人生に「夢」を掲げること、堅く言うなら志を持つことは大事だと言われている。時間は寝ていようが起きていようが勝手に流れてゆくので、目標をもって自分の人生をコントロールすることは、人として確かに大切なことだろう。
ただ、現代日本で、主に学校で「将来の夢を持つこと」については、人の人生は意思の力でコントロール可能であり、より上手に目標設定し、それを重ねてゆくことで人生の勝ち組になることが究極目標みたいな、啓蒙思想が強く根底にあると思う。そもそも、学校教育そのものが、啓蒙思想とそこから導かれる科学第一主義の権化なので、そういう教育方針になるのは当然なのだ。
■私の場合
私も「生徒」の頃、文部省の教育方針ががっちり行き届いていて、啓蒙思想が真髄まで染み渡っていた。だから、文系を選択するなんて最初から頭になくて、とにかく科学のテクニックを習得し、生活の糧を得るための「手に職」にするのと同時に、世の中の困難に対して理性を武器に乗り切っていくぞと思っていた。だから数学が苦手という理系としてはあり得ないくらいの欠点を有しているにも関わらず、工学部に進み、結果的に数学とコンピュータを駆使して通信の性能と効率の向上に貢献するという当時最先端の武器を手に入れたのだった。今でもそうだけれど、新しいアイデアも技術も全て欧米から伝わってくる状況の中、英語で書かれた論文や文献を紐解いて、現在普及しているものより桁違いに性能の高い装置やプログラムを作り出せ、実際に製品にできる能力は莫大な富を生み出したし、そういう人材はひっぱりだこだった。
一方で、最近は薄れてきていると聞いているけれど、当時は全人教育を目指す大学教育の理想に基づいて、工学部だろうが理学部だろうが、一般教養として文学とか哲学とか歴史とか商学とかという文系分野の講義で単位を取らなければならなかった。大抵の理系の学生はバカにして最低限の努力で何とか単位だけ取ろうとしていたし、教官も聞きたい人だけ聞けば良いという態度だったので、周囲に迷惑さえかけていなえれば、寝ていようが何か食べていようが注意することはなかった。ところが、根っこが文系脳の私はそこで出会ってしまったのである。
万葉集の講義では、「生徒」の頃に文語体の仮名遣いとか、万葉仮名とか、係り結びの法則とか、季語とかいったものをただ覚えるだけだった私にとって強烈だった。恋愛あり、ポルノすらあり、政治や思想に対する批判あり、世捨て人がいたり、逆に権力の中枢にいる人もいる。中央政府と地方との格差の問題もある。今とそう変わらない当時の世の中の様子がありありと浮かび上がってきていて、こんな面白いモノを今まで知らずにいたのだということがショックだった。勢いで、日本書紀、古事記、源氏物語など、いずれも原文を活字で読んだ。現代に通じる日本人の思考特性や、物事の起源を知ることで日本という国の成り立ちにとても興味が沸き、ついには民俗学の大家、柳田国男に行き着き、全集を買い、わざわざ民俗学の講義を単位上必要もないのに受けた。当時の大学を辞めて京都の民俗学で有名な先生がいる大学に転学し、将来は禰宜(神主)になって神社に就職しようとさえ思った。結果的に工学部を貫いて技術職に就職するのだが、こうやってフラフラと彷徨うことが許された学生時代は、文字通りモラトリアムの豊かな4年間だった。
骨の髄まで染まっていた啓蒙思想と、科学第一主義に疑問を感じたのはそういう経験によるものだった。世界を覆い尽くしている啓蒙思想でさえ、一つの考え方に過ぎず、たまたま今支持されているだけであり、寧ろ制度上色々ガタが来ているので世界は次のスタンダードを求めているという事を知ったことは、生きる上では迷いや苦しさを生み出すのだけれど、まっすぐ真面目にやっているのに何だかうまくゆかないなあと迷った時には、救いを差し伸べてくれた。日本の理系がバカにしている、文学、歴史、哲学、宗教、心理学、社会学といった学問が、科学では簡単に答えの出せない問題に逆に何らかの答えを見いだすヒントになるという気付きを得たことが、一般教養を修めた最大の収穫だったのは間違いない。社会人になってから、テレビや書籍で「サンデル教授の講義」が話題になったことから、同じように科学に手詰まりを感じていた人は多かったのだろう。そしてそれは福島第一原発の事故によって現実の問題になるのだが・・・。
■幼稚園の頃から繰り返し問われる「将来の夢」
