『日本精神復興促進会』設立に向けて大塚寛一先生が政財界の要人や文化人、著名人を前に御講演をされました!
戦争、政治、教育、病気、質疑応答など多岐にわたるー 昭和43年4月11日 パレスホテルにて ー
◎人間の力は範囲が狭い 現代社会は錯覚に陥り、すべてに狂いが生じてきた。そして今はもう混沌(こんとん)として、よりどころがなくなってしまっている。今日の日本の混乱もここに原因がある。なぜそうなるか。俗人(ぞくじん)は「谷の人」と書く。一寸先が見えない。朝作った規則を夕方に変えなければならず、朝の規則のまま突破していたら谷に落ちてしまう。俗人は紙一枚置いて向こうが見えず、皮一枚下の自分の病気さえ看破(かんぱ)できない。いわば「度のない眼鏡」のような目で見て事をするということであり、大きな間違いだ。そのような人類が、物質科学、人間の力に頼り過ぎているから、一昨年(おととし)のガン会議(第9回国際癌(がん)会議)に65か国の5000~6000人のガンの大家(たいか)が来ても、誰一人ガンの病原さえも看破できないで、すごすごと解散してしまっている。俗人の次は仙人(せんにん)と言って「山の人」と書いてある。山の上の人なら4~5丁先までは見渡せる。一昼夜程度の計画は立つ。その上に「神の道」「自然の法則」がある。人間の力というものは非常に範囲が狭い。地球が24時間の間に唸(うな)りを立てて自転していても、その音が耳に入って寝られないという人をいまだ聞いたことがない。また蟻が千匹万匹通っても、その足音さえも聞き漏らしている。それで世の中の動きを見破るということは非常に困難だが、そのような知恵をもって事を図るから、今日のような混乱状態に陥っている。
◎「厳正中立」を守らず大敗招いた日本日本にとって一番大きな間違いの表れは何か。日本人は「日本精神」によって生きていかなければならないにもかかわらず、よそ(外国)の「主義」に囚(とら)われている点だ。大東亜戦争(だいとうあせんそう)の時にも、ヒトラー、ムッソリーニが欧州(ヨーロッパ)で非常な勢力を張っていた。それで東條(英機)ら上層部はこれに幻惑(げんわく)されて、そうして欧州の戦争を独伊(ドイツ・イタリア)がやる一方、東洋の戦争を日本と独伊の両方が相交互(あいこうご)してやろうとしていた。けれど、そういう必要はなかった。すでに欧州はあと20年ほどで衰退するところであったし、アメリカも昼の3時ごろ、まさに日没を迎えようとしていた。こちら(日本)は昼に向かって伸びようとしていた。だからその時には戦わずして「不戦必勝」、時を待てばよかった。絶対戦いをしてはならない。戦えば3000年来ない大敗を招いて、焼き払われてしまい、世界から悪く思われて苦境に立たなければならない!ではどうすればよかったか。ドイツと日本とは、ソ連を敵にして防共協定を結んでいた。にもかかわらず、ドイツはソ連と不可侵条約を結び、日本に軍事同盟を申し込んだ。もし独伊と軍事同盟を結んだら、棺桶(かんおけ)の先棒を担(かつ)ぐようなもので、自分が火の中へ飛び込まなければならない。だからやってはならないと、わしが言っているうちに軍事同盟を結んでしまった。この上は仕方がないから、英米と不可侵条約を結ぶ。ドイツは日本と防共協定を結んでいるにもかかわらず、その相手国のソ連と不可侵条約を結ぶような国際信義のない国だ。ドイツとソ連の不可侵条約は、狸(たぬき)と狐(きつね)の条約だ。もしソ連を襲うことが有利になれば、ドイツはこれを破棄して、いつでもソ連を撃ちにかかる。しかしソ連もまた、日独両方に挟み撃ちにされるのを恐れているから不可侵条約を結んでいるのであって、日本が「厳正中立」を守ればソ連は英米と寄って独伊を潰(つぶ)す。それで平和が来るか。否(いな)その次には英米とソ連が対立する。その時も日本は「厳正中立」を守って、どちらへもつかない。そして、戦争もいよいよになってどちらかがひどい目に遭(あ)い、大変な敗北、憂き目(うきめ)を見るようになったら「指導者には責任があるけれど国民には責任がない。戦争をしようとしている国民は一人もない。あまりにひどいことをするのは人道上許せない。そこまでやるのなら、その弱い方の国民を守る」と言えばひとりでに応じてくるから、その手法をやれと言っていたのだが、そのまま戦争をして、とうとう大敗を招いた。
