アイドルに声を掛けるということ | 2コ下のブログ

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星乃宮せな推し

 木村花さんという22歳の女子プロレスラーが5月23日未明に突然死したというニュースが

流れている。私は名前を聞いたことがあるけど、女優さんかと思っていた程度の認知。

どうやら、テラスハウスという恋愛リアリティ番組で出演者に「マジギレ」した様子が

一部の視聴者に不快感を与えたらしく、SNSでの誹謗中傷が激しかったらしい。詳しい

ことは明らかにされていないが、状況からそれを苦にした自殺ではないかと言われている。

 

 

■ドルヲタのアンチ

 

 ドルヲタにとってこの問題は他人事ではない。推しメンが好きすぎて、そのメンバーの

活躍の妨げになると思われるライバル的存在や、仲が悪いとされるメンバーに対して、

猛烈な人格否定と嘘を交えた罵詈雑言を吐く「アンチ」の存在が身近にあるからである。

そもそもドルヲタにはコミ障が多い。つまり、自分の気持ちを整然と文章にして、相手に

わかるようにちゃんとしたタイミングで口頭で伝えるのが苦手な人が多い。そのため、

思い込みをしたり屈折した形で言動に現われるケースが多いのである。きっと、メンバー

なら個握で緊張してうまく気持ちを言葉にできなかったり、突拍子もない変化球を投げて

きたりされた経験が少なからずある筈だ。しかし、メンバーは笑顔でそれを受け止め、

「伝わっているよ、大丈夫」と優しい言葉を返してくれたり、テンション高く別の話をして

短い会話をリードしてくれる。そんな、セラピストのような対応がいつの間にか自然にできる

ようになるのである。

 

 問題があるのは、アスペル気質のヲタクである。頭の回転は早く、当意即妙に返すことも

できる。会話をすると、とても頭の良い人が理路整然と話しているように感じる。ところが、

独善的な世界観というか、ルールを頑なに構築していて、メンバーがそれに反していると

説教したり、人格否定を含む糾弾をしたり、矯正せねばと懲罰的言動に出るのである。

それはメンバーに対してだけでなく、界隈のヲタクにも似たようなことをするので、私も何度か

そういう目にあったことがあるからよくわかるのだ。気質的に、相手の気持ちを推し量る

ことができないため、攻撃的な言葉を投げかけたとき相手はどういう気持ちになるかという

ことは理解することができない。理屈としては確かに正しいのだが、世間の常識とか倫理観の

ような基準に沿っていないので、かなり偏った結論になっていることがある。分別つく年頃の

男性から理路整然と身の危険を感じるほどの激しい言葉をぶつけられたら、若い女性は

ショックを覚えるのは当然である。慣れてくると、ああこの手合いかとわかって、上手に

往なすこともできるようになるのだが。

 

 私の場合、応援しているメンバーには活躍してほしいが、他のメンバーとの比較は全く

興味がない。本人さえ納得していれば、いつも選抜に入っていなければ気に食わないと

いうこともない。興味のないメンバーはいるけれど、自然と視界に入らなくなるので、気には

ならない。推しメンを虐めたり、酷い仕打ちをしたりということが仮にあったとしても、まずは

テレビ等の演出で振り付けされているのではないかと考えるし、本当に仲が悪いのだと

したらそれは当人達の問題なので、自分がそこに関与できるとも、すべきとも思えない。

だから、アンチになってメンバーを攻撃するという発想がない。

 

 

■テレビとの距離感について

 

