(注意書き から順に読み進めていただけたなら幸いです☆)
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「もう、雨は仕方がない」
そんなふうに、もう雨を受け入れるしかないのかなと思いながら、
でも「あと少しだけ」歩いてみようと、やっとの思いで数センチずつ、
すっかり感覚のなくなったその足を、前へ前へと運ばせていったのでした。
体も心も、もう限界に達していました。
すると・・
ずっと、下ばかり見ていた私の視界に、
ふと、人影がちらっと写りました。
ずっと、歩く人の姿が1人もないような車道を歩き続けていたので、
思わずそちらを振り向きます。
すると、ちょうどそこに高速のバス停があったのでした。
「どうしてこんなところに?」
へたしたら、気づかないで通りすぎてしまうような場所。
あまりのタイミングに、思わず目をうたぐってしまいます。
見れば、長崎市内行き以外にも、
色んな方面への行き先のバスが出ているようなのですが、
雨の停留所、ここでまた私は試されることになりました。
「ここに来て、ちょうど現れたバス停のその意味は、いったい何・・?」
「ここでどうするか、また試されてるの・・?」
限界の体と心に、さらに葛藤で頭の中までぐるぐるとなります。
ここで、もうあきらめかけていた
8月9日11時02分着の長崎行きのチケットを手にしてもいいの?
それとも、時間優先のこのバス停は誘惑で、
やっぱり「自分の足で」すべて歩ききることが大事なの・・?
・・正直、とても揺れました。
でも、たしかに言えることは、
この雨、そしてここにきてちょうどのバス停に、今私は何かを試されている。
今ここで何かを選択して、答えを受け取って、
そしてお試しを超えていかないといけない状況になっている。
そのことだけはわかるから、逆になかなか答えが出せなくて、
しばらく立ち止まってしまいました。
でも、ここで立ち止まっていてもそれこそ時間のムダ。
もともと本数の少ない高速バスなんて、
そうそうタイミングよく来るわけがないし、
それもちょうど、長崎行きが次に来るかどうかなんてわからない。
時刻表にもこの時間の長崎行きはもうないし、
もし仮にきても、本当にこのチケットを手にしていいの・・?
そんな、頭で考えつづけた数分間の葛藤の結果。
きっと、原爆直後はバスも電車も使えなかたっであろう8月9日のことを考えて、
「やっぱりここは私も歩いていくんだ」と、そのバス停を去ろうとしました。
痛がる重たい体の声を無視して、
到着時間優先よりも、徒歩優先にしようと、バス停をそのまま去り始めたのでした。
と、その時です。
バス停を背にして、足を引きながら数メートルほど歩きはじめたところに、
ちょうど、本当にちょうどバスがやってきたんです・・!
しかも、色んな方面への行き先があるにも関わらず、
なぜかちょうど、「長崎市内行き」のバスが・・
ありえないタイミング。
しかも、「この時間にはあるはずのない」長崎市内行きのバスが・・
この大雨で、ダイヤが大きく変わったの?
でもどうして、もう徒歩にしようと歩き始めたこのタイミングに、ちょうどバスが来るの・・?
また、揺れる質問が始まります。
でもその瞬間、もう私の目にはそれが「奇跡のバス」としか思えなくて・・
そして、なぜか乗客が誰一人もいない、貸切のその空っぽなバスを見た時、
これは、「神様からの運びだ」と瞬時に感じて・・・
そして、そのプシューと開くドアの音が、まるで
「もういいよ、早くこちらにいらっしゃい」というやさしい声に聴こえて。
この時はじめて、重く硬くなってしまっていたその体、
そして見えない「何か」もやわらかくほどけて・・
その瞬間、スッと手をあげてやっと「乗ります」と言えたのでした。