◎「神の道」に適(かな)えば共存共栄が実現 この中に政治家の方もおられるであろうが、今日、議会などを見ていても、より良い政治になるような発言をして、そして間違った者を抑えるのかというとそうではなく、相手の揚げ足ばかりを取って、何ら新たな進むべき道を出していない。それに、欧米の政治というのはもう時代遅れの政治である。支那(中国)を見ても、ソ連を見ても、台湾を見ても「一国一党」だ。いくつもあるのは、蛇に頭がたくさんあるようなもの。それが増えてくると、八岐大蛇(やまたのおろち)のようになって、国家は動きがとれなくなる。政党の頭になるような人はみな優れた人だ。そういう人が寄って「日本精神」を基本中心にして協議し、政治を行っていく時には、今日の難関を逃れることができる。そうしてこの「神の道」「自然の法則・天理」に適(かな)ったやり方をしていく時には対立がなくなって、みな共存共栄が実現する。それは日本以外では成り立たない。日本は皇室を中心として国民が集まり、一家は年長の親やお爺(じい)さんが中心になって組織立っている。これが自然に生まれた国柄(くにがら)だ。他の国は日本のようなわけにはいかない。武力で征服して強い者が立ち、次の強い者が出たらまたそれに倒されるから、上に立っている国王は国民を搾取する。国民と国王とが相反した立場に置かれているから共存共栄ができない。ところが日本の家庭はお爺さんやお婆さんを立てている。よそから入ってきてその椅子、地位を奪うということがない。国家が皇室を中心にして成り立っている。そして皆、今は欧米が進んでいるように思って模倣しているけれど、裏半球はもうすでに冬眠に入ろうとしている。世界の情勢というものは、700年くらいの間に1回転してくる。340~350年前に遡(さかのぼ)っていくと、アジア人が非常な勢力をもって、アフリカの辺りまで勢力を伸ばしていた。それが衰えてきて欧州の方に勢力が回っていく。その300年の間に今日の物質科学文化が進んできたが、アメリカに秋の木枯らしが吹き、紅葉し、そして落葉する時期が来てどれほど慌(あわ)ててもどうにもならない。その動きを看破して、そしてそれに順応してゆく時は、日本は結構な所に行かれる。「天の時」と「地の利」を得ているからだ。ところが惜しいことに、人を得ていないために混乱状態に陥っている。今ここで1億国民が本当の正しい「神の道」を見出して結束しなければならない。その「神の道」に従うと労使が一緒になる。買い手と売り手の利害が一致してくる。
◎日本人はまず「日本精神」で精神の成長を知識というものは肉体を育てる食物と同じで、自己を育て、民族を立派にするために取り入れるべきものだ。それが日本は、取り入れることは入れたが、不要な物を排泄(はいせつ)することを忘れて鵜呑み(うのみ)にしてしまった。そして共産主義思想が入ってくるとそれにかぶれてしまって「ソ連祖国」と赤旗を振り回し、自己を見失った。ソ連の共産主義は、ソ連に必要があって生まれたのだ。アメリカの民主主義も国情、自然の要求によって出来上がった。日本の国には3000年続いている「日本精神」というものがあった。これを立派に育て上げるための思想は取り入れ、不要なものは捨てるべきものが、出すことを忘れて全部を受け継いでしまった。尻に栓を挿して食べ物を上から詰め込んだり、豚を食べて豚になったり、魚を食べて魚になったりしてしまうようなものだ。植物を見ても、同じ肥料であってもスイカにやればスイカになり、キュウリにやれば立派なキュウリになる。それが日本人は万物の霊長の人間でありながら、共産思想のマルクスやレーニンを取り入れると、自分がそれになりきってしまって自己の本質を失っている。これは若い人に責任があるのではない。人間の肉体が成長するのに食べ物を要求するのと同じこと。また精神も、成長する時に養分を要求する。その養分の選択を誤っていろいろなものを取り入れ、そして共産化している。取り入れ方が大いに誤っているのは指導者に大きな欠陥がある。日本の政治家はまず日本人になければならない「日本精神」を十分に、満腹するところまで国民に与え、そして精神の成長を図らなければならないのに、大正時代にすでにその道を脱線しかけて、その後、昭和は40年が経った。今日では「日本精神」が入らずによそ(外国)の思想が入り込んでしまっているから、国内に共産主義、民主主義、いろいろの主義があってバラバラになってしまっている。これを一個人に例えれば精神分裂症に罹(かか)っている。
