ばかりでなく、側面化粧、背面化粧の三面化粧、つまり立体化粧です。 (p.20)
 側面化粧は、鬢を立てることや耳紅をつけること。背面化粧は衿を抜く着方をすることで、襟足を際立たせることだという。

 

 

【退化の代償?】
 人間は結局大脳の新皮質だけが発達したけれども、あとは全部退化したのです。又それだけの報いはありました。それが文化というものです。退化したものを補うものが文化で、そこに衣服も生まれてきたわけです。人間の衣服も、人間の装身具も、家屋も、調理法も、みな肉体の退化に平行して生まれてきたもので、それを補うための技術です。  (p.42)
 退化の代償ではなく、新皮質脳が発達した故の進化と考えるべきではないのだろうか。

 

 

【民族の身長は変化する】
 日本人でも、昔はヨーロッパ人よりも背が高かったんですよ。江戸時代気温が下がったから、背が低くなりました。今又高温期になってきたから、又伸びています。日本の子供は、決して栄養がいいから背が伸びるのではなく、遺伝周期によって高くなってきたので、あと170年間は高くなります。 (p.62)
 時代によって民族の平均身長は高くなったり低くなったりしていることは、遺骨などから確かな事実として報告されている。この文章の中には、高温期と遺伝周期という言葉が書かれているけれど、この二つの相関は示されていない。

 

 

【衣服の起源は気温と無関係】
 ドイツ人のブントという学者さんの説
 世界で一番厚い着物を着ているのはアラビア人で、着ているガウンはフェルトみたいに厚く、・・・(中略)・・・太陽光線が非常に強いから、全然光りを通さない熱い生地のものを着ています。しかも頭にはターバンを巻いています。
 世界で一番裸体に近い人間は、南米アルゼンチンのフェゴ島土人だといいます。全裸体でトナカイに引かせたそりに乗って獲物をとっています。 
 衣服の起源には暑さ寒さには必ずしも関係がない、ということですが、これは大変な発見ですね。 (p.79-80)
 寒暖をどう感じるかは、全くもって人間の意識の問題。

 

 

【衽(おくみ)】
 今の人は「奥身」と書くから意味が分からなくなりますが、何故端につけるのにおくみというか、というと、日本の衣服の仕立ての技術で「おく」とは “付ける” ということなのです。袖口だけ別のきれを付けると「おき口」といい、別衿をつけると「おき衿」といいます。・・・(中略)・・・。「おくみ」というのは身頃に付けた付属のきれ、という意味です。   (p.98-99)

 

 

【和服のルーツ】
 農作業の衣服であった 「貫頭衣(かんとうい)」 に、男女・身分の相違をつけるために 「袖」 をつけ、着脱に便利なように前の中央を切り 「おくみ」 を付けたのが、小袖の原型であり、これに模様をつけ、自由画を描き、江戸の元禄になって完成したのが、今日の和服なのだという。 (p.98 p.115)
 帯のルーツは、中国の 「褶(ひらみ)」 であると書かれている。(p.103)

 

 

【紀伊国屋文左衛門と奈良屋茂兵衛】
 江戸時代、元禄文化が爛熟していた時代、二人の金持ちが衣裳比べをし、民衆が群れ集って見物したという。しかし、将軍・綱吉がそれを見つけ、奢侈ぜいたくであるといって、二人は江戸追放の刑に処せられ、転落するもととなった。

 

 

【日本最古のデパートである三越】
 三井八郎左衛門高利(たかとし)が京呉服を売ることで大変な金儲けをし、できあがったのが 「越後屋呉服店」でした。三井家経営であったことから 「三」 と 「越」 をとって、明治27年に 「三越」 と改名します。
 日本最古のデパートである三越は、宮崎友禅斉の京都西陣の友禅染を売ることによって江戸に名をなしたわけです。友禅は売られることによってどんどん進歩し、元来麻友禅であったものが、絹友禅にかわり、今の京都西陣の染物を作っていくわけです。   (p.114-115)
            【三井財閥の創始者・三井高利】
            【松坂屋は三井財閥ではない(?)】

【「西陣」の名の由来は「応仁の乱」の陣地】
 応仁の乱(1467~77)のとき、山名宗全が陣を構えた場所を西陣、赤松円心が陣を構えた場所を東陣。のちのち、豊臣秀吉が戦国騒乱で逃亡した再び工人を集め、西陣の地に土地を与え、織物業の中心地としたことから「西陣織」と呼ばれるブランド名になった (p.115) そうである。
 秀吉の時代に企業集積された「西陣」を支えた工人の中には、朝鮮からやって来た人々がいたのは言うまでもない。彼らの多くが、冷たい川に入って衣を洗い流す過酷な労働に携わっていたのである。
 
<了>
 

  樋口清之・著の読書記録

     『梅干と日本刀』

     『帯と化粧』

     『柔構造のにっぽん』

     『装いの文化』

     『大和の海原』