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 2007年2月初版だけど、経済発展しつつあるベトナムに関するおおまかな経緯が分かる。タイトルの六面体について、ベトナムの魅力と可能性を探ることができる六方向からの側面観察だと書かれている。

 

 

【ベトナム発展因子の一つ】
 世界の宗教対立を受けて、インドネシアやマレーシアからシフトする企業も目につくようになっていた。事実製造業の多くはイスラム社会での生産活動に限界を感じ撤収する企業が相次いだ。そして新しい投資先としてベトナムに進出する企業が多かった。(p.20)
 政治的・宗教的不安定を抱える国は当然のことながら敬遠される。それでも進出するのは、中国企業くらいなものだろう。
   《参照》   『崩壊する中国 逃げ遅れる日本』 宮崎正弘 (KKベストセラーズ)
            【アフガニスタン】

 宗教対立とまでいかなくとも、イスラムに関しては宗教的社会習慣が、ビジネスに適さないとされる場合も少なくない。
   《参照》   『ジョホールからの手紙』 渡辺英二 日本図書刊行会
             【ある法律】

 

 

【女性の地位が高いベトナム】
 働き者のベトナムの特徴に一つとして忘れることが出来ないのは、女性の社会進出が定着していることだ。女性が中央政府の要職に多いばかりでなく会社の経営者にも多い。このことを知らず日本的な常識で判断すると、大きな失敗を招くこともあるから注意しなければならない。(p.26-27)
 中央政府の局長にアポを取り当日面会してみると、地味な服を着た小柄な女性が出てきて、秘書だと思いこんだ日本の大手企業の社長は、名刺も出さず、本題にも入らず、なんとなく世間話をしながら、なかなか局長がでてこないと思った末に、失礼な国民だと思って帰ってきてしまったのだという。
 冗談みたいな話である。

 

 

【ホンゲイ炭】
 ベトナムの石炭はホンゲイ炭と呼ばれ、日本では馴染みの深い石炭である。かつては日露戦争の日本海海戦で勝利をもたらすのに大きな役割を果たしてくれたし、第二次大戦後の日本の大動脈として東京・大阪間を走った特急列車 「さくら」 や 「つばめ」 の石炭は煙が少なくて火力の強いホンゲイ炭だったと語り継がれている。(p.49)
 石炭・石油といっても、産出地によってその品質には大きな差がある。
 それにしても、既に1900年頃からベトナムの石炭を輸入していたという事実に、ちょっとビックリする。
   《参照》   『ラララ 親善大使』 紺野美沙子 小学館
              【ベトナム】
 ベトナムのエネルギー産業(主として原油と石炭)は埋蔵量に恵まれ、このままの状態が続く限り今世紀末までは資源の枯渇はない。ベトナムは21世紀に最も懸念されるエネルギー問題を避けて通れる、世界でも数少ない国のひとつである。(p.51)

 

 

【東遊(トンズー)運動】
 実はベトナムには100年以上前に、「日本に学ぼう」 という運動があった。 「日本に学ぼう」 という運動、別名 「東遊(トンズー)運動」 を起こしたのは、ファン・ボイ・チャウ(Phan Boi Chau 藩佩珠)というベトナムの独立運動家だった。彼は、フランスの植民地支配からなんとか脱却するため、支援を求めて日本に来た。当初、彼が求めたのは軍事支援だったが、日本の指導者たちはこれを断った。
 史実によると、大隈重信や犬養毅などは、独立運動で何よりも大事なのは人材育成であると説いたという。そして、軍事支援の代わりに人材教育に協力することにした。
  ・・・(中略)・・・。
 東遊運動は、ベトナム全土に大きな話題と可能性を提供した、そして、最盛期には200人を超える若者たちが日本で学んだ。(p.72-73)
 チャウが来日したのは日露戦争勝利の直後の1905年6月である。なるほど、ベトナムからホンゲイ炭を輸入する代わりに、日本は人材育成でベトナムに還元していたということらしい。素晴らしい話ではないか。
 この運動は、1907年の日仏条約締結により中止されてしまったにせよ、このような独立の機運と東遊運動がその後も活動家に受け継がれ、ベトナム国民に勇気と自信を与えたことは間違いない。