◎心の奥底に眠る「日本精神」を呼び起こせ国があり、経済が発達しているように思っているけれど、精神が狂ってしまった者は精神異常者となって精神病院に入れられてしまうように、精神が狂ってしまった国は崩壊するよりほかない(聴衆より拍手)
だから今からでも遅くはない。これを復活せしめるのには皆が、奥底に眠っている「日本精神」を呼び起こし、それに目覚めて立ち上がり、そして結束することだ。日本がもし立ち行かなかったなら、世界はこの動乱によって潰(つぶ)れることは火を見るより明らかだ。日本の「神国」というものは自然に出来上がった国柄である。だから階級闘争などもってのほかだ。資本家があって労働者が立ち、国家があって国民が大手(おおで)を振って世界を歩くことができる。その国家と国民が対立をし、労使が争いをしている。そういうことをしていたら支那にやられてしまう。支那は日本人よりも学問はしていないけれど、実に社会が巧妙に、合理的に出来上がっている。それが足元に迫っているにもかかわらず、日本は自国を忘れてしまっている。日本では昔から「三尺下がって師の影を踏まず」と言う。それが、明日の国家を背負って立たなければならない大学生が共産主義思想の活動に振り回され、崩れていっているのに国はひとつも手を打たないでいる。これは大きな間違いだ。わしが見るに、大学の先生は7割方は良いと思う。ところが、あとの3割は共産主義の徹底した訓練を受け、それが指導者階級の中に混じっている(聴衆より拍手)。そして純真な生徒が角棒を持って鉄兜(てつかぶと)を被っている。それは純白な者が、色が付いて染められているのだと思う。だからその者自体に罪はない。韓国でそれがすでにはっきりしている。李承晩(りしょうばん)が立った時に共産系の者が学生を先導して、そして、とうとう失脚させてしまった。その後に今の大統領(朴正熙=ぼくせいき/パクチョンヒ)が立ったが、あれも学生が3~4回暴動を起こして失脚させようとしていた。が、朴大統領は見る力が鋭いからその原因をはっきり見つけて、背後で学生を操っている400人ほどの者を捕まえ、投獄してしまった。すると今は学生も国民も皆、国家の方針と一緒になっている。この間、北朝鮮から来た30数人の決死隊が朴大統領官邸を襲撃しようとした時(青瓦台襲撃未遂事件)、学生も国民もみんな団結してたちどころに抑えてしまうことができた。それを見ても、学生そのものは純白・無地・白紙の者だ。
◎憲法は国家のためになる憲法に 恐ろしい者が後ろにいる。けれど日本ではそれを排除することができない。後ろには日教組(=日本教職員組合)という組織があり、大学の先生がどのようにしてもこれを取り除くことができない。それはちょうど、敗戦のために外国の圧力によって、日本の国に自壊作用を起こさしめるような憲法をつくり、その憲法に縛(しば)られてどうにもならなくなっているのと同じだ。けれどあの憲法は、真珠湾(しんじゅわん)を宣戦布告(せんせんふこく)もせずに爆撃するという犯罪を犯してアメリカの東洋艦隊を潰した、そのしっぺ返しだ。これは「因果の法則」当然のことだ。それによって課せられた憲法を被(こうむ)っているから動きがとれなくなる。実に巧妙にできた策略だ。けれどもその講和が成れば、囚人の年季が明けたのと同じであり、赤い囚人服の如(ごと)き憲法は脱ぎ捨ててしまって、平服の憲法に代わるべきだ。憲法というものは国家のためになる憲法でなければならない(聴衆より拍手)。憲法のための憲法であってはならない。それを改めようとしないでいるのは、皆、外部の謀略(ぼうりゃく)によって血迷ってしまっているのだ。
◎今の教育では傑物は生まれないそれから学校にしても、日本は世界で類のないほど大学を多くこしらえているが、大学はそれほどまでにいらない。大学をこしらえるのなら、明日の国家を背負って立たなければならない人を教育するのだから、教育される者よりも教育する方がはるかに偉くなかったら教育はできない(聴衆より拍手)。今から300~400年ほど前に遡(さかのぼ)ると、手のひらで抑えられるほど狭い所に、豊臣秀吉、織田信長、徳川家康の三傑(さんけつ)が出ている。彼らは大学へ入っていない。独学自立によって上の地位へ上がっている。日露戦争当時の人口が3000万であるから、その当時まで遡っていけば人口は非常に希薄(きはく)だ。その狭い所に出現したあの三傑の足跡(あしあと/そくせき)すら今は見えない。教育によって、堕落(だらく)してしまっておる(聴衆より拍手)
