応神天皇陵から歩いて着いた。

 

 

誉田(こんだ)八幡宮

大阪府羽曳野市誉田3丁目2-8

 

木鼻も良い感じこの門は南大門。

切妻造で大葺の立派な四脚門は、元々はこの神社の門ではなく、江戸時代に八幡宮の神宮寺であった長野山護国寺の門なんだって。

 

ここはどうやら参道の脇。

 

入ってすぐ左には「安産木」。

これは…。

 

宇美八幡宮で見た、子安の木=槐の木だ!ってアレ?

 

宇美八幡宮では「槐の木を手折った枝に取りすがりって子を産んだ」なのに、こっちでは「槐の木を刈りとって産屋を造られた」だってさ。

 

どっちにしても槐の木を折ったり刈ったりしてるけれど、ニュアンスが違うな…。

枝を持っているのと、刈りとってなくしてしまうの。

 

なんて思っていたら、HPには下記のように書かれていた。

 

古伝縁起によると、後冷泉天皇の永承六年のこと皇后が御懐妊されたとき、或る夜の夢に、南殿へ出られると、木の下に老翁が立っていてその姿はさながら鬼のごとくでした。

「安産を願うなら吾を祭るべし」と告げると夢はさめ、そこで皇后はこの旨を天皇にお話になりました。

天皇の申されるには「木に鬼は即ち槐(エンジュ)の木である。むかし神功皇后が誉田別皇子を御出産になったとき、槐木をもって産殿の柱を造らせた故事がある。

これはきっと槐木をもって産屋を営むべしとの夢現であろう。はやく槐木の所在を尋ねるようにと勅命を出されると誉田八幡宮に槐木があることが判ったので、勅使を遣わされ境内の槐木の枝を伐りとり、これを産室の上に吊るして安産を祈念され、やがて皇子が御安産誕生された。

 

なるほど理解☀️

神功皇后はただ木を折って持ってたんじゃなくて、木を使って産屋を建てた解釈であり

それをうけて、後冷泉天皇は刈りとった木を使って産屋を建ててるのね💡


既に知っていた神功皇后伝承の新たな話が知れて嬉しい😊



手水舎も立派。

 

狛犬や鬼瓦。


参道を挟んで向こう側には「こんだえびす」と書かれた惠比須社。

神馬。

日本書紀の雄略天皇の赤馬伝説にちなむらしい?



赤馬伝説と誉田御廟塚古墳の倍塚との関係につうて書かれた記事を見付けたので貼っておく。


姫松稲荷社。

空の青と木の緑と鳥居の朱が美しいね🦊




横から入って来てしまったので、一旦正面に回って出直すよ。

次回へ続く。





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