前置きが長くなってしまった。みんな覚えがあると思うが、やっと日本語を覚えたような幼稚園の頃から、大人からは繰り返し「将来の夢」を問われて、絵や文字にしたり表現することを求められる。夢を持っていて当然という空気である。スイーツが好きな人はケーキ屋さんに、パンが好きならパン屋さんに、サッカーが得意だと思っていればサッカー選手に、ペットが好きならペットショップか獣医さんに、という感じで最初は「好きなもの」が夢に直結している。
小学生になると、職業という概念が理解できるようになり、他人からどう見られるかという視点も加わる。仕事が楽かどうかという尺度も入ってくるし、制服に憧れてという動機も生じる。高学年になれば、大人がどういう答えを期待しているかということもわかってくるので、ウケ狙いも入ってくる。
最後に最も具体的に問われるのは就職活動の時だろう。具体的に所属する組織を選んで、アプローチしなければならない。どんな面接でも必ず志望動機は聞かれる。期限までに内定を獲得するために、現実的な戦略に基づいた結果、1年前には考えもしなかった職業に就く人も多い。恋愛と同じで、タイミングや偶然が作用するロマンチックな出会いがある。ここで、「好きなもの」は趣味にとどめておいて、職業は収入を得るための手段と割り切るリアリストがいる。逆に、自分の夢を実現するためのステップとして職業選択をする人もいる。ただ組織で偉くなることだけをひたすら目指す人もいる。「職業とは何か」という考えが十人十色なのだと痛感する場面である。
特別な努力をする人や、飛び抜けた才能を持っているような一握りの人を除いて、好きを職業にしたところで、「夢」と職業が乖離する人が大半である。仕事は粛々とこなして、余暇を利用してコツコツと自分の夢を叶える人もいるが、どんな職業もプロとして働くには本当に大変なので、多くは現実に流されいつしか「夢」は遠くなって、そのうち消滅してしまったりする。
■夢と時間
学校を卒業して就職したら単に働きマシンになるかといえば、多くはそうではない。特に4年制大学を卒業し、総合職として就職し、いずれ管理職になるのであれば、所属した組織で「職業」を規定できるほど単純な仕事はさせてもらえない。たとえばパンが好きで大手パンメーカーに就職したとしても、生産管理、品質管理、労務、法務、会計、商品開発、営業、広報、etcとパンを毎日作る人はごく僅かであり、企業として継続するための様々な仕事を担当することになる。日本の組織の理論からして、専門のことばかりやらせてもらえない。学生時代から全く学んだこともない、全く新しい仕事に突然つけられるのは普通である。その度に勉強して、新しい仕事をキャッチアップして戦力になることが求められる。公的資格を取得しなければならないことも多い。
私の経験でいえば、工学部に属していたけれど、多少なりとも勉強したのは4~5分野しかなくて、当時「学科」を超えた学問に接する機会はほとんどなかった。しかし、結局社会人になってから勉強する羽目になったものは幾つかあり、学生時代に出会っていたら人生変わっていたなと思うものや、食わず嫌いも沢山あった。たとえば理系なら、医学、薬学、生物学(遺伝子工学)、建築学、化学(化学合成)、材料学、機械加工、生産管理、品質管理など。そういえば、家政学科といえば伝統的な女子大にあって、卒業したら栄養士になるか、いいお嫁さんになる程度のイメージしかなかったが、様々な科学分野の最も応用的な出口学問であり、生きてゆくために最も大切な方法論を得られるという意味で、進路の選択肢に入っていなかった自分の不明を大変恥じている。素直に言えば、家政学科で学びたかった。
理系の人間にとって、高校時代から文系は求められる勉強量が少ないし、大学では講義をサボって遊び回っているので「実学ではない」とバカにする対象だったが、社会人になってから勉強しておけばよかったと思う分野は多い。まずは経済学。ちょっと先の世界がどうなっているかという仮説を話す際に、マクロ経済学のお家芸である豊富性と希少性から語り始めることで聴衆はみなマジックにかかってくれる(笑) これは話し方のテクニックとして今でもマネしているが、学生時代にもっと磨いておければよかった。同様に、歴史は説得力のある話をするために必須だといえる。理系の欠点として、文章力が低いところがある。上司や経営陣や、スポンサーを説得するにはすっきりとして理路整然とした文章が書けなければダメで、結局どんな良いアイデアも形にできない。