自然生え(しぜんばえ)の中にはあれだけの傑物(けつぶつ)が、今の人口に比例しただけの数で日本に生まれていることは明らかだ。しかし、学校が経営のための学生集めにばかり汲々(きゅうきゅう)として、本当に教えるべき「日本精神」がそこにこもっていないから、今日のような混乱状態に陥っている。だから、大学の先生にはもっと多くの給料を出さなければ駄目(だめ)だ。あの野球の金田(正一)の1割の金も出さないで、良い人材が集まるはずがない。もう少し立派な、生徒が尊敬できるような先生を集めてやればいい。それと、今はあらゆるものが非常に進んでいるから、今日の青年・学生諸君を良くしようと思ったなら、テレビがある。大学でも、生徒の多い学校はテレビを利用して、先生が直接教えていない学校さえある。政府が金を出して放送局をつくり、中学校・高校・大学と、自分の家庭にいながら勉強ができるようにして、年に2回の国家試験で資格を与えていくようにするとよい。
◎大事なのは「財」ではなく「精神」 今は学生をキャンパスに集めていて、そこへ共産主義者が、ちょうど釣堀(つりぼり)へ魚釣りに行くように活動している。これほど赤化するのに便利な環境はない。昔の言葉で言えば人生50年、その半分の約25年、親のスネをかじって学校へ進み、徒食し、そして赤化してしまっている。これは非常に大きな間違いだ。 それから、昔の徳川時代には学校はなかったけれども、浄瑠璃(じょうるり)や人形芝居を見て、70歳、80歳になっても、津々浦々(つつうらうら)までその義理人情や勧善懲悪(かんぜんちょうあく)の内容によって国民教育をしてきたから、忠君・愛国(ちゅうくん・あいこく)の念は今日(こんにち)の人とは比較にならないほど立派に育っていた。今、日本は経済が非常に発展して、戦争に勝ったアメリカや英国が経済的苦境に陥っている。戦争に負けた日本が欧米を凌(しの)ぐほどに進んでいる。けれど、大事なのは「財」ではない。「精神」がしっかりしていなかったら何にもならない。だから今、日本の国が独立しているように皆思っているが、わしの目から見たら、日本はもうすでになくなっている。ユダヤ人は国がなくても精神力と民族の誇りで結束し、世界の思想・経済を動かしていた。今日の日本が今やっていることは全部精神異常者の行いだ。◎「日本精神」に立ち返れば、今日の難関を突破できる 東洋には「道」というものがある。道はどの方面でも通じる。あなた方人間がこしらえた道でも、山奥へ行く道も大道(たいどう)に通じている。まして神の創った道は森羅万象(しんらばんしょう)全部に共通して働いている。その「神の道」に従ってゆく時、天分を最高に発揮し、究極まで生き抜いて、そして最後には「大安楽往生」(だいあんらくおうじょう)ができる。
その道を見いだしてゆく一番の近道は、今、共産主義だとか民主主義だとかいろいろ取り入れたよその主義・思想をいったん洗い流してしまって、自己を反省し、自己の本質の「日本精神」に立ち返ることだ。そして1億の国民が団結する時に初めて、日本は本来の姿に立ち返ることができる。原子兵器も化学兵器もいらない。何よりも強いのは「精神力」である。アメリカは進んだ化学兵器を持ち、世界で一番強い力・権力を持っておりながら、わずか3000万の、兵器を製造する設備もないあのベトナムを抑えることができない。それは精神力にある。日本は明治時代に3000万弱の人口で6億の中国と戦い、これを抑えた。またソ連の3億の国民とも戦って、それに勝ち抜いた。その日本を支えた「日本精神」が、取り入れ方を誤って異国の文化を取り入れたため、今日のような状態になった。「日本精神」とは何かと聞いてみても、今日の若い方に、その答えを出せる人は1人もいない。牛は牛でなければならず、魚は魚、ニンジンはニンジン、ゴボウはゴボウ、日本人は日本人の精神でなければならない。それが、よその精神を取り入れて、そして自分を忘れているということは大きな誤りである。これではもう滅亡するよりほかに道がない。しかし、根がニンジンであったものは多少削り取ってもやはりニンジンである。3000年続いてきた、内在・潜在しているその「日本精神」に外部の思想を適度に加え、そうして「本然の姿」に戻って結束すれば、今日の難関を突破することは大した困難ではない。それが一番楽に、早く理想に到達できる近道だ。
