
この本には、表題の芥川賞受賞作品以外に、『ペルソナ』 という作品も収められている。
『犬婿入り』は、風変わりな小説だった。この作品の特徴は、「長~い文体」 と 「怪しげな世界」 の2つである。
『犬婿入り』は、風変わりな小説だった。この作品の特徴は、「長~い文体」 と 「怪しげな世界」 の2つである。
【特殊な文体】
一文がやたらと長いのである。平均したら1ページの中に含まれる文章は2つ程度ではなかったろうか。リズム感のある短文で構成された作品は心地よいけれど、ならばこの作品は不快かというと、そうではない。この作品の一文の長さは、描かれている怪しげな世界へと読者を誘うのに適している。
この作品の文体のように、日本語は文末がなくても、ダラダラと表現が可能である。しかし、外国人が勉強しようとしてこの作品を選んだら最悪だろう。「わけわかんない」って言うに決まっている。
ふと思うのだけれど、もしかしたら、日本人の女性(オバサンたち)の会話の実態は、この作品の文体に近いのではないだろうか。
一文がやたらと長いのである。平均したら1ページの中に含まれる文章は2つ程度ではなかったろうか。リズム感のある短文で構成された作品は心地よいけれど、ならばこの作品は不快かというと、そうではない。この作品の一文の長さは、描かれている怪しげな世界へと読者を誘うのに適している。
この作品の文体のように、日本語は文末がなくても、ダラダラと表現が可能である。しかし、外国人が勉強しようとしてこの作品を選んだら最悪だろう。「わけわかんない」って言うに決まっている。
ふと思うのだけれど、もしかしたら、日本人の女性(オバサンたち)の会話の実態は、この作品の文体に近いのではないだろうか。
【特殊な世界】
この作品は、民話的でもあり、倒錯的なエロティシズムもある、怪しげな世界を描いている。
この作品は、子供を交えた団地内の出来事から何となく始まり、怪しげな作品の中に引き込まれ、明確な結論があるのでもなく、何となく終わってしまう。初めも終わりも希薄であるからこそ、真ん中が意味不明のままに怪しげである。
この作品は、民話的でもあり、倒錯的なエロティシズムもある、怪しげな世界を描いている。
この作品は、子供を交えた団地内の出来事から何となく始まり、怪しげな作品の中に引き込まれ、明確な結論があるのでもなく、何となく終わってしまう。初めも終わりも希薄であるからこそ、真ん中が意味不明のままに怪しげである。
『ペルソナ』
標題とともに掲載されている、もう一つの作品。
著者のドイツ留学中の体験を元にして書かれた作品らしい。
ペルソナとはユングの言うところの仮面というような意味合いなのだろうけど、その言葉に即してこの作品を解釈しやすいかどうか、チャンちゃんにはよく分からない。
標題とともに掲載されている、もう一つの作品。
著者のドイツ留学中の体験を元にして書かれた作品らしい。
ペルソナとはユングの言うところの仮面というような意味合いなのだろうけど、その言葉に即してこの作品を解釈しやすいかどうか、チャンちゃんにはよく分からない。
【留学生がこんな見解では・・・】
今も昔も儒教の祭祀を文化の中に取り入れているのは、日本ではなく韓国である。勤勉なのが儒教のおかげだというのならば、韓国人は日本人より勤勉ということになるであろうに・・・・・。
日本人が勤勉なのは儒教のおかげだと思うけれどね、だからこそここまで国を発展させてきたんじゃないか、それに比べて韓国はキリスト教を有難がっているからヨーロッパと同じで遅れているのさ、と和男はからかうように言うのだった。 (p.22)
小説の中の登場人物に語らせていることばであるけれど、この見解は全くデタラメである。今も昔も儒教の祭祀を文化の中に取り入れているのは、日本ではなく韓国である。勤勉なのが儒教のおかげだというのならば、韓国人は日本人より勤勉ということになるであろうに・・・・・。
【日本人の特徴はすべて 「神道」 に帰着する】