そこで文系の力を借りたりするから、いつまで経っても文系にコキ使われるし、文系の方が偉くなるのである。歴史や哲学は、答えが簡単に出ない問題に対して、とりあえずの最善の解を与えてくれる。宗教学は、自分たちと異なる文化に属する人達の行動原理や判断基準を教えてくれる。商学部といえば簿記だろ、くらいの理解しかなかったけれど、お金と商品を流通させ利益を得て持続可能な仕組みを構築するために絶対に必要な知識であって、これ抜きでは経済活動は全く成立しない。平時は勿論、震災やコロナで物流が滞ったりしたら真っ先に頼りにされる学問である。どんな社会活動も法律と無縁ではなく、法律学の知識は必ず必要になる。結局専門家(弁護士)を頼ることになるが、専門家の答えを理解し、実行に移すには多少なりとも知識が必要になる。
人生の長さに対して、折り返し地点を越えると人生観が変わる。残された時間を正確に把握することは難しいが、平均値で考えると残った時間の方が少ないと気がつくと、夢にしがみついていてもむなしいとばかり、そもそも生きている目標を見失うことになる。もちろん、逆に志を持って残った人生を有効に生きていこうという立派な人も少なからず存在するけれど、食べることに必死で目先の仕事ばかりしてきた多くの人は目標喪失するんじゃなかろうか。
20歳前後の若者は、身体は成長しきって体力も運動神経もその人の人生で最もベストな状態にあるし、法律で半人前に扱われてきた「子供扱い」の制限も取り払われる。一方で勉強に関しては、ようやく「授業」という教室でブロイラーのように並べられてたたき込まれる暗記中心のものから、生きてゆく上ですぐに役に立つ実用的な知識や、それを支える莫大な過去の遺産に触れるようになる。つまり、頭の方はまだまだ成長過程であり、自分に投資してより良い人生を送る準備をしている段階である。身体と頭の成長につれて「夢」も成長する段階である。自分の経験からいって、恐らく人生で最良の期間は二十歳の前後だと思う。だからなのか、自分のセルフイメージはその当時のままだし、中年仲間に聞いてみると、高校生くらいからアラサーまで幅があるけれど、だいたいその頃の感覚が固定しているケースが多い。
■りおりんの場合
ここまでは一般論で「夢」について書いてきた。ふとしたきっかけで、りおりん(大川莉央)の夢観について本人が語る内容を聞く機会があり、今まで見ているようで気がついていなかった夢のあり方について啓発を受けたので、ごくおおまかにここに書いておきたい。
幼い頃からアイドルに憧れて、アイドルになりたいと言い続けて、遂には本当にアイドルになってしまった女の子。アイドルと一口に言っても星の数ほどいる中で、日本中で知らない人がいないと言われる「国民的」グループの、多数あるチームの中でも最もオーソドックスな中心的チームに属し、それだけで信じられない数のファンを魅了することになった人。数年間所属し、まだ若いのにと惜しまれながらも、やれることはやりきったと自ら活動を「完成」させ、卒業してしまう。飽きられて人気が低下して辞めたのではなく、もちろん浮いた噂の一つもなく、去り際まで完璧に美しくて、いや、美しすぎて逆に印象に残らなすぎる、そんなアイドルだった。
世の中のほとんど全ての人は、人生の目標を達成することなく、追いかけ続けて人生を終えると思う。一部の人は現状に満足して、目標そのものを現実の人生に修正適合させて、夢を叶えたという満足感を得るものだ。或いは、志は叶わなかったけれど、振り返ってみれば良い人生だったと総括する人もいるだろう。熾烈な競争に勝ち、アイドルになった若い女性達は、アイドルという職業の特殊性から、10代の若さで夢を実現し、10年かそこらで引退しなければならない。気がつけばりおりんのように、同級生はまだ大学生であって、社会人デビューすらしていないという状況も十分にあり得るのである。文字通り人生はこれから、まだ先の方が長いのだが、どうやって生きていけば良いのか、次の目標というか、夢はどう抱けばいいのか、第1の夢を実現する過程が余りにも煌びやかな為に迷ってしまうのは当然だと思われる。しかも、自分の過去の実績は逆にもの凄い重荷となっているに違いない。望んでも簡単には手に入ることのないシンデレラに選ばれたこと、誰もが名前を知っている超有名グループの一員であったこと、顔も知らない人も含めてかなりの数のファンがいたこと、それにも関わらず、世間の大部分の人は自分の顔と名前が一致してさえいないこと。誰かが職業や収入を保証してくれるわけでもなく、揺るぎない資格があるわけでもなく、アイドル活動で得た知識やスキルは特殊すぎて、今後の人生で直接役に立つ見込みがないこと。