◎新しい時代の中心指導原理は「神の道・真理」社会というものは文化の発達程度に応じて形成され、その中で組織が次第次第に発展し進歩していくものだ。いつまでも旧観念の国家組織が続くと思ったら大きな間違いだ。今の世界が国家ごとに固まっているのは、その「時期」が来るまでは人類が、ちょうど卵の中のように流動体・半流動体であったからだ。それが、今日は文化が進み、卵の中でヒヨコが完成している。人間はもう羽が生えて飛べるようになってきている。国家の殻を取って中のヒヨコが、つまり全人類が寄り合って生活できるのだ。その中の指導原理の中心は「神の道・真理」である。それを中心軌範とする時に初めてこの地上が救われる。キリストも「天国は近づけり」と言っており、もう間近に来ている。お釈迦(しゃか)さんも、正法(しょうぼう)1000年、像法(ぞうぼう)1000年、その5・5の100年の2500年後、ちょうど今がそれにあたるが、その時には、仏教で救い得られなかった人が皆救われると言っている。
◎人類の文化は「神の偉大な力」によるもの 今日このように文化が進んでいることを、皆は人間がつくったように思っているが、そうでない。偉大な神の働きがあってこのような文化が発達したのだ。それがもし人間の力によって発達したものなら、人類が発生してから何百年もの間に徐々に発達すべきもの。ところが、ここ40~50年の間に急速に人類の文化が発達したことは、これは「神の偉大な力」「神の摂理」によるものだ。今からちょうどひと月ぐらい前までは桜の木が花も何もなかったが、先日満開になっていた。あれは桜が自力で咲かせたように思えるが、桜の力と、もう一方には太陽の力があり、その力が影響してきて、野も山も全部の木が一斉に開花・満開したのである。人間も、力が内在はしていても「神の力」がなかったなら文化の花を咲かせることができなかった。それが40~50年で開花・満開になったということは、それをもっても明らかだ。もうすでに世界が、16時間ほどあれば端から端まで行けるようになっているのに、国家の殻(から)に閉じこもっていると窒息してしまう。正しい真の指導原理が出て、その組織の下に秩序整然として結束することだ。
◎悪因縁が取れると、きれいな姿になり大安楽往生する 今は戦争も恐ろしいけれど、大勢の人が病で死んでいることが恐ろしい。一昨年のガン会議の年の12月であったか、その当時にガン戦争と言っていた。最初は4分間に1人ガンで死んでいた。それからしばらくしたら3分間に1人死んでいる、と言うようになった。欧州大戦(第一次世界大戦)の4年間に死んだ戦死者よりも、ガンで4年間に死んでいるほうが、その当時にしてはるかに多いと言っていた。ところが病はガンばかりではない。脳溢血(のういっけつ)や高血圧で死んでいる人もいて、全部の人が天寿(てんじゅ)を全うせずして死んでいる。そしてその見分け方を、過去の宗教家なりお医者さんたちが皆気づいていない。だから、わしの所に医師会(東京都医師会)からも訪問があった。まず最初に式場隆三郎(しきば・りゅうざぶろう)君と放送のための対談で話したが、あの人の意見では「人は病に罹(かか)らなかったら死なない。死ぬ人は皆病によって死んでいる。それが今の医学の常識になっている」ということだった。ところが、柿でも何年も落ちないでいる柿はひとつもない。稲にしても麦にしても、先の実が円熟したら殻は枯れて、そして倒れてしまう。それが人間ではどういうふうになるか。その見分けが分からなかったのだ。その見分け方は、人間の場合、死期(しき)が分かる。自分の死が迫っているということを悟(さと)る。そして何の不安もない。皆と心持ちよく挨拶をして、そして眠るように息を引き取る。息を引き取って1時間半ぐらいすると、痩(や)せた人は肉が付いてくる。腫(は)れている人は腫れが引いてきて、体温が20時間も30時間も冷めない。そして体が絶対硬直(こうちょく)しない!