事実はどうか? 儒教国家の韓国人が日本人より勤勉というなら、遅れて経済発展を開始したとはいえ、ある程度は日本に比肩しうるような産業技術力が、韓国にあってもよさそうであるが、サムソンやLGといった国際的に活躍している企業ですら、現在も日本の技術力に依存しっぱなしである。
事実はどうか? 儒教国家の韓国人が日本人より勤勉というなら、遅れて経済発展を開始したとはいえ、ある程度は日本に比肩しうるような産業技術力が、韓国にあってもよさそうであるが、サムソンやLGといった国際的に活躍している企業ですら、現在も日本の技術力に依存しっぱなしである。
【サムスンの研究施設】
日本統治以前の純然たる儒教国家であった韓国の状況を記述した本を読んでみても、そこに描かれている国民は、勤勉とは正反対の傲慢・怠惰な両班と、屈服・怠惰な農民である。日本統治以前の韓国には、支配階級である両班の学問典籍である儒教古典しかなかったから、被支配階級である農民は単なる愚民である。日本のように古代から中世にかけて一般庶民に普及し愛好された古典や随筆その他の様々な文献など、韓国にはないのである。
日本人が勤勉であったのは、進歩向上を尊び、権威や権力より目に見えざるものを尊ぶ 「神道」 の思想が、儒教や仏教が渡来する以前から、日本にあったからである。
中国・韓国に仏教が根付かなかったのも、日本の神道に類する文化的な基盤がなかったからである。中国・韓国が儒教を国家の規範として採用したのは、階級差別的な支配制度として適しているという政治的判断に寄るのであって、両国は日本のように教養として儒教を咀嚼してはいない。日本が儒教の短所を回避して生活に生かす教養として咀嚼できたのは、神道が基盤にあったからである。
そして、韓国でキリスト教が普及したのは、国民の大多数を占める被支配階級の 「恨(ハン)」 が根本である。支配される者は支配する者を、さらに上から支配する唯一神を希求する。故にキリスト教が韓国に普及したのである。逆にいえば、キリスト教が普及している国は、昔も今も社会に “階級(CLASS) ” が厳然と存在している国なのである。
遅れている理由は、キリスト教ではなく “階級の存在” である。
日本統治以前の純然たる儒教国家であった韓国の状況を記述した本を読んでみても、そこに描かれている国民は、勤勉とは正反対の傲慢・怠惰な両班と、屈服・怠惰な農民である。日本統治以前の韓国には、支配階級である両班の学問典籍である儒教古典しかなかったから、被支配階級である農民は単なる愚民である。日本のように古代から中世にかけて一般庶民に普及し愛好された古典や随筆その他の様々な文献など、韓国にはないのである。
日本人が勤勉であったのは、進歩向上を尊び、権威や権力より目に見えざるものを尊ぶ 「神道」 の思想が、儒教や仏教が渡来する以前から、日本にあったからである。
中国・韓国に仏教が根付かなかったのも、日本の神道に類する文化的な基盤がなかったからである。中国・韓国が儒教を国家の規範として採用したのは、階級差別的な支配制度として適しているという政治的判断に寄るのであって、両国は日本のように教養として儒教を咀嚼してはいない。日本が儒教の短所を回避して生活に生かす教養として咀嚼できたのは、神道が基盤にあったからである。
そして、韓国でキリスト教が普及したのは、国民の大多数を占める被支配階級の 「恨(ハン)」 が根本である。支配される者は支配する者を、さらに上から支配する唯一神を希求する。故にキリスト教が韓国に普及したのである。逆にいえば、キリスト教が普及している国は、昔も今も社会に “階級(CLASS) ” が厳然と存在している国なのである。
遅れている理由は、キリスト教ではなく “階級の存在” である。
このようなことは、過去の読書記録の中に何度も書いている。
《参照》 『明治という国家[上]』 司馬遼太郎 (日本放送出版協会)
《参照》 『もう朝だぞ!』 友常貴仁 三五館
【聖徳太子の本質と、日本列島に宿る神々の魂霊】
【聖徳太子の本質と、日本列島に宿る神々の魂霊】
例え小説の中であっても、バカげた見解を記述して欲しくはない。
<了>