
■人類も循環の理法に順応し真価を発揮す
■天地の理法に従い人類の危機を脱せよ
■東西文化の均衡を得て共存の道が開ける
物は、何でも相反したものが寄って、一つの物が出来上がっている。一本の磁針を見ても、一方が陽になれば、一方が陰になって、その働きをする。人間の身体を見ても、前と後ろとが相反している。それを縦に割ってみても、右と左は全くの正反対になっている。男と女でもその通りである。また地球について見ても、赤道の南と北とが陰陽相反したものになっている。それを縦に割ってみても、東洋と欧米は相反している。その相反したお互いの特長を生かし合い、欠点を、特長によって補い合って行くとき、そこに調和と平和、共存共栄の道が開かれてくる。相反しているからといって、それと対立摩擦を起こすことは、正しい道から外れている。物が生きて躍動するということは、相反したものが寄って、そしてそれが均衡・調和をとろうとするところに活動力が起きてきて、自転して行くのである。一家で言えば、夫婦のように相反したものが寄ってお互いの特長を生かし合い、そして欠点を補い合って行くときに、子孫が永遠に発展して行くのである。もし、同一のものばかりになってくると、それでもう運動は停止してしまう。現在の文化について言えば、西洋の物質文化が非常な速度、勢力を以て発展してきているが、それに相反した精神文化が躍動して、相互の均衡がとれたときに、永遠の発展と共存共栄の道が、そこに開かれてくる。
■二十一世紀は理想文化が完成する時代である
欧米とアジアとが、どういうふうに違うかというと、アジア、特に日本は、男尊女卑、家を継ぐにしても男系が継いで行くのが原則である。英国などは、その反対に女系が王位を継承して行くようになっている。顕微鏡もまだ出来ていない昔から、東洋では男性が家を継いでいるが、このことは、ものの道理にかなっている。すなわち、男の精虫が婦人の体内に入って、その卵子と寄って、その結果、次の人間が生まれてくる。だから、生命の本筋は男系の方から生まれるので、それを補助するのが女性だと言える。まあ、たとえれば、婦人が植木鉢になって、その中に植えられるものが男子である。そこに生命が永遠に続いて行く原則がある。それと、西洋の方は器の役割をし、東洋の方は中の役割をしている。それで、人から尊敬されて手を合わせて拝まれる中身はアジア人の方であり、またその殿堂やいろんな納まるところの器は西洋の方である。西洋の方は一つのものを微に入り細にわたって分析して進んで行って、有形的物質文化の方に重点を置く。東洋では反対に、目に見えない生命精神の奥へ、一元の究極のところへ入って行く。ちょうど、帯を締めるのに、へそのところから両側に分かれて行って、相反した方向に行っているが、後で結ばれてくるように、今やまさに西洋文化に相反した東洋の精神文化が表面に現われてきて、その調和がうまくとれて結ばれ、理想的文化が出来上がる前夜に迫っている。この理想的な文化が完成する時代、それが二十一世紀である。
■極端な彼我の相違もみな自然の摂理による
物事は、人為を加えるのでなくて、「真理の自然の法則」によって、みな、何もかもが動き出して、組み上げられている。ちょうど、男の子と女の子は生まれながらにして遊び方が違っているように、欧米とアジア人とは、根本的に相違がある。手紙を書くにしても、東洋の方は右上から下へ、そして左へ、西洋の方は左上から右へ横に書き、自分の名前を上に書く。そしてその書き方も名前、苗字、番地、町名、市、県というふうになっている。東洋では自分の名前を下に書いて、県、郡、町村、番地と書いてゆき、苗字、名前の順に書くようになっている。鋸を使うのでも、鉋を使うのでも、東洋では手前に引くし、西洋は前に押してゆく。裾をからげるのでも、日本では前の褄をからげるが、向こうの方は後ろを上げる。どれ一つ見ても、みな反対になっているが、これは、決して申し合わせてやるのでなくて、「自然の摂理」によってそういうふうに仕組まれてきている。故にそれを見ても分かるように、その両端相反したものが寄って調和がとれる。その相反したものが均衡・調和をとらんがために動き出して活動し、ちょうど時計の振り子のように中心から右に行くと、次は左の方へ動き出し、中心からまた反対に行って、常に活動が継続されている。現在は物質文化が左の方へ寄り過ぎてしまっているが、これからはまた再び右の方向に進み中心に戻ろうとしている。今から七百年ぐらい前には、蒙古から成吉思汗(ジンギスカン)というアジア人が出て、全世界の七割までも征服していたが、それから三百年ぐらいの間に、次第にその勢力が衰えて、今度は反対側の欧米の物質文明が活動し出し、今は中心よりもはるか反対の方向に来ているが、もうすでに限度である。それ故に今度はまた中心に戻って、アジアの精神文化が表面に躍動するその時期が来ている。そして、両方の調和がとれてゆくときに、今までの努力してきたことが実を結んで、「地上天国・現世極楽」が出来上がる。
■指導者は天の理法を知って責任が果たされる
故に人が知恵を用いるのは、その法則・原理に順応するように、一歩それに先んじて行くときに、人間が犠牲を最も少なくして、そして効果の大きな結果が得られる。それが一般の人は、右に行きかけると永遠に右に行き、左に行きかければ永遠に左に行くものと錯覚を起こしている。一年の移り変わりを見ても分かる。冬から節分になり、それから次第に暑くなって行って一定限度に行けば、今度はまた逆に秋になり、冬に戻る。そしてその限度に行けば必ずまた移り変わり、それが循環している。そこに四季というものが出来ているように、文化もその通りになる。この原理・法則をはっきり見つめて、その動きに全人類を順応させるように導いて行くことが指導者の責任であり、またそこにその価値が生まれる。今の文化もそこに起点を置いて行くときに初めて今日の最悪危険状態から脱して、逆に「最悪の裏に最善がある」その境地に到達出来るのである。それが原則だ。それを知って「神の道」に順ずるよう進めること以外には、現代の人間を救う道はない。
(大塚寛一先生)禁転載

