おはようございます!
キャンプに来ています🏕️
9ヶ月ぶりの富士山。
帰って来たよー。
この10日間がまた
想像していた以上の展開が起きて
その対応に飛び回っていました。
そしてそこからまた
予想もしていなかった扉が開く。
本当に神展開。
でも
私自身のことではないので
当の本人がグダグダネチネチと
ネガティブ発言を繰り返し
30年ぶりくらいに
本気でキレる!という出来事もあり(笑)
そんな中でも
ブチ切れて壁を蹴る自分を
冷静に眺めている
もうひとりの自分の存在がありました。
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9月に手術不可、と診断された兄。
手術を目指して加療していたので
それはある意味「絶望」だった。
道が閉ざされた、と
そう解釈し
家族はもちろん
私でさえも、地の底に落ちた。
残された道は
「延命」しかない、と。
実はこの「箱根行き」の
まさに当日。
兄の病気に特化したコミュニティの情報が
私のスマホに『突然』表示され
しかもその患者会が
箱根から帰る翌日
東京で、開催されると知った。
すでに参加申し込みは
締め切られていたのだけれど
事務局にメールしたら
快く受け入れてくださって
箱根から戻ってすぐ
私は、その会に参加した。
そこは、とても素晴らしい会でした。
(どこかでまた、書きます)
そして
たまたま同じテーブルに
兄と全く同じ病状で
寛解された方がいらして
詳しくいろんな話を聞かせてくださり
患者ご本人
そのご家族の方
ご遺族の方
兄の状態を聞いて
「まだできること山ほどある」
「そんな悲観的になる必要ないよ」と
励ましてくださっただけでなく
お話を聴いた全員が
「セカンドオピニオンに行ったほうがいい」と
力強く、推してくれたのです。
(本当に、世の中に出ている情報は、本当ーーーーーーに『ただのデータ』に過ぎないのです…これもまたどこかで書きます)
とはいえ
セカンドオピニオンは
当初
私と上の兄以外
全員反対で
患者会に参加したことも
強く強く否定され
言い争いも日々すごくて
エゴはものすごく荒れ狂って
感情ぶんぶん振り回されました。
振り返ると
この時期は
観察意識、空意識を
ものすごく鍛えられた
良き機会でした。
ノートにもすごく助けられました。
振り返ると
流れに抵抗したり
何とか現実を動かそうとしなくても(この場合、両親や兄の説得など。しなくてもいいことにたくさんエネルギー注いでました笑)
セカンドオピニオンに行く流れは
この時点から完璧に、出来ていました。
この頃に私は「サレンダー」を読み
ますます、抵抗をやめることに
意識を注ぎ始めます。
セカンドオピニオンは
名古屋に決めました。
兄の病気では
日本で一番と言われる名医の先生。
世界有数の術式を誇る方です。
その先生の予約も
なぜか、すんなりと取れてしまい
(ものすごく混んでいると聞いていたのです)
あれよあれよという間に
最短で診ていただけることになりました。
ここでもまた、データが登場し
兄の病状では
おそらくその先生でも
手術は難しいだろう、と
今の主治医の先生からも
やんわりと、釘を刺されました。
(主治医の先生がその先生に紹介状を書いた人の中で、手術に至ったケースは1人もいないと言われました)
兄本人も両親も
期待してなかったし
「もう手術はできない」という確証を得るために行くようなイメージを持っていました。
ただ。
私の直感は
全く、その道を指し示していませんでした。
兄の希望もあり、
次の加療計画についても
私は調べを進めていましたが
そっちに行くことは
ほぼ、ないだろうなと
どこかで感じていました。
(というのは、いろんな流れがスムーズではなかったから。これもまたどこかで書きます)
そして名古屋へ。
兄の体調や体力も踏まえて前日入りし
私は夜だけ、ちょっと出かけさせてもらって
鳥仲間の盟友たちと久しぶりに会いました。
名古屋駅前ではしゃぐ熟女たち(笑)
全員、鳥を複数羽飼っている猛者ども🦜
そして、当日。
私は意識を「空」に起くことだけに
ただ、淡々と注力しながら
セカンドオピニオンの診察を、受けました。
私という個体は
権威とか権力に弱いので(笑)
下手に出たりとか
余計なエゴが発動しそうだったので
ずっとフラットに意識を整え
先生の診察に耳を傾けていました。
長くなるので続きます。
世の中は本当
データだらけで
自分が望まぬデータが
星の数ほどあちこち転がっていて
さらにそれを
信用できる人たち(私の場合主治医の先生など)に言われると
あたかも、真実のように響くし
道はそれしかないように
聞こえてきますが
それが心地よくないものなら
違う道は、選べる
いや
創れるのです。
それが、本来の私たちの姿だから。
続きは夜、アップします。




