前回、「泣いて馬謖を斬る」という中国の故事成語を、日本語の通訳をしている時に必要な知識としてお伝えしました。
今回は、長山さんの本職である、英語の世界の話です。
「世界はわたしの牡蠣」
英語では、
"The world is mine oyster."
("The world is my oyster.")
中国語では「~は(外でもない)…」と強く断定する表現なので“是”を使って、
“世界是我的牡蛎。”
“ Shìjiè shì wǒ de mǔlì . ”
英語圏文化の話なので、中国語での表現を見ても意味はわからないと思います。
この表現は、シェークスピアの、「ウインザーの陽気な女房たち」の中のセリフで、「世界は、私の意のままよ」という意味で使われるそうです。
・シェークスピア:威廉·莎士比亚
・「ウインザーの陽気な女房たち」:《温莎的风流妇人》
・「世界は、私の意のままよ」:“全世界都随我心意”
※日本語、英語、中国語の各表現にご注意下さい。
「世界はわたしの牡蠣」
「世界は、私の意のままよ」
"The world is mine oyster."
“全世界都随我心意”
“ quánshìjiè dōu suí wǒ xīnyì ”
(世界は全て私の意のまま)
さて、ある通訳者が英語と日本語の間で通訳をしているとします。
英語の話し手がこの表現を使った。
通訳者はそのまま「世界はわたしの牡蠣です」と訳します。
日本語の聞き手は意味がわかりません。
そこで、「それはどういう意味ですか?」と聞く。
通訳者はそれを英語の話し手に通訳し、英語の話し手が「これは聞き手には理解できない英語文化圏独特の表現だった」と気づき、「これはシェークスピア(という作家)の劇(「ウインザーの陽気な女房たち」)の中のセリフで意味は「世界は自分の思いのまま」という意味です。と説明してもらい、それをまた日本語の聞き手に通訳し、「そうだったのですか!」と、会話のキャッチボールができる状況ならいいのですが、国連の会議通訳やスピーチの通訳でこのようなその国の文化背景のある表現が出てきたら、通訳が(通訳する二ヶ国以上の言語の)文化に精通していないと通訳しても意味不明ということになります。
これは世代間でも起こり得ます。
日本語の中の「泣いて馬謖を斬る」という表現をとりあげていますが、ある方から、「この表現は今の(日本人の)若者、いや中年にも「泣いて馬謖を斬る」の例えば“听不懂”(聴いても意味がわからない)」とコメントをいただいたぐらいです。
こういうことは通訳者や通訳をしたことがある人、それもある程度の経験がなければ理解できないことだと思います。
通訳は二ヶ国以上の外国語がペラペラだったらできる。
この一般的な理解では通訳と言う仕事の本質を理解していただけないことを少しずつでもわかっていただきたいと思います。
