
1991年と1998年、2度のインド旅行の体験談が記述されている。かつて、横尾忠則や藤原新也といった人々の ”インドを思索する” 的な書物に惹かれたものであるけれど、インドを旅する個人旅行者の体験談は、この本が初めて。心に思う事を率直な口語表現で記述しているから、すらすら読めて面白いけれど、メリットはそこまでである。
【乾燥した感想】
この本の読後の感想は、正直なところ 「ハズレ」 である。
この本の読後の感想は、正直なところ 「ハズレ」 である。
押し売りや、ボッタクリ商売、写真撮影料の要求といった例など、先進国以外の中国や東南アジアでも当たり前に経験できることで、特別インドに限定されることではない。つまり、この書籍に記述されている体験の大部分は、インド固有のことではないのである。旅行体験記を初めて読む人にとっては興味深いであろうけれど、一度でも海外を自分で歩いたことのある人なら、「どこの国だって、こんなもんでしょう」 と当たり前に思うだけだろう。
インドの精神的な側面や歴史的な側面に思いを寄せているらしい記述は、殆どないから、結局記述内容にあまり意義を見いだせない。
インドの精神的な側面や歴史的な側面に思いを寄せているらしい記述は、殆どないから、結局記述内容にあまり意義を見いだせない。
【 「よくやってくれるよ」 】
インドではないけれど、中国でフイルム・カメラの電池を買って騙された経験ならある。通電時間わずか5分程度でおシャカになる電池を観光地で堂々と販売しているのである。本物は製造年月日が刻印されているけれど、偽物はスタンプ印である。騙された経験がなければ、そこまで気付かないもの。著者とまったく同様に、「よくやってくれるよ」 と思ったものである。
もっとも、最近の日本のアルバイト学生のレジ係りも悪質である。客がレジに並ぶ前から複数個のキーを押しておいて、それからバーコードに通すという手の込んだ悪質な手口に出会ったことがある。暗算で “おかしい” と思ったからレジの担当者と責任者を呼び出し指摘できたけれど、この手口で大勢の人々がカモられていることだろう。
さらに、チャンちゃんの家の近所のセブンイレブンの女子大生と思われるレジ係は、500円硬貨を欠いて釣銭を渡すということを、平然とやってのけていた。出口で気づいており返し、指摘しても何ら表情を変えることなく、「すみません」 の一言もなく500円硬貨を差し出した。明らかに確信犯である。計算などできない母親が常用している店舗なので、その場で責任者に、「そのアルバイト女子大生を止めさせてくれ」 と頼んでおいた。近年の日本の若者の倫理観の欠如は、かなり甚だしいといわざるをえない。
とりあえずいくらが妥当なのかわからないまま、自分としては大幅に値切ったつもりで紙に包まれた商品を受け取った。むこうにしてみりゃ散々しつこく値切った日本人野郎くらいにしかおもっていなかったのだろう。それをそのまま土産物としてバックにしまい込み、日本に帰って包装を開けたとたん・・・・、「なんじゃコリャ!」
そこには柄こそ買ったのと同じ物だが、小錦サイズにかえられた商品が入っていた。帰国してからのことだったのでどうすることもできず、「よくやってくれるよ」 というのが正直な気持ちだった。(p.60)
買ったのはクルーター(インドシャツ)だという。そこには柄こそ買ったのと同じ物だが、小錦サイズにかえられた商品が入っていた。帰国してからのことだったのでどうすることもできず、「よくやってくれるよ」 というのが正直な気持ちだった。(p.60)
インドではないけれど、中国でフイルム・カメラの電池を買って騙された経験ならある。通電時間わずか5分程度でおシャカになる電池を観光地で堂々と販売しているのである。本物は製造年月日が刻印されているけれど、偽物はスタンプ印である。騙された経験がなければ、そこまで気付かないもの。著者とまったく同様に、「よくやってくれるよ」 と思ったものである。