 

 

【ベトナムの社会習慣】
 ベトナムは地縁・血縁が強い。強いというよりも地縁・血縁の上に成り立っているのがベトナム社会とも言えよう。
 時として進出企業が困却するのは、突然、従業員が休んでしまうことだ。「日本人的な愛社精神」 を望むことはまったく無理である。(p.67)
 ベトナムはフランスによる植民地時代以前、中国の支配下に置かれていたこともあるから、基本的には儒教文化圏であることが社会習慣の多くを定めている。地縁・血縁重視は科挙制度の影響らしい。

 

 

【「知らない」 「出来ない」 なんて言うわけない】
 ベトナムの国民性のひとつは絶対に 「知らない」 とか 「出来ない」 と言わないことだ。また 「自分の不注意でした、申し訳ありません」 と謝ることもしない。
 ベトナム人は、彼らが生きてきた歴史のなかで、自分の非を認めてしまうことは生きていかれないことだったのである。(p.115)
 これに関しては、日本人こそが世界の例外だったのだろう。正直や素直という徳目は、平穏で安定した社会が長期に渡って維持されていてこそ社会に定着するもののはずである。いつ異民族が侵入してくるか分からない大陸諸国や、略奪植民地主義に支配されたアジア諸国に、正直や素直といった徳目があると想定すること自体が錯誤なのであろう。
   《参照》   『成田の西 7100キロ』 雫はじめ 明窓出版
             【道を尋ねること】

 

 

【ベトナム発展の契機と日本】
 ドイモイを導入していたから、そしてソ連の崩壊があったから、この2つが相乗的に作用して、ベトナムの国づくりは加速度的な進展をしたのである。(p.69)
 ドイモイ政策とは、日本語で “刷新政策”。 86年の党大会で国民の総意により採択されていた。
 ソ連の崩壊は91年。これでドイモイに弾みがついた。
 さらに大きかったのは、ソ連崩壊の翌92年、日本からのODA(政府開発援助)再開である。
 日本のODA再開について日本政府は異例とも言える支援体制を組み、官民(政府・都市銀行など)を挙げて借款再開を実現した。(p.58)
 ベトナム政府は現在でも、このODAを再開してくれたことがベトナムの今日の経済成長の原点であるとの認識を持っており、日本に対して尊敬と信頼が厚い。(p.60)

 

 

【タンロン工業団地】
 日系工業団地として注目を集めたのは、住友商事が開発し管理しているハノイのタンロン工業団地である。ハノイのノイバイ国際空港から市内に向かう途中に展開されているタンロン工業団地には、日本を代表とするキヤノン、デンソー、TOTOなどの大手企業が入居しており、中国からのシフト先として一躍脚光を浴びた。(p.94)
 中国は外資系企業優遇措置をしなくなっているし雇用条件も厳しくなっているから、日本企業は徐々にべトナムを初めとする東南アジア諸国にシフトしてゆくのだろう。
 中国が抱える重大な環境問題、水問題、エネルギー問題、食糧問題のいずれも、ベトナムにはないのである。

 

 

【ベトナムは社会主義国ではない】
 ベトナム人はマルクス・レーニンの社会主義には興味を示していないこと。言い換えると信奉しているのは、社会主義というイデオロギーではなく、ベトナムの国づくりを共に闘ったホーチミンの提唱するホーチミン思想であるということです。
 ホーチミン思想とは①独立、②自由、③幸福を標榜し、国民がみな幸せに生きていかれる国をつくろう、というすごく単純な思想です。(p.156)
 「ベトナムは、社会主義国といっても冠だけである」 と書かれている。これと同様に、「中国経済の実態は自由経済だから、共産主義といっても冠だけである」 とは言えない。圧倒的な強権を行使する中国共産党政府が実在しているのだから。
 国の規模が違うから、中国は強権を維持せざるを得ないというデメリットをかかえ込まざるをえない。ベトナムは、規模の小さい国なりに、国際マネーに翻弄されない程度に節度を保ちつつ、日本をはじめとする外資を導入しながら上手に発展できれば最良なのだろう。
 
 
<了>