 今回問題になったテラスハウスだが、私は見てない。恋愛リアリティショーなるものに全く興味が

沸かないからだ。「あいのり」が始まった当初に少しだけ見ていたので、どんなものかは知っている。

報道を含む全てのテレビ番組には演出がつく。監視カメラの映像を見ているのとは違うのだ。

テラスハウスは「ガチ」ですと言っているが、もし本当にそんなものを見せられたら、退屈すぎて

苦情が殺到するだろう。ドラマのように脚本を作っているわけではありません、というだけのことで

役者が演出に従い盛り上げているのである。演出家がイチイチ指導するのか、役者自らが自分の

立ち位置を考え、どうすれば面白くなるか考えてやっているかの違いであって、原理は変わない。

まず、テレビを見ていてそれがわからない人が多すぎる。素人同士がたまたま一緒にされて、

自然に恋愛感情がわき上がって事件が起きると思い込んでいる人に、あれは演出だからと

言ったところで聞く耳は持たない。そして、私が興味を持てない理由は、若者の振るまいが陳腐

すぎて心が動かないことや、自分はもう新しい恋愛を始める必要がないので、シミュレーションする

動機がないからである。逆に、これから良い恋愛をして恋人や伴侶を見つけたいと思っている

人にとって、見る価値がある番組であることは十分理解できる。

 テレビの演出が理解できない人は昔からいた。相撲は命の取り合いだとか、プロレスは常に

真剣な格闘技で、死を厭わない果たし合いだとか、ネッシーやUFOや心霊現象は実在するとか、

フリーメーソンは世界史に常に干渉してきたとか、徳川の埋蔵金は実在するとか、ツチノコや

雪男は今でもどこかで生きてるとか、そういうことを心の底から信じて疑わない人達だ。高等教育を

受けて社会人として責任のある立場でしっかり活躍している人にも、驚くことにそういう人が一定

数いるのである。

 

 そういう方々は、テレビであの政治家が悪いと名指ししたら、悪者だと信じて疑わないし、

コロナに打ち勝つために納豆を食べれば免疫力が上がりますよと言われたら買いに走るし、

テラハはガチだと信じている。だから木村花さんが迷惑をかけられた共演者にガチ切れしたのを

見て、ヒールは排除しなければならないと思ったのだろう。プロレスラーにとって、ヒールは必ず

必要になる役周りである。時にはヒーローよりも人気が出る。ヒールを応援する人達は、それが

キャラであることを理解しているから好きなのである。あれが素の性格で、いつも吠えている

乱暴者だと思い込んだら、コミュニティの平和のために排除しなければならないという気になるの

かもしれない。

 

 そして正義感に基づき「攻撃」を開始したらどうなるだろう。テレビは非常に影響力の大きな

メディアである。バラエティ番組を見て実際に攻撃行動を開始する人が万が一の規模であったと

しても、炎上状態になり、やられる方の人にしてみたら世界中が敵になったような、そんな気持ちに

なってしまうことは容易に想像できる。いくら体格が良いからといって、たった22歳の女の子なのだ。

 

 

■結末のどうしようもなさ

 公式には死因は明らかにされていないが、どうやらSNSのアンチコメントを苦にした自殺だった

ようだ。やっと22歳になったばかりの、前途のある、しかもプロレスラーでありバラエティ番組に

起用されるくらい綺麗な女性が、無責任な便所の落書きで心を病み亡くなってしまった。

 

 深く傷ついても、まだ生きていてくれさえすれば乗り越えることができたかもしれないのに、

亡くなってしまってはもう取り返しがつかない。誹謗中傷していた連中は心の底から彼女の

ことが嫌いだったのかもしれないが、こんな結末を予想、もしくは期待していたのだろうか。

コメントを書き込んだ全員が、その内容が良い事であれ悪いことであれ、自分の発言に責任を

持たなければならない。私はネットの匿名性は担保されるべきだと考えているが、匿名を

隠れ蓑に犯罪を犯して良いとは思っていない。古来から呪いは最後に自分のところに戻って

来ると言われている。今、行き場を失った罵詈雑言は踵を返して書き込んだ本人のところに

戻ってきた筈であるし、そうでなければならないと思う。でも、自分の発した言葉で結果的に

その人が不幸になったとして、それで全体のバランスが取れているとも思えない。

世の中には、時としてこういう理不尽で救いようのない出来事が起きるのである。

 

 

■峯岸みなみを思い出した

 

 TLにやたらと誹謗中傷という言葉が溢れ出し、こういう事件が起きたと私が知ったとき、

直ちに脳裏に浮かんだのは峯岸みなみのことだった。彼女の朝帰りが文春で写真入りで

報じられて、どうしてもAKBに残りたいから詫びをすると自らハサミで丸刈りにし、YouTubeで

涙の謝罪動画を世界に向けて公表した、あの事件だ。

 

 当時既にみぃちゃんは唯一の推しメンだったが、個握に1~2度行っただけで、生誕委員

でもなく、SNSも全くやっていなかった。状況が状況だったので激しいバッシングが起き、

アンチコメントはSNSどころか地上波放送でも溢れ返り、本人は謹慎蟄居のような状況に

追い込まれた。あまりにも苛烈な環境で私を含め皆が心配していたのは、相当落ち込んで

動揺していた彼女が更にバッシングの追い打ちを受け、自殺してしまうのではないかという

ことだった。当然家族をはじめ周囲は神経をとがらせて監視するのだが、ちょっとした隙に

実行してしまう例は過去にもあったから全く安心できなかった。彼女の動静を知らせる

情報は一切出て来ず、ヲタク達にできることはほとんどなかった。私は自分の不安を

紛らわせる意味からもSNSのアカウントを作り、彼女のブログにメッセージを書き続けた。

 