自分はアイドルであったことはないので、完全に同じ目線で世界を見ることはできない。しかし、フランクに会話をしてくれるお陰で、かなり近い目線でもしも自分がそうだったら、と想像してみることは可能である。そうしてみると、誰もが羨む夢を若くして叶えて華やかに煌めく数年間を過ごした後に、次の夢を探さなければならない若い女性の苦悩が身近に感じられるのである。
ひとつの救いは、「とはいえまだ若い」ことである。何となく行ける大学に進学し、モラトリアム期間が終わっても具体的な人生の夢を描けていない若者は相当数いるので、過去の栄光に引っ張られるところをさておくとすると、まあ同じ立場なのである。22歳で夢や志を持てていない人はちょっとのんびりしすぎているが、かといってまだ諦めるタイミングではない。就職して社会人としての生活を始めてから、自分の夢が具体的になる人は相当数いる。女性の場合は、特に日本の場合には、結婚や出産で自分の計画通りに人生が運ばないことを知っているから、主体的な夢が描きにくい人も多い。勿論、社会や組織の中で実現する夢があっていい反面、だれかの妻として個人的に、或いは家族的に追いかける夢があっても構わないのである。構いはしないが、専業主婦が絶滅しつつある昨今の社会情勢に鑑みると、やっぱり独立した個人として社会との関係の中で定義される夢を持っていた方が良いのではないか、とは思う。
客観的に見て、一つ目の非常にレアな夢を叶えた人だけあって、ルックス以外に一般的に持ち得ない様々な長所を持っていると思うから、そういうところを生かさない人生設計はいかがなものかと思ってしまう。例えば明るさ、そこにいるだけで周囲がぱあっと明るくなって、幸せで華やかな空気に包まれるキャラクターというのは、非常に稀である。これは訓練で得られる特性ではなく、持って生まれたものだと思う。周囲の空気を読んで、適切な言動ができる能力も非常に高い。ついでにいうと言語能力が高いので、曖昧模糊とした状況をうまく言葉で総括する能力も高い。「要するに、こういうこと」と本人は難なくまとめているけれど、それがどれだけ稀な才能なのか、本人はきっと気がついていないだろう。リーダーだったり、近い将来について「予言」するコンサルタントとして成功するには極めて有利な能力である。勿論、女性組織の中でやってきたので気配りしながら周囲とうまくやってゆく訓練もできているし、男性に多いが口下手でコミュニケーションが苦手な人に寄り添い、気持ちをくみ取ってあげる能力も非常に高い。これは上司とかセラピスト、コーディネーターに必要な能力だ。まとめると、コミュニケーション能力が極めて高くて、人の前向きな気持ちにすっと入り込んで引き上げる能力に長けていると言えるだろう。後ろ向きな負の気持ちに対する特性や耐性は、そういう場を見たことがないから何とも言えない。組織人として彼女を見ると、人材不足が甚だしい女性リーダーとして望まれる特性を有り余るほど持っている人だと思う。簡単に言えば、彼女が上司ならついて行きたいと思う男性部下はきっと多く、足を引っ張ったり虐めてやろうという気持ちになりにくいということだ。勿論、人の上に立つには性格的なことばかりじゃなくて、仕事面でも鍛錬が必要だが、そこはクリアしているものとして表現している。彼女の頼みなら無理してでも聞いてやろうと思うし、彼女を守って手柄を上げさせてやりたいと素直に思えるということだ。りおりんのレベルなら、ある業界で「この人あり」と語られる女傑になれるレベルは満たしているけれど、それは勿論より小さなくくりで、たとえばPTA役員だったり、自治会役員だったり、マンションの管理組合というレベルでも発揮されるものだと思う。
■結婚、子育てについて
