プライムパーティクルにとって宇宙の端から端まで移動することはなんの問題もありません。まったく時間をかけることなく今あるところから宇宙の隅から隅まで行って帰ってくることができるのです。それにかかる時間はゼロです。
なぜならプライムパーティクル自身が「ゼロ」であり、またプライムパーティクルにとって宇宙はゼロに等しいからです。この世界とプライムパーティクルとの間には何の差異もありません。
しかしそれではあまりにも漠然としています。
この3次元の世界の住民である我々が、それを思考で理解するには、プライムパーティクルの働きを、3次元的な概念に例える必要があります。
たとえば、テレビのブラウン管というのをご存じでしょうか。
今はもう液晶テレビ主流の時代ですから、ブラウン管のテレビはだんだん目にする機会が減ってきました。


ブラウン管というのは、とってもよくできたシステムで、一カ所から発信された光がブラウン管の表面にあたることにより発光し、映像を映し出すというものです。
ぱっと見るとブラウン管全体が光っているように見えますが、実はほんの1つの光の点が高速に画面上を動き回って、全体を映し出しているに過ぎません。
光の点が様々に色(波長)を変えながら、画面の左上端から、右下端まで、隙間なく瞬時に移動することにより、映像が現れるのです。
ですから、もし仮に、この光の点の速度をずっと遅くしたとしたら、映像は消え、ただ一つの光の点が画面の中をジグザグに動いているのを目にするだけになります。
それが人間の目にも留まらない早さで動いているからこそ、画面いっぱいに映像を映し出していることができるのです。

実はプライムパーティクルが宇宙とその中にあるもの全てを映し出しているのも、これとほとんど同じことだと言えます。
プライムパーティクルが無限の早さで(実質的に時間はゼロです)、宇宙の隅から隅まで、色=波長(光の性質・波動)を変えながら瞬時に移動することで、この世界が形作られていると言えるのです。
私たちが見ているもの、物質だと思っているものは、よくできた立体映像と何も変わりません。
「ちょっとまってください。
だって、この石はこんなに固くて重いんですよ。
どうしてこれが立体映像なんですか?」

物質だと思っているものが実に儚い(はかない)ものかご存じでしょうか。
物質を構成しているものは分子です。分子をバラバラにすると、元素になります。何種類もの元素が組合わさることで、物質となっているのです。
しかも何種類もの元素も、もとをたどれば水素原子が結びついたものです。
元素は、たった1種類の水素原子からできています。
しかもこの水素原子は、陽子と中性子と電子という三つの粒子からできています。
これらの三つの粒子はくっついているのではなく、電磁気的にいっしょにいるだけで、陽子の周りを中性子と電子が回っているといっても良いでしょう。
星に例えれば、陽子が太陽で、中性子と電子がその周りを回る惑星みたいな関係です。
大きさの比をたとえれば、もし陽子が太陽と同じ大きさだとすれば、電子は冥王星ぐらいの距離を回っています。
つまり、陽子と電子の間には、広大な空間が広がっているのです。

もし私たちの体をずっとずっと小さくして陽子の上に立って上を見上げることができたとしましょう。
そこには何が見えると思いますか。
他の陽子や中性子や電子たちによる、満点の星空が見えるのです。

そうなんです。
宇宙空間の密度と物質の密度は、相対的に何も変わりません。
自分の手を見て下さい。
目の前にある手は、99.99999999999999999999999999999999999999999%以上「空間」なのです!!!!
手だけではありません。
すべてがそうなのです。
そしてそのわずかな物質の手がかりである、陽子と中性子と電子も、本当に物質なのかどうか疑わしいのです。
陽子と中性子と電子をさらに分解すると、素粒子というのがでてきます。
たとえば、1つの陽子は3個の素粒子からできています。

この素粒子はとても曖昧な存在で、波動と物質の両方の性質を持っていて、どっちにもなりうるものです。
しかも観測者に左右されてしまうんです。
例えて言えば、それがそこにあると思って観測すればあるし、ないと思って観測すればない....
つまり素粒子は、基本的に波動であり、ある条件において物質の性質を持つものなのだと言えるのです。
超ひも理論の言葉を借りれば、素粒子は10次元の構造をもった波動であると....
つまり、言いたいことはこういうことです。
みんなが物質だと思っているものは、実は本当に幻でしかないということ。
プライムパーティクルが、まるでテレビの立体映像のように見せているものなんだということなんです。

ではここにいる「私」ってなんでしょうか...?
つづく