 結果的に彼女は自分を取り戻し、運営は研究生に降格という「処分」をしながらも、

みぃちゃんの活動継続を認めた。それからの活動は衆目知るとおり。辛いことも沢山

あったが、やがて坊主やカツラや初期メン研究生をネタに笑いを取れるところまでは

復活できた。周囲のスタッフや同僚の研究生達に救われた面もあると思うが、彼女自身の

強さもあったと思う。

 

 今回の件が明らかになった数日後、彼女はモバメで『感謝』というタイトルでファンに

メッセージを書いてくれた。その最後は、「大袈裟じゃなくて、私を生かしてくれて本当に

ありがとう。」と結んであった。ひとりひとりのヲタクにできることは小さいことかもしれないが、

あの猛烈なバッシングの最中、生きていてくれさえばいいと必死にメッセージを送り続けた

絆が、多少なりとも彼女を支える力になったのだとすれば、こんなに嬉しいことはない。

 

 余談だが、研究生として登場した劇場公演の最初数回は、研究生を推しているヲタクは

煮えたぎっていたし、とても恐ろしくてヲタTも着れなかったし、コールも恐る恐るやっていた。

秋葉原の劇場であれだけ身の危険を感じたことはなかったが、最終的に2014年のSSAで

感涙に昇華されたことで結果的に良い思い出になった。

 

 

■アイドルに声を掛けるということ

 

 アイドルは遠くにありて拝むもの、というのが当初のスタイルだった。発信は一方的に

行われ、画面の向こう、もしくはステージの上にいる特別な人を愛でるスタイルだった。

認知厨なんて言葉は存在しないほど、それは極めて稀な特殊状況であり、あり得ない

ことだった。

 AKBが旗印にした、「会いに行けるアイドル」というのは、当時そのくらい画期的で

エポックメイキングなコンセプトだったのだ。数千人から数万人を動員する力のある

アイドルに会って握手して二人っきりで直接話せる? それも1,000円で? 最初は

どうやってやるのか想像もつかなかった。

 そんなことは地下では最初からやっていたとか指摘する人はいるだろう。その通り、

厳密には初めてではない。しかし、テレビに出演するアイドルがこの規模でやったのは

初めてだったのは間違いない。

 

 AKBは会えるだけじゃない、SNSを使って自宅の寝室から、毎日何を考え

どう暮らしているか、人にもよるが赤裸々に公開したのである。友人か、ひょっと

すれば兄弟くらいの距離感が売りだった。あまりにも素早い変化の中で、対応し損

なったヲタクとの軋轢も一方で引き起こしていた。私的交流=繋がりについては

アイドルとして絶対のタブーなので論外としておいて、説教厨の存在はこうした距離の

近さから生じた明確な弊害だったと言って良い。

「最近うちの推し、公演に集中できていなくて振りも間違えるし、弛んでるから

説教してくるわ。」

といった会話が一時期結構頻繁に聞かれたのである。その気持ちもわからなくはないし、

あくまで熱心に「応援」している一環だったのだけれど、

「細かいところまで見てくれてありがとう」

と神対応できるメンバーもいた一方で、先輩やスタッフからそれ以上に厳しい指導を

されていたりするとついムカっとして

「あんたに何がわかるのさ!」

と反発するケースも見られた。ヲタクがコーチになったり、Pになるのは基本的には

立場を超えていると私は思う。

 

 色々失礼なことを言って(そのつもりはなくて誤解も含む)怒らせたり、お互いの

立場について話したり、気持ちを忖度したりした結果、私がアイドルに唯一伝える

べきことは、「褒め」に限ると思う。とにかくどんなに細かいことでもいいから努力や

工夫を見つけて、褒めまくること。足りない点をどうしても指摘したいのなら、その点を

敢えて外して褒めるなり、褒め殺しをすること。沢山メンバーがいてそれぞれ良い

ところを持っているけれど、あなたが特に最高なのだと伝えることだと思う。

 

 悪いところはきっと大人も指摘するし、本人も気がつくでしょう。そうではなく、

とにかく肯定し、褒めることで、元々高い自尊心を更に高めて、自信をつけて

もらいたい。それがそのアイドルが輝く一番効果がある方法なんじゃないかと

思う。まあ、ありふれた結論だったかな。