女性として生まれたからには、自分の子供を産んで育てたいと思うものだろうし、自分の経験からいってもそれは早いに越したことはない。避けられないライフイベントなら、積極的に取り組んで早く実現したいというのはよく理解できる。体力的な問題もあるけれど、物理的に年齢的に決まってくる可能性というものがあるからだ。自分の子供というものは実際に出会ってみると、想像していたのとは大きく違って貴重な存在になるし、条件が許せば複数いるともっと良い。逆算すれば幾つまでにどうするかというのは自ずと決まってしまうのである。こればっかりは、迷っていると時間が勿体ない。時間を無駄にした結果、体力的にも経済的にも桁違いに努力しなければならないこともあるんだ。実際には蓋を開けてみないとわからない問題だけれど、無駄な努力はしないに限る。
結婚については、宮古島のバスツアーの最終盤にポチさんが語ったことに全てが集約されているので、改めてここに書くことはない。大事なことは夫婦のどちらもが、精神的にも社会的にも独立した大人であること、価値観と経済感覚が一致すること、お互いに尊敬していること、である。恋愛結婚は必ずしも最高の形とは思えないが、現実的には最も正解に近いのではないかと思う。自分だけでなく、多くの友人の結婚とその後を見ていて明確に断言できることは、結婚相手は特別だということ。もう知り合った瞬間に、「あこれは他の出会いと全く違うな」という感覚がある。漫画的に言えば、「結婚相手はこの人でーす」と、矢印がついているような感じ。そんな人にいつ出会うのか全くわからないけれど、結果的に殆どの人はそういう人に出会って実際に結婚しているし、そういう人が現れたことに必ず気がつく。多くのケースで、男女ともにそんな予感がするか、どっちかがどっちかにそういう予感を持って、つきあって間もなく反対側もそんな気になってくる。つぼみができて花が咲いて実がなるように、ごく自然にそうなるように仕込まれているという感じ。だから夢を壊すわけじゃないけれど、結婚相手は生まれたときに運命の赤い糸で結ばれているのではなく、条件が一定の範囲内に収まっている男女が出会えば、自然にフラグが立つのだと思う。その程度の柔軟性が備わっているとしか思えない出会いや組み合わせがある。ただ、結婚するのは簡単だけど、夫婦関係を良好に維持して生活共同体として成り立ってゆくには、とてつもない努力と忍耐が必要だということも言い添えておく。だからこそ、お互いに尊敬していることが必須条件なんだ。
■まとめ
元国民的アイドルで現役JDという彼女の飾らない本音を聞く、なかなか普通にはあり得ない機会を得て、遂に一度も夢を叶えることなく人生を終えそうな平凡な自分が、若くして夢を叶えてしまった人の葛藤というか、本音を思いがけず知ってしまい、バーチャルに追体験(=妄想)することで、人も羨む輝かしい経歴の持ち主が直面する課題を知ってしまった、という話。
自分が知っている人より、自分のことを知っている人の方が遙かに多いという、所謂セレブの立場。自分自身の経歴や後輩達に迷惑を掛けないために保たなければならない品位。過去の自分を将来超えなければならないという成長神話。そういう体面が次の一歩を踏み出す足枷になっている。1度目の成功なんてラッキーおまけだと思って次の成功にフランクに向かっていけばいい筈なのに、成功してしまった故に縛られるこの感覚は、一度も成功したことのない、自分にはなかなか想像できないことだった。でも、いいことをしても悪いことをしても、覚えのないことを捏造又は牽強付会しても、悪口を書かれる昨今で、アイドルや元アイドルに向けられる理由もなく厳しい言葉が彼女たちを傷つける。天下のAKBに奇しくも加わることができたシンデレラ達は、辞めてから後、格落ちとか仕事ないとか、あることないこと書かれるのだ。そもそも、何十人もプロのスタッフがついて様式化されたグループにいるのと、個人活動とでは露出に違いがあるのは当然であるし、卒業後の成長はなかなか伝わらないものである。
無責任なアンチコメントなんて無視すればいいじゃん、という一見まともなアドバイスっぽい意見もあるが、彼女たちは評価されてナンボ、人気が出てナンボの稼業である。SNSだって一生懸命に写真付きで更新して、常にフレッシュさをアピールしている。AKBのように売上で評価されるシステムがない以上、ヲタクからのフィードバックはほぼSNSのみ。そこに、ただ傷つけたり中傷したいだけの心無いコメントが混在していたらどう思うだろうか。もっとも、彼女たちの気持ちになって想像できる人はそんなコメントをしたりはしないだろうから、この問題は根が深い。
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