こんばんは♫ぜっきーです。

 

 

 

 

 

もはや

何から書いたらいいか

わからないくらい

連鎖、連鎖の日々です。

 

 

 

 

 

金曜日。

楽しみにしていた「ZINEに綴るクラブ」に参加。

 

 

 

初日から簡単なコピーでできるZINEを作成。

すっごい楽しかった!!

 

これから半年間、月に一度通って

ZINEを一冊仕上げます。

 

 

 

その足で関内へ移動。

PERSONZライブ、ツアー初日!!

 

 

会場内を飛び回る地球儀。

写真は全てJILLさんのインスタからお借りしました。

 

 

 

 

そして、翌日の土曜日。

急遽、名古屋へと向かいました。

 

兄の手術の

病理検査の結果が出たので

それを聞きにいったのです。

 

 

 

 

それがもう

予想以上の結果で

 

 

オールクリアでした!!!!

 

 

 

先にインスタライブで報告兼ねて話したよ🍀

 

 

*以下、メモ書きより抜粋します*

身体の状況が出てきます。閲覧にご注意ください。

 

 

【病理検査結果】

・術後の経過→概ね順調、まずまずの状態

・病理検査結果
 腹水→陰性(がん細胞なし)
 リンパ転移→なし
 胆嚢→がん細胞なし

・切除したがん細胞の大きさ→2センチほど

・化学療法の成果
抗がん剤(点滴)、放射線、経口抗がん剤(エスワン)すべてよく効いていた
生きているがん細胞は10%程度
90%は消失している

 

 

 

結果、なんと

 

ステージは現状1A(最も低いステージ)
となりました。(スタートは2aから3の間)

 

 

これにもう本当に

心底、驚いたのです。

 

兄と二人同時に「え!?」と声を上げるほど。

 

 

 

 

 

 

 

これ以降、

ちょっと生々しいリアルな病気の話になります。

読みたい方だけ読んでください。

 

 

 

------

 

2025年4月。ちょうど一年前。

 

兄から一本の電話をもらったことから

この闘病生活が、スタートしました。

 

 

兄のがんは

いわゆる

「最も転移しやすく」

「最も予後が悪い」と言われるがんでした。

 

 

発見はかなり早かったとはいえ

進行が早く、すでに血管に浸潤しており

「切除境界(手術できるかできないかボーダーライン)」の状態でした。

 

 

このがんは、切除できたとしても

転移・再発が非常に多いと言われています。

 

また、非常に難しい位置にあり

手術によって

がん細胞を体内に

ばらまいてしまうこともあるのです。

 

手術が最善策とはいえない、という状況もあり

とはいえ、切除できるに越したことはない、という

非常に難しい状態。

 (全てただの過去データです)

 

からの、治療スタート。

 

 

 

結局、一次治療で

思うようにがんは小さくならず

 

9月に「切除不能」の診断を下されました。

 

 

 

9月に手術不可、と診断された兄。

手術を目指して加療していたので

それはある意味「絶望」だった。

 

道が閉ざされた、と

そう解釈し

家族はもちろん

私でさえも、地の底に落ちた。

 

残された道は

「延命」しかない、と。

 

 

 

実はこの「箱根行き」の

まさに当日。

兄の病気に特化したコミュニティの情報が

私のスマホに『突然』表示され

 

しかもその患者会が

箱根から帰る翌日

東京で、開催されると知った。

 

 

すでに参加申し込みは

締め切られていたのだけれど

事務局にメールしたら

快く受け入れてくださって

 

箱根から戻ってすぐ

私は、その会に参加した。

 

 

そこは、とても素晴らしい会でした。

 

 
 
患者会に参加したことで
セカンドオピニオン受診を
強く、兄に勧め
 
 
家族間で大喧嘩しながらも
名古屋行きが決まりました。
 
 
名古屋には手術に長けた先生がいました。
 
兄の罹患しているがん治療では
日本で一番の名医と言われる先生です。
 
 
 
でも、この時
兄本人は「ダメ元で」の気持ちでした。
 
 
もう、期待したくないと
もう、期待して失望する
あの気分の急降下を味わいたくない、と

何度も繰り返し言っていた頃です。

 

