1920年代の台湾新文化運動と、台北北警察署 | 台湾華語と台湾語、 ときどき台湾ひとり旅

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台湾のルネッサンス時代と言われた1920年代。日本の統治下にはあったものの、本国日本も大正デモクラシーの比較的平和な時代。日中戦争勃発以降苛烈を極めることになる植民政府の抑圧も、まだそれほどひどくはなく、台湾知識人の間では民主と平等、民族自決を求める機運が高まります。


その熱い風に背中を押された若者は、伝統の軛(くびき)から抜け出そうとし、芸術家は台湾の風景や言語に目を向け始める。社会の底辺の底辺にいた女性も覚醒し、立ち上がり歩き出す...。


そんな時代の台湾で起こった一連の文化運動を「新文化運動」と言うのですが、それらは社会運動とも連動していました。台湾議会設置要求など、自治の要求→日本統治への抵抗という側面も大いにあり、当局にとっては非常に厄介なものでもありました。


台湾議会の設置を求める請願運動に関わったとして、蔡培火、蔣渭水などが逮捕されたのが、1923年の「治警事件」。彼らが勾留され拷問を受けていたのが、現在《台湾新文化記念館》となっている台北北警察署です。8月に行ってじっくり見てきました⬇️




⭐️中に入ると立派なホール



⭐️初めて台湾人によって創刊された新聞『台湾民報』。台湾議会設置請願運動を推進する役割を果たした。




⭐️当時の新聞や雑誌の展示。コーナーのタイトルは《当代知識の結晶》



⭐️《農民の反抗とストライキ事件》



⭐️《台湾新文化運動の年表》




⭐️そしていよいよ《治警事件》



⭐️議会設置請願運動中に作られたビラ。「暗黒なる台湾にも立憲法治の制度を確立し、四百万台湾民衆の自由民権を保障せよ!」



⭐️運動の中心人物、蔣渭水



⭐️拘置所




⭐️ 蔣渭水も入れられた、水牢。拷問の一つ。



⭐️監視台。看守がここに立って囚人を監視した。



⭐️流行歌『我らが台湾』。蔡培火の作詞作曲。



日本語での説明もありました。パンフレットも日本語版あり。台湾のどこの博物館、記念館も、日本人ウェルカムの雰囲気がありますね。