神功皇后は、三韓征伐から帰国した後、粕屋の宇美邑にて応神天皇を御出産遊ばされ、その翌年の春、粕屋と嘉穂の郡境にある大口嶽(大口嶽の乳呑坂)を越えて当地に至ります。神功皇后は、当地にて引率していた軍士を解隊し、それぞれの故郷に返します。その大分から大分と称されるようになったと伝えられています。
5月2日に旧伊藤伝右衛門邸で神功皇后関連のを見て、3日に香椎宮に行ったから、じゃあこの流れで大分八幡宮にも行かなきゃだよね?って思って、(4日は一日家でゆっくり香椎宮の振り返りと神功皇后について読み漁ったりしてから)5日に大分八幡宮に行った。
うねうねした枝がスゴい。
大分八幡宮のHPを見ると、事代主(=恵比寿)だそう。
左は誰だろう?
神功皇后と事代主の関係も調べると面白かったので、おいおい掘り下げたい。
そしたら左の人物の事も分かるかも。
(10/8追記。ミホツヒメと思われる。)
賽銭箱には魚の形。可愛い🐟
市杵島姫も神功皇后に関わっている神様なので、おいおい掘り下げたい。
「殺生禁断」と書かれた石碑が池の中に生えている。
HPには「澄んだ水を湛えて広がっています」と書いてあったけれど、めちゃくちゃ濁ってた😱
この濁りは一時的なものなの?そうなら良いなと思うけど、どうなんだろな。
見てこの太い幹。モコっと丸っとしてて味がある🌳
関係ないかも知れないし、猿田彦時代がかなり多岐に渡る神様だからなんともいえない。
日清戦争、日露戦争は学校で習った覚えがあるかけど、日独?
どうやら、第一次世界大戦の事をいうらしい。どうかな、習ったかも?どうだろう。
えっ、あ、そうなの⁉︎
筥崎宮のサイト見たら確かに「延長元年(923)筑前大分(だいぶ)宮(穂波宮)より遷座した」って書いてあった。
多分、読んだはずだけど、分かってなかったわぁ。
大分八幡宮の存在をまず知らなかったしね😅
ついでに言うと、筑前大分が飯塚に含まれる事もつい先日まで分かってなかった😅😅😅
飯塚広し、侮り難し。
なんて思ってしまったよ。
産湯って、出産直後とは限らないのね。
3日目のを言ったりもするそうだけど、この場合はもっともっと日が経っていると思われる。
右奥に見えるのが産湯の井戸。
本日1冊目が届いたので、ちょこちょこ読んでいこうと思う。

まだ本殿まで全然行ってないけど、一旦締めて次回へ続く。
