 

 

そして、兄は知りませんが

 

最初の治療を受けていた

主治医の先生から

私は

 

「僕が紹介状を書いた患者さんの中で

 手術に漕ぎ着けた人は一人もいません」

 

はっきり、断言されていました。

(兄がいない場での会話です)

 

 

 

しかし。

名古屋の診察ではまさかの

 

「どこの病院でも手術不可とされる状態。

 でも、うちなら可能性がある」と診断。

 

 

可能性が生まれた!!と

喜んだのも束の間

 

 

この後も

弱気すぎる兄と

家族とで大揉めに揉めました。

(エゴって本当にすごいわぁー・笑)

 

 

 

この後の経緯

ブログには詳しく書いていませんでしたが

 

 

兄も翌日には腹を決め

名古屋でまず、手術に向けて

放射線治療だー!!と

息巻いて乗り込んでいったところ

 

 

事前のCT検査で

「肝臓に影があります」と言われ

急遽、計画中止。

 

 

 

この時

瞬時に

鬼気迫る勢いで

先生に頼み込み

その日のうちに無理やり

MRIをねじ込んでもらったのは私です。

 

 

結果は一週間後となりました。

 

 

 

兄は、泣いていました。

肝転移であれば、もう手術不可となり

延命治療のみとなるのです。

 

 

「俺の判断が遅かったからだ」

「せっかく手術できるって言われたのに、ぐずぐずしてたからだ」

 

 

帰りの新幹線

とにかく私は

自分の意識を「創造主=空」に起き続け

 

 

「決まったことなんてひとつもない」と

兄に淡々と言い続けながら実家に戻ったのです。

 

 

 

 

翌週、元の病院で

最後の抗がん剤治療(点滴)を受け

翌日、結果を聞きに

名古屋入りする予定でした。

 

 

兄の加療中、毎回2時間半くらい

私は待機なのですが

 

 

 

ふと。

本当にふと。

 

 

「なんか、電話でいけんじゃね?」

と、声が聞こえてきたのです。

 

 

 

 

私はなーんにも考えず

フラットに

名古屋の病院に電話をかけて

 

「兄の体調があまり良くないので(大嘘)。

 電話で結果を聞かせてもらえませんか?」と

尋ねてみました。

 

 

 

代表電話口のお姉さんは

 

「個人情報になるので

 電話で結果はお伝えできないことになっています」と

キッパリとおっしゃられました。

(そりゃそうだろうな、「普通はね」←疑いどころ)

 

 

しかし。

 

その時たまたま

名古屋の担当医が外来中で

在籍しているとのことで

電話を診察室に繋いでくれました。

 

 

 

 

そして、開口一番

「あー、大関さんの妹さんですか。

 肝臓ですね、良性でした」

 

 

 

 

 

ねえ!

個人情報は!?(爆)

(だから常識なんて何の役にも立たない、意識が先!!!)

 

 

 

 

 

しかも、名古屋の病院

早いんです、全てが(笑)

 

 

 

「それでね、放射線治療なんですけど

 明後日か、来週の月曜から

 始められますけどどうします?」

 

 

「・・・えーっと、すみません。

 本人が加療中なので

 今日の昼までに決めて電話します」

 

 

 

私は点滴中の兄のところに

すっ飛んでいって

泣きながら(看護婦さんに大層心配されました)

 

「肝臓、良性だったよーーーーー(泣)

 ところでさ、すぐ入院って言われてるけどどうします?」

(感情の振り幅大きすぎて大変だよ・爆)

 

 

そして、早いほうがいいだろうと

帰ってすぐ荷物まとめて

名古屋入りすることとなったわけです。

 

 

 

コントみたいな話ですが全て実話です・笑

 

 

 

そして、年末から名古屋に入院。

正月休みを経て

放射線治療を30回クリア。

 

途中胆管炎起こしたり

高熱出したりしつつも

2月中旬に無事完遂して一時退院。

(放射線のあと、細胞回復に1ヶ月ほど体を休める必要あり)

 

 