もっとも、最近の日本のアルバイト学生のレジ係りも悪質である。客がレジに並ぶ前から複数個のキーを押しておいて、それからバーコードに通すという手の込んだ悪質な手口に出会ったことがある。暗算で “おかしい” と思ったからレジの担当者と責任者を呼び出し指摘できたけれど、この手口で大勢の人々がカモられていることだろう。
さらに、チャンちゃんの家の近所のセブンイレブンの女子大生と思われるレジ係は、500円硬貨を欠いて釣銭を渡すということを、平然とやってのけていた。出口で気づいており返し、指摘しても何ら表情を変えることなく、「すみません」 の一言もなく500円硬貨を差し出した。明らかに確信犯である。計算などできない母親が常用している店舗なので、その場で責任者に、「そのアルバイト女子大生を止めさせてくれ」 と頼んでおいた。近年の日本の若者の倫理観の欠如は、かなり甚だしいといわざるをえない。
【味覚】
《参照》 日本と韓国 <文化に関する雑記>
● 日本に定着している韓国の食品 (「キムチ」と「JINRO」) ●
あんなに辛い香辛料のはいったものを平気で口にする人達が、どうしてこんなに甘ったるい味を好むのかはじめのうちはよく理解できなかったが、現地のコーヒーにしろチャイにしろ、砂糖をたっぷり入れた甘いものは血糖値を高くして満腹感を味わえるというから、それでこの国の人達に自然に愛好されているんだろうか。(p.127)
血糖値による満腹感というより、味覚障害に近いのではないだろうか。刺激レベルの高い食品を常用していると、あらゆる味覚に対して感受力が鈍るのであろう。韓国で売れていた焼酎が日本で売れなかった事例もそれである。《参照》 日本と韓国 <文化に関する雑記>
● 日本に定着している韓国の食品 (「キムチ」と「JINRO」) ●
【道を尋ねること】
なお、台湾のために書き添えておけば、堂々とウソを教えてもらった経験は1回だけで、その他の機会では、すべて親切に正しく教えてもらっている。
「やられたよ」 と思いながらも、ガイドブックにこの国の人達は場所を聞かれて分からない場合でも、適当な場所を教えることがあると書かれていたのを思い出す。(p.155)
チャンちゃんは、これを中国でも台湾でも経験している。 “適当に教える“ というより、 ”堂々とウソを教える“ と言った方がチャンちゃんの感覚には近い。それは 「知らない」 という言葉を発することが禁じられている国(民族)なのではないかと思えるような有様だった。 「分かりません」 といえる正直さ素直さは、日本人にはあっても、他民族には決してないものであることは、当然のこととして認識しておくべきである。なお、台湾のために書き添えておけば、堂々とウソを教えてもらった経験は1回だけで、その他の機会では、すべて親切に正しく教えてもらっている。
【ボンベイの特殊性】
ボンベイは今日ではムンバイと名称変更されているけれど、現地ではいまだにボンベイといった方が通りはいいそうである。
インド全体ではヒンドゥー教徒が約8割と圧倒的に多いが、ここボンベイにおいてはその割合がそのまま当て嵌まるわけではなく、仏教とやキリスト教徒に混じってイスラム教徒やゾロアスター教徒などもよく見かける。特にあの鳥葬による葬儀の風習をもつゾロアスター教徒(パースィー)の大多数はここボンベイに集まっている。(p.171)
ボンベイの特殊性は、このような宗教的なことばかりではない。大英帝国が植民地交易をするための主要な港でもあったのだから、ボンベイからインド各地へと向かうターミナル駅がロンドン風の作りになっていることに不思議はない。宗教以外の、そういったことも含めて、この都市にまつわる書籍があったらきっと面白いことだろうと思う。ボンベイは今日ではムンバイと名称変更されているけれど、現地ではいまだにボンベイといった方が通りはいいそうである。
<了>