万物の霊長(ばんぶつのれいちょう)である人間が一番結構な最期(さいご)を遂(と)げなければならないのに、人間は自分の知恵のために邪道に陥っている。そうしていつまでも生きられるもののように思って、病気をすると無理矢理に周囲から栄養やら何やらを詰め込もうとしている。けれど蚕(かいこ)を見れば分かるように、蚕も蚕の時代が済めば、もう桑(くわ)を食べない。そうして体は透き通るようになり、藁(わら)の中へ入って自分でちゃんと繭(まゆ)を作る。そのように、人間は悪因縁が取れてくると、煩悩五欲(ぼんのうごよく)がなくなってきれいな体になり、食事も貪(むさぼ)り食べない。そして、きれいな姿になって死ぬ。これが「仏さんになった」ということだ。だから、七転八倒して苦悶して死んで地獄へ落ちる、そのような人が仏さんになったなどと思ったら大きな間違いだ。 お腹からこの世へ出てくる時も同じこと。悪因縁が取れてくると、お産に15分以上かかるという人はほとんどいない。そうして立派な子どもができて、臍の緒(へそのお)の太い、頭の丸く発達した子どもが生まれてくる。
◎真の日本神道である神霊教は他のどの宗教とも対立しない
人類が発生してからの長い間に、お釈迦さんやキリストあたりは霊覚が鋭いから、今日のような「時期」が来ることを感知し、楽しみにして、そして多くの人に説法した。今日までの間に合わせに、言わばアヘンやモルヒネでその時の苦しみを逃れるような話術をもって、自己満足によって導いてきた。それで今までの宗教は、死んでから極楽へ、天国へ上がれる、それを楽しみにして信じてきた。けれど本当は、現世で悪因縁罪障が取れてきれいな体にならなかったら、向こうでは絶対、結構な所に行かれない。ただ、今はもう時が来て、地上の人が真に大安楽往生の境涯に入られる時期が来ている。だから「神の道」が表面に出て、日本人が「日本精神」に立ち返り、結束していけば人類は真に救われる。ちょうどわしは、今このように「神霊教」をやっているが、神霊教だけは仏教ともキリスト教ともマホメット教(イスラム教)とも、どれとも絶対に対立しない。なぜ対立しないか。みな理想は立てているけれど、言わば富士山の八合目までしか上がっていない。だからそこに宗派的差別がある。もう一歩踏み切って頂上に行って初めて、どの宗教にも共通し、もう宗派的差別がなくなる。そうして理想を立てても得られないで滅亡していたものが、神霊教では全部その理想に到達できて救われる。それと、キリストの奇蹟くらいは神霊教の信者が実現している。このことを外国の人が知れば、「日本精神」が世界の八方から招かれて、共存共栄の道が開かれていく。そして初めて地上天国が実現する。言葉ではなかなか理解しにくいであろうが、言葉や文字というものは非常に粗雑(そざつ)なものだ。その人がそこまでの境地に行って初めてそれが分かるのだが、神霊教ではそれが事実として皆の身の上に表れ、境遇が一変して救われている。その事実を、わしが朝から晩まで常に話していることを聞いて、若い者はじっとしておられず、街頭に出て布教宣伝した。その中の、今ここにいる少年が皆さんにお知らせして、今日のこの催しが実現した。
◎真の日本神道神霊教では言葉が必要なく、現象が現れる!今までにないことをお話しするのだから、非常に分かりにくいかもしれないけれど、わしが言っていることは全部事実である。どれほど立派な話をされても、事実の伴わないものは無価値だ。それを信じたら迷信になる。迷信に陥ると滅んでしまう。それが「神霊教」では言葉が必要なく、ハワイにいる信者にも、今この霊南坂の支部(現本部)にいる人にも、同じように現象が現れる。今の医学は、ガンや肺の空洞などは手術するが、元来人間の体というのは実に立派にできている。その立派に働く力に「神の力」を加えていくと、悪いものはみな体外へ押し出してしまう。体の上側にあるものは口の方へ出る。また耳から出ることもあり、鼻から出る人もいる。そうして悪いものが出れば、胃ガンなどでも切らないで元の「本然の姿」に戻ってくる。生まれながらの奇形児でも本然の姿に戻る。それは因縁によって発育が不自然になっているのだ。だから小児マヒで片足が細く短く、冬など氷のように冷たくなる者も、会堂へ数回来ると温かくなって、良い方の足よりも温かくなる。細い、鶴の足のようになっているのが、太くなって長さがそろってくる。ここ神霊教では、今どれほど悩み苦しんでいる人でも、来られると、性格が悪く欠陥のある人は脳の格好(かっこう)が変わって、そして性格が一変する。酒乱の、大酒するような人でも皆治る。性格の欠陥は過去に積み重ねた因縁によって出ている。その因縁による力の幾倍(いくばい)もの強い力が働けば、性格が変わって平常状態に戻ってくる。