その時も

「手術可能かどうかかなり厳しい状況、

 開けてみないとわからない」と

きっぱりと、言われていました。

 

 

 

でもね本当

現実ってただの過去映像。

ただのデータなんです。

だから一切、そこにフォーカスする必要なし。

 

 

 

そして3月23日。

 

手術無事終了。

目に見えるがんは全て取り切ることができた、と言われました。

 

 
術前面談では
「順調にいけば1ヶ月で退院だが
ほとんどの人が2、3ヶ月かかる」とも
言われていました。
 
 

 

 

しかし兄。

 

明日、4月21日退院です(笑)。

 

 

 

しかも、冒頭です。

冒頭です。

冒頭です。

 

 

 

 

どこにも転移なし!!!

がん細胞の90パーセント死滅!!

 

最終ステージ1a!!!

やばくないですか!!!!!!

 

 

 

 

だから、兄と私はびっくりして声が出たのです。

(ここまで長すぎや・笑)

 

 

 

だってね、考えてみてください。

 

切除境界ではないんですよ。

切除不能、とされていたんです。

 

 

もう積極的な治療はせず

抗がん剤投与をできる限り続けて

なるべく長くQOLを保ちましょう、と

言われていたんです。

 

 

しかも兄は

大きな血管2本に

がんが浸潤していたので

 

「普通なら」

「血液中に」

「がん細胞が」

「回っていてもおかしくない」

という状況だったのです。

 

 

なのに、手術できたし

転移どこにもないし

血液検査も全く正常。

(血液検査だけ見たら健康、とまで言われました)

 

 

そして内臓

めっちゃくちゃ切り取って

繋ぎまくってるのに

身体的にもまーーーーったく問題なし。

 

 

術後に出る後遺症はありますが

生活にはそこまで支障なし。

いずれ慣れるから問題なし。

 

血糖値も全く問題ないので

何を食べてもいい、と言われました

(量と油に気をつけるように、と)

 

 

病室に戻り、兄は泣きました。

父と母にすぐ報告し、母も泣いていました。

上の兄も、まさにの診断結果に「本当か?」と驚き。

 

 

大関家、親戚一同

ここ数日

そりゃーもう大騒ぎだったのです(笑)。

 

 

 

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去年の4月にがんが判明してすぐ

兄はもう「長く生きられない」と

腹を決めていました。

 

 

兄が父の会社を継いでいるので

私に業務の引き継ぎをしたり

生命保険の受取人の書き換えをしたり

大事にしていた釣具を友達に形見分けしたり

とにかく本人は「死」に向かって

ひたすら準備をしているような状態でした。

 

 

もちろん

そうではない世界がある、と知っていましたが

止めませんでした。

 

 

そうすることで本人が安心するならばそれでいい。

そしてこれは、兄の世界のことなので

兄の考え方を変えることは

私がやることではない。

 

 

私はこの一年

現実という幻想に惑わされず

惑わされても軸を淡々と戻しつつ

自分の内側に向き続けたのです。

 

 

 

そして一年後。

 

兄の世界は

誰もが予想もつかない「よき方へ」

一気にひっくり返ってしまいました。

 

 

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がんの性質上

「転移」と「再発」の可能性は

ゼロではありません。

 

 

ただしこれも、データの話です。

 

 

どこにいても

どんな時も

やることは変わらない。

 

 

できることを淡々とやり

そしてまた、内側が反映する世界を

ただただ、見続けるだけ。

 

 
そんなわけで
 
現実はただのデータです。
そこに何の力もないんです。
 
 
力を与えてしまって
いかにも「真実」のように
見えているのだとしたら。
 
あなたが
「どこからそれを、眺めているか」
そこに気づいたら
 
 
あれ?わたし何やってるんだろ?って
すぐ、気づけますから。
 
 
 
めちゃくちゃ長文読んでくださって

ありがとうございました。

 
 
 
とにかく
 
意識が全てです。
一言で終わらすんか・笑
 
 
 
 
 

まだまだまだまだ書きたいことあるので

また、書きます!!

 

 

 

兄の件で

たくさんお声がけくださった皆様

本当にありがとうございました!!