【序章】記されなかった血筋
歴史には、はっきり書かれていることがあります。
そしてそれ以上に、「書かれていないこと」もあります。
今回気になったのは、神夏磯媛、夏羽、そして田油津媛をつなぐ系譜でした。
日本書紀には書かれていない。
けれど、地方には確かに残されている事柄があります。
今回は、神夏磯媛から田油津媛へ続く伝承を追いながら、
「記されなかった系譜」について考えてみたいと思います。
【第一章】景行天皇と神夏磯媛
日本書紀に記される神夏磯媛は、非常に印象的な人物です。
九州へ赴いた景行天皇が、最初に出会います。
彼女は景行天皇に、自身に背く気持ちはないが、鼻垂、耳垂、麻剥、土折猪折に反抗心があるので討伐して欲しいと言います。
景行天皇は彼女の言葉に従って兵を動かし、土蜘蛛の鼻垂鼻垂、耳垂、麻剥、土折猪折を討伐します。
九州へ赴いた景行天皇に対し、彼女は土蜘蛛・鼻垂について語り、その討伐を勧めます。
景行天皇はその言葉に従って軍を動かし、鼻垂を討ちました。
そのおかげで神夏磯媛は、安心してその地を治めることが出来る状況になりました。
ここで気になるのは、景行天皇の態度です。
地方豪族に命じて賊を討伐させるのではなく、地方豪族の進言に従って天皇軍が賊を討伐しています。
神夏磯媛が、討伐する為の知恵を貸したとか、討伐の手助けをしたという様子もありません。
ただ、「急いでこれを撃つことを願います」と言っただけです。
ただ、景行天皇が神夏磯媛の願いをきいてやっただけです。
もちろん、神夏磯媛が有力な在地勢力であり、その協力を得る為に景行天皇が力を尽くしたという、ただそれだけの可能性はあります。
しかし、神夏磯媛は女性です。
景行天皇がそれだけのことをした女性相手に、子作りを求めないことがあるでしょうか。
というのも、日本書紀には、景行天皇が九州各地で多くの女性との間に子をもうけたことが記されているからです。
その数は、名の記されていない者まで含めれば八十人。
景行天皇は、一部の子供を除いた七十数名の子供達を各地の重役に任じたと記されています。
そうであるなら――
神夏磯媛との間に子をもうけ、その子にその地を治めさせていたとしても、不思議ではありません。
【第二章】田川に残る系譜
福岡県田川市夏吉。
そこにある若八幡神社には、夏羽と田油津媛は、神夏磯媛の子孫であると伝えられています。
しかし、この系譜は日本書紀には見えません。
若八幡神社
福岡県田川市夏吉1636
日本書紀に登場する田油津媛は、山門の豪族として描かれています。
現在の地理で見ると、山門は筑後地方であり、田川とは距離があります。
けれど、地方伝承の中では、神夏磯媛と夏羽は豊前の地に結びつけられているのです。
ここで気になるのが、景行天皇の地方支配のあり方です。
前章でも述べたように、景行天皇は各地の女性との間に多くの子をもうけ、その血族を地方に配置したとされています。
そして、山門の地に残る伝承では、景行天皇の時代に葛築目という人物がおり、討伐されたという話があります。
つまりこの地域は、景行天皇の勢力が平定した土地だったことが考えられます。
景行天皇が平定した土地だとすると、当然、景行天皇は自分の子供にその地を治めさせようとしたでしょう。
もし、神夏磯媛と景行天皇の間に血縁が存在したとすれば、
その子孫がこの地を治めていたとしても、不思議ではありません。
【第三章】皇后に仕えた田油津媛
また、夏吉の若八幡神社には、夏羽と田油津媛に関する、気になる記述があります。
それは、夏羽が妹の田油津媛を、神功皇后の侍従として仕えさせたという話です。
そして、その隙を見て皇后を弑そうとした――とも伝えられています。
この話でまず気になるのは、「暗殺計画」そのものではありません。
むしろ重要なのは、田油津媛が皇后の近くに仕えることのできる立場にいた、という点です。
古代において、有力な地方豪族の娘が朝廷に仕えること自体は、不自然なことではありません。
しかし、田油津媛は、日本書紀の中では「土蜘蛛」とされる側の人物です。
土蜘蛛とは、単なる部族名ではなく、朝廷に従わない地方勢力に対して用いられた蔑称でした。
時に「討つべき存在」として描かれる者たちです。
そのように記された人物が、皇后の侍従として仕えていた。
これは少し奇妙にも見えます。
少なくとも当初は、朝廷側から危険視されていなかった。
そして、一定の地位や格式を認められていたからこそ、皇后の近くに仕えることができたのではないでしょうか。
【終章】なぜ書かれなかったのか
田油津媛は、単なる反逆者だったのでしょうか。
もし彼女が景行天皇の血を引く存在であったなら。
それは、神功皇后よりも王統につながる可能性を意味します。
ここに書いたことが真実とは限りません。
ただ、仮にそう考えると、日本書紀に残されたものと、消された理由が見えてくる気がして、私はそれを小説にしました。
▶ 夏羽と田油津媛の登場
小説「神功皇后 ― 海を越える巫女王 ―」はこちら