◎皆、神の力によって生かされている 皆には神がついている。こうして皆が生きて健康でいられるのは、自力でない。皆、神の力によって生かされている。その神を忘れてしまって浅薄(せんぱく)な人智に頼るところから、ますます間違った方向へ深入りをしている。だから、そこにお気づきになったなら、神霊教はこの霊南坂でずっと活動しているから、いつでもその実体をご覧になると良い。良くなっている人が体験を話している。身をもって体験している。だから今日の医学にしても、教育にしても、政治にしても、肉眼の他に「心眼」を開いてものを見ると真相が映る。そして正しく判断して、実行していく時には、いかなる災難でも逃れて、結構な境涯に入られる。あまりに範囲が広いから、細かく話をすると飛び飛びになって分かりにくいと思うけれど、事実が証明しているのだから、いつ何時(なんどき)でも、研究がてら教会においでになられたら、よくお分かりになると思う(一同拍手)。聴衆の質問に答える質問者1 先ほどの「日本精神」というものをもう1回お話しください。「日本精神」とは自然に出来上がったものである。国家社会でも、世界組織にしても、何でも世の中の事を合理的にしようと思うと、自然の姿を見るのが一番よく分かる。皆さんの体の組織を究極まで突き詰めていけば、その中にきちんとした合理性がある。一番理想的に出来上がっているのが皆さんの体だ。一輪の花を見ても分かる。真ん中が雌しべだとすれば、雄しべがその周辺にあり、さらに花弁があり、萼(がく)があって、雌しべを囲んでいる。一軒の家でも、お爺さんやお婆さんが中心になって、子どもたち、娘や息子が寄って、そして真ん中を守るように出来上がっている。日本は皇室が中心になって、そしてその周囲に国民がある。これが初めからずっと続いているのは日本だけだ。そこに国家と国民との利害が一致する。お爺さんやお婆さんと息子の利害が一致する。利害が一致しないというのは、よそから間違った思想が入り込んで狂いを生じているのだ。ものは言葉をもって表現できるものと表現できないものと、二つがある。肉体のほうは物質的に試験管や物差し等で測れる。ところが、一方の精神と生命は測っても測れない。試験管でも捉えることができない。そういうものが、陰陽両方の均衡が取れて、生存できている。だから人間の体ひとつはっきり掴(つか)むことができれば、国家の政治など問題でない。労資などを取ってみても、頭が資本家なら足は労働者だ。人間の体は均衡がちゃんと取れている。だから、そのものそのものに応じた立場に満足すれば、働いたら働いただけちゃんと配給が来るようになっている。手足ひとつ動かしたら、それだけの養分が行き渡る。だから資本家と労働者を人間の体の組織のように組み立てていけば、何ひとつ文句なしに出来上がる。けれど人間の組織というのはみな利己主義になるから、資本家の中には下の方へ栄養を与えるのを渋る者がいる。そんな会社は潰(つぶ)れる。 労資が対立、争いをしている情勢だと、労働者は「資本家と労働者は対等だ」と叫んで、資本家に「わしに一生楽をさせてくれ」などと言われたなら、「お前のような奴」と言って資本家の頭を長靴の中に入れて歩かせ、自動車に轢(ひ)き潰されてしまうだろう。理法に即応していった会社は栄え、家も栄えて、国は富んでいく。質問者2 なぜ物質だけ進んで、精神との均衡が取れないのですか。
