1920年代、台湾新文化運動を支えた『台湾民報』 | 台湾華語と台湾語、 ときどき台湾ひとり旅

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日本の植民地だった1920年代、台湾。教育の普及を背景にして、医師や教師、弁護士といった新しい中産階級が登場します。それらのエリートを中心に台湾「新文化運動」と呼ばれる社会運動が起こり、台湾にも自由と民主、平等、民族自治を求める機運が高まります。


詳しくはこちら⬇️に書いていますが、




その「新文化運動」を支えたのが、台湾人によって初めて発行された新聞『台湾民報』です。



1923年創刊ですが、前身は1920年に創刊された「新民会」(東京の台湾留学生によって結成)の機関誌『台湾青年』。それが1922年『台湾』への改名を経て、1923年4月の『台湾民報』創刊と相成るのでした。


『台湾民報』は、台湾人の台湾人による台湾人のための新聞。1927年には台湾で印刷、発行されるようになり、世界の情勢を台湾の人々に紹介するとともに、台湾の社会、政治、経済、文化についても探究し続けました。さらには日本の台湾統治についても批判の声を上げ、植民政府当局に目を付けられることになるのです。


その一つが台湾議会設置請願運動の推進。この活動により、中心人物だった蔡培火や蔣渭水などは逮捕され勾留されます(治警事件)。


で、私が興味あるのは、『台湾民報』が何語で書いてあるのか、です。当時台湾で一般的に使われていた書き言葉は、「国語」だった日本語。でも『台湾民報』は植民政府への反発や抵抗を露わにした台湾オリジナルの新聞。台湾アイデンティティを支えようとした(成否はともかく)言語を使わないわけはありませんでした。


続く