こうやって人間に生まれてきて、いろんな人生歩んで、いろんな体験して、苦しいことも、楽しいことも、辛いことも、嬉しい事も、間違ったことも、正しいことも、とにかくいろんな体験して、一歩ずつ一歩ずつ、霊的に進化成長して行っているんです。霊的な成長を登山に例えると、すべての人が、ものすごく裾野が広いとある山の山頂を目指して、それぞれの体験をそれぞれのペースで登って行ってるんですね。
だからね、批判したり、あれは間違ってるとか言って戦ったりすることって、あまり意味ないんです。
批判しちゃダメってことはないですよ。
確かに、なぜか知らないけど、隣の人に石を投げたり、わざと落石をおこしたりするような危ない登山者もいるでしょう。ほんとに自分のことしか考えてない人っていますよね。それによって怪我をしたり、挫折したりなんてことが起きるかもしれません。
でもね、それでさえも、魂の成長のための出来事なんです。
魂の成長のために問われていることはただひとつ。
どんな時でも愛しなさい
ということ。
それだけなんです。
恐れが悪いとか、エゴが悪いとか、そんなことじゃないんです。
どんな時でも愛することを学ぶために、その「どんな時」をつくるために、恐れやエゴがあるんです。
善人は生き残らないってほんとかもしれませんね(^^;;
だってほんとに魂が進化した人は、肉体をもっておく必要がなくなっちゃいますから。
ということは、こうして生きている私たちは、少なからず、どこかまだ悪人なのかもしれません。
キリスト教では、私たちは一人残らず罪人ですと教えるのですが、もしかしたらそれは、このような意味なのかもしれませんね。
どこかで地獄を描いた漫画を見たのですが、そこでは地獄に落とされた人が、死んでも死んでも再生して苦しみ続けるみたいなことが書いてあって、もしかしたら、この世界はそれに近いのかもとか思ったりもしましたが、全員がそういうわけでもないので、おそらくは個人的にそういうのを体験している人はいるだろうと思います。
きっと、戦争とか起こしたり、故意に殺人したりなんかした人は、その罪悪感が癒えるまでは、きっと地獄のような生涯を繰り返すんだろうなとか...
そこからだんだん癒やされていって、普通の人生に戻るまで、何回繰り返すんだろうか? とか思ったり。
だからこそ、きっと愛しなさいとか許しなさいって何度も言われるんだと思う。要するに、それこそが癒やしの早道なんだよね~。
まあ、いまの人生だけみてたら、なんでこんな目に合わなきゃならないんだとか思うかもしれないけど、過去の人生では逆の立場だったかも知れないわけだし。もちろん過去世とか関係ないとかいう意見もあるし、それはそれでそうなんだと思います。
ただね、
自分を見ないようにしている人は、自分にとって不都合なものは目の前から消したくなるんですよ。
って言ってる時点で、そういう人はもうこのブログ読んでないですね、きっと。
ということは、こんなこと書くこともあまり意味はないのかな?
どちらにしても、みんな、最後には、あの山の山頂にたどり着くのは確かなんです。
だから、信頼し、尊重しあいましょう。
と、私は思うわけです。