皆さんは肉眼でものを見ているが、肉眼ではものの表面しか分からない。「心眼が開く」と言っても、その心眼はいろいろの因縁によって歪(ゆが)みが生じたり、濁(にご)ったりしているから、良いと思ったことが間違っている。縄と間違えて毒蛇を握っているようなものだ。その証拠に、皆さんがやっていることの目的と結果とが違ってきてしまう。本当に心眼が開いてものの真相が分かってくれば、目的と結果が一致すべきものだ。だから動物は、人間よりもはるかに理想的に生存している。たくさんの動物がいるが、胃袋を切られたり、横腹へ人工肛門を付けたり、そんなことをしている動物はひとつもない。まして富の上にもいろいろの問題を起こしているのは人間だけだ。そのように知恵が誤り用いられているのは、因縁によって心の鏡が歪(いびつ)になり、心眼が狂っているからだ。物を見ている人が色盲にかかっているのと同じことである。――――人間というものの組織、機能が、実に良く出来ているので、毎日神に感謝しています。そういう面から見て、お話はよく分かります。よく分かるというのは当たり前のことだ。ただ、普通の人は当たり前のことを見逃している。皆さんにとって世の中で一番大切なものは金か、ダイヤか・・・一番大切なものを皆忘れている。「奇蹟」というと、たまにあるもののように思っているけれど、花一輪咲いても偉大な奇蹟である。卵が20日ほど温められて、半流動体のものから羽が生え、クチバシが出て歩き出す、これは奇蹟だ。歯が生えてくる、爪(つめ)が生える、髭(ひげ)が生えてくるのも、目が見えるのも、みな奇蹟だ。奇蹟でないものはひとつもない。慣れてしまって鈍感になって、誰もがそれを見逃しているが、世の中は奇蹟によって充満している。だから人間は、知恵よりも自然の姿を見て、それに対して素直に自分を見つめていく時に、最も良い道を得る。質問者3 全世界における自動車の無制限な生産によって、人が殺されている。現代の交通戦争をどう考えますか。 今日は車の1輪を失って、芯棒(しんぼう)を地べたに引きずって走っているようなものだから、それが起きている。原因はどこにあるか。物質科学文化ばかりで精神文化が伴っていないところに今日の災いがある(聴衆より拍手)。皆は自動車が大変便利だと思っているけれど、ますます生存競争を強めているだけだ。一方だけが自動車を使っているのならよろしいが、一方が使うと、金持ちがよりいいのを使う。日本ができれば外国もできる。よそがやるからこっちも、それが競争になってしまう。その争いに没頭する。それは精神が足りないからだ。文化が発達する根本にある精神指導原理を失っているからだ。今の政府は、税金を取れるから良いということか、どんどん車を増やして事故を起こして、運転手ばかり罰している。車を増やしていたらそれだけ良くなるか。その次がそれ以上の物を売り出しているから、いつまでも競争していって、昔の弥次喜多道中(やじきた・どうちゅう)の当時と大差ないまま災いのみが重なってきている。それは精神的方面が遅れているからだ。その均衡が取れてくれば、これはみな解消してしまう。そして大勢死ぬと言っても、それはただ時間の違いだ。早く死ぬか遅く死ぬかの差で、いずれは皆その関門を通らねばならない。だから、いかに運営していくかということ。今日の文化の発達に応じて精神面を育てて発達していけば、交通戦争はひとりでに解消してくる。質問者4 先生の御力の発揮は、気合いをお放ちになるのですか。
最後の究極の一歩になると、所作(しょさ)や一切のものは必要なくなる。一切のものが本源の姿になり、霊体霊子(れいたいれいし)になって一つのものになる。物が運動を停止すると、三種の神器の鏡の姿になる。有って無く、無くて有るところ、そこまで行くと、静動一如(せいどういちにょ)、有無一如(うむいちにょ)になって、ここで思うことがどこまでも通じていく。 だから神霊教は加持祈祷(かじきとう)などの類(たぐい)は一切しない。そのようなことを行っても、ハワイやアメリカやブラジル方面の信者は理解する耳を持っていないから分からない。かえって人間よりも動物のほうが敏感だ。わしが電車に乗ったりバスに乗ったりしても、隣の人は一向に何も気がつかない。ところが、付近の犬や猫や動物はわしの力を感知(かんち)しているから、病気になるとやって来る。1週間くらい日参して、良くなったらまた帰っていく。いろいろの所作によってやることを「術」と言う。術というものは限界がある。そして、「合う」「合わない」によって功罪が分かれてくる。術では必ず全部が良くなるとは言われない。度を過ぎ、用い方を誤ると、空気が口を塞(ふさ)いでいて、ポンプでそれ以上に空気を入れると肺が破裂(はれつ)するように、禍(わざわい)を起こす。けれど、「神の道」「神の力」というものは過不足なしに通じていくから間違いが起きない。為さずして成り、無為にして化す。だから何事でも、加持祈祷などの類は一切用いない。
大塚寛一先生